ふらり寺院へ

夏の間さぼってしましましたが・・・すみません。
暑さ寒さも彼岸までといいますが、皆様体調の方はいかがでしょうか?

ガイドブックの販売に向けて、手分けして神社仏閣に文章の確認に出かけてます
が、ふらっと通りがかったところに、気になるお寺さんがあったので、目的のお寺
に行く前にちょっと寄ってみました。

気になったお寺さんは、鴨川市天津にある自性院(波切不動)。
本尊は不動明王。真言宗智山派のお寺さんです。
DSC_0453

入口には、鴨川市指定文化財の「石造五大明王」があります。
DSC_0427DSC_0435
不動明王(ふどうみょうおう)、降三世明王(こうさんぜみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだり
みょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)
をあわせて五大明王です。紀年銘は確認できないですが、江戸時代後期の作と見られています。
古くから木彫の五大明王は数多く制作されいますが、石造の五大明王は、全国的にも珍しく、千葉県内
では、現在のところ他には確認されていないそうです。
石材として地元の嶺岡山の蛇紋岩が使われています。
DSC_0430(不動明王)DSC_0432(降三世明王)DSC_0433(軍荼利明王)DSC_0429(金剛夜叉明王)DSC_0431(大威徳明王)

境内には、守り本尊の石仏が祀られています。
DSC_0444
人には、それぞれの守り本尊があると言われています。「各人の生まれ年(十二支)の干支によって
守護してくれる仏さまが定まっている」という信仰が「守り本尊」です。
自分自身の生まれた年のご本尊をお参りすれば、心安らかな日々が過ごせると言い伝えられています。
また、この守り本尊は古来より福を招き、各人の持って生まれた良い点を伸ばし、悪い点を抑えるよう
護って頂けるとも伝えられています。

子年:千手観音菩薩・・・敬愛、除病、破地獄(地獄からの救済)
丑年・寅年:虚空蔵菩薩・・・記憶力増強、福徳、知恵、学問、仏智悟入
卯年:文殊菩薩・・・知恵、学問
辰年・巳年:普賢菩薩・・・滅罪
午年:勢至菩薩・・・家内安全、除災
未年・申年:大日如来・・・一切成仏、密教における最高仏
酉年:不動明王・・・煩悩・悪行を滅する
戌年・亥年:阿弥陀如来・・・極楽への往生、敬愛、重病人の延命祈願

みなさん、ご自分の守り本尊(守護本尊)分かりましたか?是非、ご自分の守り本尊をお参りしましょう。

余談ですが、最近ご住職の話や神主さんの話を聞く機会があります。少し耳を疑うような話が・・
向拝の彫刻が盗まれたり、お賽銭箱が盗まれたり・・・見学者の勝手な行動があったり・・境内を
歩きたばこで来たり・・と。神社仏閣は信仰の場でもあります。出来れば、本堂・本殿に手を合わせてから
見学して下さい。

ふらり神社へ

お盆の時期になりました。館山は、普段と違い他県ナンバーの車が多く走って
います。里帰り&旅行の人が来てるんですね。

また旅倶楽部では、今年度中に神社仏閣解説ガイドブックを販売する予定です。
そこで、取材?を兼ねてふらっと神社へ行ってきました。
今回は、館山市の見物区にある、海南刀切神社。道を挟んで反対側には、浜田区
の船越鉈切神社があります。もともとは、一社として祀られていたんです。
共に祭神は、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀っています。海の神・海上
安全の守護神として船乗りたちに崇敬されています。海の町ならではです。
DSC_0423

拝殿には、多くの彫刻が残されています。向拝の龍や、壁面の天岩戸伝説やヤマタノ
オロチ伝説の彫刻は見事なものです。
DSC_0397
この彫刻の作者は、後藤流の四天王の一人、後藤忠明の作品です。
細かい作品で、弟子と共に作成しています。
(全体図は、是非ご自身の眼で見て下さい。)

DSC_0363
木鼻獅子です。子連れの獅子は珍しいく、忠明さんの特徴だそうです。

館山・南房総の神社・仏閣には、素晴らしい彫刻が残されています。お参りに来た際
には、お参りするのはもちろんですが、建物や周辺なども見て下さい。

あまり、書いてしまうとガイドブックが売れなくなってしますので、この辺で・・・

追伸:先日、とあるお寺にお伺いした際に、ご住職がお話しして下さったのですが、
お寺にお参りしにきて、本殿の前で拍手をしたそうです。とほほ・・・なお話しです。

夏の体験教室開催しました(ホウ酸団子作り)

暑い日が続きますねぇ~夜、外を歩くと太鼓の音が聞こえてきます。
各地で、夏祭りが行われていますが、炎天下の中の祭りは大変です。
私の子供の頃は、こんなに暑くなかったような気がしますが・・・

今年度から企画しました体験教室の第一弾「ホウ酸団子作り」を開催しました。
ホウ酸団子???ってどんな団子?と思う方がいらっしゃるかと思いますので、
この団子は、日本で古くから用いられているゴキブリ対策です。ゴキブリがホウ
酸団子を食べると消化器系に作用して脱水症状を引き起こすと言われています。
ゴキブリが食べてから効果が出るまでは、半日~3日程度の時間が必要だそうです。
脱水症状を起こすので、水を求めてさまよい、ゴキブリの死骸は水回りで発見し
やすくなるので、掃除が比較的楽なのもホウ酸団子の利点だそうです。

ホームセンターや薬局などにも、ゴキブリ対策用商品がありますが、今回はあえて
手作りにしてみました。一度、作ってしまえば、次回からも自分で作れるのがいい
です。

材料は、玉ねぎ・ホウ酸・砂糖・薄力粉・牛乳だけです。
玉ねぎはフードプロセッサーで細かくします。
DSC_0422

後は、材料を全てビニール袋に入れて混ぜ、小さなお団子を作るだけです。
DSC_0423DSC_0428

並べて、日光に当ててしっかり乾かします。
DSC_0432

乾いたら、ゴキブリが通りそうな所に置いて下さい。
小さなお子さんやペットを飼われてる方は、口にしないように気を付けて下さい。

次回の「夏の体験教室」は、8月18日(月)10:00~「昔懐かしのお手玉作り」
です。参加費用は1000円でお手玉3つ作ります。事前予約ですので、お申込み下さい。

事務所のお盆休みが8月13日~17日です。お申込みされる方は、留守番電話に、お名前
お電話番号、参加人数をご伝言下さい。折り返しお電話いたします。

波左間のミノコオドリ

蒸し暑い日が続いていますが、みなさま体調の方はいかがですか?
梅雨バテという言葉もあるそうですね。

7月に入りますと、館山・南房総ではいろいろな所で祭礼が行われています。
昔は、日にちが決まっていたので、平日の祭礼も多くありましたが、最近は、
日にちを変えて土日にやる地区が増えています。地元で仕事している人もいれば、
都会で仕事している人もいるので、土日の方が集まりやすいんです。
でも、まだまだ日にちを変えずにやっている地区もあります。
今回は、館山市の波左間地区というところの諏訪神社の祭礼に行ってきました。
こちらの地区では、昔から続いている踊り(ミノコオドリ)があり、国の記録選択
文化財に指定されています。
この踊りは、子供達が踊るのですが、少子化&過疎化で、本来ならば小学生が踊る
らしいのですが、幼稚園児も入って踊っていました。
他の地区でも、市の文化財に指定されているかっこ舞等があるのですが、子供が居なく
て断念している地区もあります。

波左間の諏訪神社は、館山駅から車で15分程度の所にあります。
DSC_0343DSC_0345

少し高台にあり、本殿の脇からは波左間漁港が見えます。
DSC_0353

御神輿も大人神輿1台、子供神輿1台あり、大きな御神輿になります。
DSC_0351DSC_0348

御神輿に御霊を入れ終わると、ミノコオドリが始まります。
DSC_0370
みんなお化粧して浴衣をきて一生懸命踊っていました。ちょっとうまく踊れない子も
いましたが・・かわいかったです。

ミノコオドリと本殿の祭事が終わると一旦解散?になります。午後から、神輿が町内
へ煉り出します。この暑さでは、担ぐ人達も大変です。

これから祭り本番です。7月の第3土日には、那古地区の祭礼で山車5台、屋台1台が
長須賀地区が神輿・屋台1台、布良地区が神輿3台、南房総市富浦町、7月19・20日は、
神余地区の祭礼です、かっこ舞の奉納があります。
7月の最終土日は、船形地区山車3台、御船1台、屋台2台繰り出します。。
まだまだ、8月にもありますので、ちょっと足を止めて見てみてはいかがでしょうか?

シリーズツアー「館山砲術学校と周辺散策」報告

6月22日(日)に行いましたシリーズツアー「館山砲術学校と周辺散策」の報告します。
今年度は、館山・南房総に残る戦争遺跡をシリーズツアーとして4回行う予定の、今回は
2回目です。この時期ですので、天候が一番心配なのですが、今回は舗装された道を歩く
所が多いので、小雨の中開催いたしました。

館山海軍砲術学校は、海軍艦船の兵器、砲の操作訓練をするために、横須賀海軍砲術学校
が設置されていましたが、海軍も陸上戦闘訓練が重要になり、上陸作戦訓練が出来る広大
な砂浜や砲台の実射訓練が出来る場所、海軍基地等を考慮して館山市の佐野が適地として
撰ばれ、昭和16年(1941)に横須賀海軍砲術学校の分校として開校され、士官候補生で
ある海軍予備学生を陸戦、対空、化学兵器の3科に分けて訓練が始まりました。その後、
戦況は拡大され、常時15000人の学生、訓練兵の短期猛訓練が開始され「鬼の館砲」と
呼ばれるようになりました。訓練後は、すぐに各地の戦場に派遣されました。終戦間際の
昭和20年7月に閉校されました。

ツアーの始まりは、当時の正門からスターとしました。
DSCN1476

その後今回は特別に許可をいただき、中学校の中へと入れていただきました。現在の房南
中学校の場所には、学生の宿舎が建てられていました。その奥には、発電所や防空壕など
が建てられていました。
DSCN1480
この写真は発電所があった場所の写真です。

次の写真は、稲を撮ったのではありません。昔の建物の基礎が残っています。
DSCN1484

次に、ボイラー室跡へ。現在もレンガの建物が少し残っています。
DSCN1490
ここも私有地なので、いつか取り壊される日が来ると思います。

山の方へ登って行くと、素敵な家が建っていますが、その間から下をのぞくと洋上降下訓練
プール(パラシュート降下訓練用プール)の全貌が見えます。
DSCN1493
パラシュートを開くタイミングとか距離間だとか体に覚えさせる訓練をしていたとか・・・
写真の手前側が深くなっています。戦後50年位前は、房南中学校のプールとして利用してい
たそうです。

その後、館山海軍砲術学校跡 平和祈念の塔へ。
DSCN1503

硫黄島からの遺品も飾られていました。
DSCN1505

戦地を表す標識です。
DSCN1509
ここから、いろいろな戦地へ向かったんですね。

昼食後は、東砲台と呼ばれる場所へ行きます。砲台というだけあって、練習用の砲台が
あった場所です。
訓練兵は、この坂を大砲を抱えて走って登って行ったといいます。砲台の場所までは、
かなりの距離があります。
DSCN1520

登って行くと、砲台の後が残っています。
DSCN1514
写真では、判りづらくてすみません。かなり深くなっています。
東砲台跡は、一人ではなかなか行けない場所です。途中には、三芳水道の管理の貯水槽が
ありますが、そこからが判りつらい場所です。見学に行く際は、十分に注意して下さい。
不安な方は、また旅倶楽部へガイド依頼下さい。(ガイド料金はHPに記載してあります)

まだまだ、館山・南房総には戦争遺跡が残されています。あと数年・数十年すれば、忘れら
れていく場所かもしれませんね。
次回の戦跡シリーズは11月30日「大房岬戦争遺跡巡り」になります。是非、ご参加下さい。
ちなみに、7月の月イチツアーは7月6日「新・旧加茂坂に残る歴史を巡る」です。

イベントツアー「吉保八幡神社流鏑馬神事」下見

梅雨入りしました。梅雨入りしたとたん、大雨が降ったかと思えば晴天つづきだったり・・・
ウォーキングツアーやるのには、ヒヤヒヤする季節になりました。

さて、9月28日に行います、イベントツアー「吉保八幡神社流鏑馬神事」の下見に行ってきました。
天候に恵まれて(暑かったですが)がんばって行ってきました。
下見なので、コースの確認やガイドのポイントの確認をしながら進んでいきます。
まずは、吉保八幡神社です。
DSC_0080
吉保八幡神社(きっぽはちまんじんじゃ)は、千葉県鴨川市仲(安房国長狭郡)にある神社。
旧社格は郷社。誉田別尊を主祭神とし、素戔嗚尊と天忍日命を配祀する。天長6年(829)に
吉保郷の鎮守として勧請、文安年間(1444~48)に里見氏家臣緒方茂次が祈願所として再建し
たと伝えられています。
本殿は、天明年間(1785頃)の造営されたと伝えられいます。彫刻は「波の伊八」の武志伊八郎
信由、30代の作だそうです。
DSC_0067
(本堂の中には通常入る事は出来ません)

流鏑馬神事は、毎年9月の最終日曜日に行われます。神事としては古式ゆかしく執り行われます。
もともとの起源ははっきりしませんが、社伝によれば、鎌倉時代中期までさかのぼると言われて
います。約210mの馬場を疾駆しながら、3つの的めがけて矢を放ち、それを3回繰り返しま
す。他の地域で行われているやぶさめと異なる特徴は、的までの距離が遠い点が挙げられます。
吉保八幡のやぶさめはが武芸としてよりも、五穀豊穣を祈願し農作物の収穫の豊凶を占うことを
第一の目的として行われて来たためだそうです。的に当てることよりも、放った矢の当り外れに
よって、天からのお告げがもたらされると考えられているため、的から外れることにも重要な意
味があるという事です。騎射する人(禰宜)は心身を清めるために、一週間清進潔斎することが
定められています。
IMGP1462

コースは、吉保八幡神社から神明神社、善能院を見学して、ねぎどんへ行きます。
DSCN1452
善能院の大日様です。
DSCN1449DSCN1450
こんな景色をみながら歩いていきます。

ねぎどんから、神事に向かう禰宜と馬・的・宮だちを見学します。

IMGP1444IMGP1448
的の大きさと厚さを見て下さい。他ではあまり見ないと思います。

そこから、神社へ向かう途中に圓明院へ立ち寄ります。
DSCN1448
なんとも言えないお地蔵様がいます。

その後、流鏑馬神事を見学する予定です。
境内の中は、御神輿や禰宜と一緒に到着した宮だちが並べてあります。
IMGP1457

是非、昔からつづく吉保八幡神社流鏑馬神事を見学しにお越し下さい。
ちなみに、今の馬は引退したサラブレットですが、私の子供の頃は、農耕馬が走っていました。

下見が終わったので、少し足を延ばして大賀蓮を見に行ってきました。
鴨川市の北小町という所にあります。長狭街道から古代大賀蓮の看板の所を入って行くと無料の
駐車場があります。
DSCN1458DSCN1459
千葉市検見川で発見された古代ハスの種の化石を、研究開発を重ね、古代からタイムスリップさ
せることに成功した大賀博士の名をとって、大賀蓮と呼ばれています。
大賀蓮が開花する瞬間に音がするらしいく、その音を聞いた者には、幸せが訪れるという言い伝
えがあるそうです。
6月16日に行ったので、まだ少し早いようですが、お近くにお越しの際は、見に行ってみて下さい。

館山妙音院の火祭り

5月25日(日)2週連続の火渡りに参加してきました。
今回は、館山市にある妙音院です。また旅としては、昨年・一昨年とウォーキングツアー
でお邪魔しているのですが、今年は安房八十八ヶ所霊場の案内をする為にお邪魔しました。

妙音院は、高野山金剛寺直末の古義真言宗のお寺で、通称「安房高野山妙音院」と呼ばれて
います。鎌倉期に源頼朝公第三男、鎌倉法院・貞暁が紀州高野山一心院谷に開基され、天正
17年(1589)里見義康公の発願により、高野山別院・里見家の祈願寺として安房国へ開山さ
れ、里見氏より161石の寺領が与えられ、江戸時代になっても徳川家から寺領75領が与
えられ徳川家の祈願寺として保護されたお寺です。
DSC_0344

今年の火渡りは、妙音院開山400年の歴史で初めて、不滅の聖燈の聖火にて柴燈護摩を厳修
し、火渡り行を行いました。
平成27年4月に高野山開創1200年の記念大法会が行われます。この大法会に向けて、今
年の4月6日、北海道を出発し、高野山結縁行脚隊が一年をかけて全国各所を巡っています。
行脚隊は、「祈念三鈷」と「撫で三鈷」「不滅の聖燈」を奉載しています。
その「不滅の聖燈」と「撫で三鈷」が、千葉県で唯一、館山の妙音院に来たのです。
「不滅の聖燈」は高野山奥之院に1000年近くもの間、輝き続ける不滅の聖燈です。この聖燈
は、高野山に入定されているお大師さまの永遠の「いのち」そのもだそうです。
DSC_0339

いよいよ柴燈護摩と火渡りが始まります。その前に本堂をバックに、行者の皆さんの記念撮影。
DSC_0391

柴燈護摩・火渡り荒行は、古くから伝わる秘法です。
境内にある熊野大権現へ、護摩修行の無事を祈ってお祓いを行います。

張られた結界の入口でで、注連縄を解きます。
(儀式が終わるまで行者以外は立ち入ることが許されません)
DSC_0405

今年は、作法の前に、高野山から行脚された方を迎え入れる「問答」が行われました。
この問答は、修験者がこれによって、相手が同じ流派の者なのか見定めます。
DSC_0418
問答を聞いていて、すごく感動しました。

その後、宝斧作法:護摩壇にむかって正面から斧を振りおろし、護摩の薪が清められます
    宝弓作法:道場の四方上空に向けて矢が放たれ、五大神龍王の降臨を願い諸魔結界されます
    宝剣作法:護摩壇に向かって縦横に刀が斬られ、微かにのこる邪悪の一切が除祓されます
DSC_0433
宝弓作法で放たれた弓は、取った方は持ち帰る事ができます。私は、今年も取れなかったです。

妙音院のご住職により、不動明王の降臨を乞い、柴燈護摩の無魔成満を願う文が読まれます。
DSC_0441

「不滅の聖燈」の火が護摩壇に点火されます。
DSC_0446DSC_0453

点火され、白煙が天に昇ります
DSC_0458

勢いよく立ち昇る炎の中に勧請した不動明王に諸願の成就を祈ります。
DSC_0482DSC_0493

DSC_0506

ちょっとここで、うんちくを・・・
火渡りは、正式には火生三昧耶法(かしょうさんまやほう)といいます。火生三昧は心を静めて
一つの事に集中し、身体から智慧の火を生じるような状態をいいます。密教では、お不動様と一体
となった状態をいいます。智慧の火によって煩悩を約尽くすことを象徴します。
火渡りは、火の上を歩くことによって、大智の火焔で煩悩を焼き尽くし、公には国家安穏、五穀豊
穣などの祈願。個人的には、自分自身の修行や、厄払い、無病息災を祈願します。

いよいよ火渡りが行われます。まずは、ご住職が渡られます。
DSC_0520
その後、修験者の方が渡られ、一般の信者等が渡ります。

館山市長が一般の人の1番に渡られました。昨年も1番に渡られて、「熱かった」と言ってま
したが、今年はどうだったのでしょうか?
DSC_0529

この柴燈護摩(火渡り)は、安房地域の他のお寺で行われています。
私の知る限りでは、2月の能蔵院(南房総市・千倉)、5月の大山不動(鴨川市)妙音院(館山市)
です。他にも行ってるかもしれませんが・・・
因みに私は日蓮宗ですが、開祖の教えや御経が違いますが、最終的には同じ仏様なので、宗派関係なく
参加しています。
是非、みなさんも火渡りに参加してみて下さい。

イベントツアー「大山不動火渡りと周辺散策」報告

5月18日イベントツアー「大山不動火渡りと周辺散策」(鴨川市)へ行ってきました。
天気に恵まれ、旧大山小学校から大山不動尊へ。今日のメインは火渡りを見学する事です。
っと・・・・出発しようとカメラをリュックから出し、電源を入れると電源が入らない!!
バッテリー切れ?? という事は、カメラが使えないという事に・・・・
残念ながら、他のガイドさんもカメラの電池が・・携帯のカメラで撮ればと思い、リュックを
あさってみると、携帯がない!!携帯も忘れお手上げ状態。

という事で、今回の報告は写真がまったくと言って少ない状態での報告になります。
ブルーな気持ちで坂道をあがり、旧参道を通って大山不動へ。
途中にバクチの木群生地があります。
IMG_4944

大山不動にも到着し、いよいよ火渡りの行事になります。
行者のみなさんがほら貝を鳴らしながら入場してきます。
IMG_4945
この火渡り式は真言密教の秘法儀式で、貞観年間(832~909)聖宝理源大師が日本七霊山の一つ
大和峯山『醍醐寺』で山岳修行中、柴(山に生えている小さい雑木)で護摩秘法を行い、毒蛇を退
治したことが始まりとされています。
柴燈大護摩は、行者さんの法螺貝の音で儀式が始まり破魔矢を放ち結界を張って中央にある護摩壇
に火がつけられます。般若心経の太鼓と共に住職が護摩を炊き祈願を行います。
火渡り儀式は、不動明王に帰依し、願望成就の功徳をお持ち帰りいただくという儀式です。
IMG_4946
護摩供養が終わり、いよいよ火渡りです。
最初の方に並ぶと熱いので、真ん中位に並び渡ってきました。渡った人だけに、お守りが渡されま
した。その後、大山不動のみなさんの御接待があり、海苔巻やらから揚げやら出てきていました。
接待の「ごやっかい」になり大山千枚田に向けて出発しましが・・・出発する前に、ちょっとビックリ
する事件があったので報告します。火渡りの片づけをしている中、とある60代一眼レフを持った男性
が、台に乗ってたお守りを二つ手にしたのです。少し離れたところからご住職が「勝手に取らないで下
さい。」と言っていたのにその男性は、そのまま持ち去ろうとしていました。そこで、「勝手に取らな
いでと言ってますよ」と言ったら、その男性は「誰が!?」と・・・「ご住職が・・」と答えると「聞
こえない」と言ってそのまま持ち去りました。私は「????」状態に。
勝手に持って行ったお守りなんて、ご利益がないに決まってるのに・・そのうち罰があたりますぞっ!!
という事がありました。
幸い、また旅倶楽部のお客さんには、常識を持ったお客様ばかりなのでありがたいです。

さて、大山千枚田では、景色を楽しみながらの昼食です。田植えが終わった千枚田を観光客のみなさん
も見に来ていました。この景色を報告できないのが残念です。
大山千枚田を後にし、遠本寺・旧参道の一の鳥居・中芝観音堂を見学し集合場所へもどりました。
一日充実したウォーキングになりました。

コースとか気になるかたは、「大山不動火渡りと周辺散策」下見をご覧ください。
http://matatabiclub.com/?p=2535

ちなみに、カメラは充電切れではなく壊れてしまいました(泣)

シリーズツアー「房の大山登山と戦跡巡り」報告

新緑の美しい時期です。もう少しで夏になります。
少し遅くなりましたが、4月27日に行いました、シリーズツアー「房の大山登山と
戦跡巡り」の報告をします。

当日は、天候に恵まれて少し汗ばむ気温でした。
集合場所は、坂田海岸。房の大山を登る前に少し周辺を散策し、房の大山へ。
房の大山は、房総半島南端にあり標高193.6m、山頂には一等三角点が置かれれ
います。天気の良い日には、青い海と海に浮かぶ富士山が見える場所です。
また、戦争遺跡も数多く残されていています。

坂田バス停から近い場所に共同墓地があります。その入口に魚藍観音(ぎょらんかんのん)
があります。魚籃観音とは三十三観音の一つで、手に魚の入った籠を持つ姿で作られて、海
や魚の信仰と関連があるといいます。
IMGP2632

次に西方寺と実蔵院へ
西方寺は、曹洞宗のお寺で、江戸時代後期に房総沿岸警護のために築かれた波左間陣屋に
配置された白河藩士たちの墓が3基残されています。
実蔵院は、不動明王を本尊とする真言宗のお寺。境内にある宝篋印塔は天明3年(1787)の
もので、鋸山日本寺の千五百羅漢の作者である木更津出身の石工大野甚五郎英令の作です。
IMGP2634

実蔵院の上にある熊野神社へ安全祈願へ。
熊野神社は坂田地区の鎮守です。境内には稲荷様と浅間様が祀られています。
IMGP2636

さぁ~安全祈願もしたので、房の大山へ登っていきます。
IMGP2638
途中、急な山道や滑りやす所がありますが、注意して登れば大丈夫です。雨上がりや雨の
日は、避けた方がいいかもしれません。

木に貼りついたツタをよく見ると、自分で木にしがみついているのが、はっきりわかります。
ホチキスをしてあるみたいで面白いです。
IMGP2639

頂上に辿り着くと、そこからの景色は最高!!です。今回は、霞んでしまってますが、少し
富士山の頂上が見えていした。
IMGP2643IMGP2641

頂上では、少し早い昼食と植物の話を。
IMGP2645

下山し、戦争遺跡・洲崎第二砲台へ。
洲崎第二砲台は、東京湾の要塞の湾岸砲台の一環として、大正3年(1924)に起工されました。
昭和2年に竣工し、山蔭に4門設置されました。砲台付近には、砲弾を貯蔵する砲側庫と火薬
を貯蔵する弾薬支庫が造られました。

この石の饅頭みたいのは、炸薬調整庫です。
IMGP2650
炸薬は、爆弾などにつめて爆発(炸裂)させるのに用いるもので、火薬の一種です。日本海軍で
用いられた用語だそうです。

少し歩くと砲台跡があります。今は、穴?になっていますが、大きい物だったと思われます。
IMGP2652IMGP2656

次に、砲側庫へ。
IMGP2673
トンネル式砲側庫です。トンネルの入口には、今も迷彩が残っています。

砲側庫の中は、こんな感じになっています。
DSC_0441DSC_0442
レンガが三層になっているのがわかりますでしょうか?実際は、真っ暗ですので、懐中電灯
が必要になります。

弾薬庫の中には、こんな生物もいます。
IMGP2668
黒い塊が・・・蝙蝠の一種です。なかには、ゲジゲジ達もいます。
周辺には、兵舎の跡と思われる基礎が残っていたりと、戦争遺跡が点在しています。
戦争遺跡がある場所は、私有地も含まれていますので、十分配慮・注意して下さい。
また、これからの時期は、草が生い茂り、ヘビ達も出てきますので、涼しくなってから
登るのが一番です。

今年度のシリーズツアーは、戦争遺跡です。第二弾は、6月22日(日)「館山砲術学校と
周辺散策」です。是非、ご興味のある方はご参加下さい。お待ちしております。

4月月イチツアー「中世の史跡とニリンソウ」報告

いやぁ~もう5月になってしまいました。約1ヶ月更新してなかったなんて、
自分でもビックリです。遊んでた訳ではないのですが・・・これから、心を
入れ替えマメに更新していきます。

さて・・・
4月に入り4月6日に「中世の史跡とニリンソウ」の月イチツアーを開催しました。
月イチツアーは、南房総市富山町の平久里地区を拠点にし、林道を通り余蔵山を目指します。
IMGP2593
途中には、滝があったり桜が咲いていたり、森林浴を楽しめます。(花粉症の人にはちょっと
きついかもしれません。)
IMGP2591IMGP2595
大島桜は、野生種のサクラです。関東以南の島の海岸沿いから山地にかけて多く生育して
いて、特に伊豆諸島に多く、和名の由来となっています。伊豆半島・房総半島にも自生して
いますが、製炭のために持ち込まれたと言われています。

余蔵山の頂上を目指す前に花火工場跡へ寄り道。
平久里の花火は歴史も古く各家の長男が代々作り方を継承してきた貴重な伝統文化でしたが、
平成6年に花火工場の爆発により残念ながら途絶えてしまいました。
花火工場跡には、沢山の桜が咲いています。
IMGP2599IMGP2600

寄り道した後は、余蔵山の頂上を目指します。少しキツイ坂道もありますが、頂上からの
景色は、なかなかの物です。余蔵山の標高は252.3mです。
IMGP2605

あとは、下山して古戦場をめざします。
途中、房総里見家の里見義通・里見義豊が眠る墓へ寄りました。
IMGP2615
墓の周辺には、今回のタイトルにもなっているニリンソウが群生しています。
IMGP2609IMGP2612
ニリンソウは多年草で、春山を代表する花の一つです。3月~6月に直径2センチの花をつけます。
多くは1本の茎から特徴的に2輪づつ花茎が伸び、和名の由来となっています。

少し歩くと、「里見八犬伝」の舞台となった犬掛の里です。ここの地で、八房は玉梓の呪いのかかった
狸に育てられます。像は、八房と狸です。
IMGP2623

今回は、野山の植物を楽しみ、歴史に触れるツアーになりました。