イベントツアー「小塚大師の大祭」報告

27年度最後のウォーキングツアーを先日開催いたしました。来年度からは、イベントツアー
というツアー名がなくなってしまい、今年度最後のツアーにふさわしいウォーキングツアーと
なりました。

本日のコースは、たてやま野鳥の森駐車場から出発して、安房神社・小塚大師・資生堂創業者
の生誕地を巡ります。
まずは、安全を祈願して安房の一の宮・安房神社を参拝します。
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安房神社は安房国の一宮で、祭神は天太玉命。古代の安房開拓神話に登場する、安房忌部氏の
祖天富命が、祖神を祀ったものと言われています。

拝殿の近くにはは、綺麗な花が咲いていました。
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安房神社からすぐそばに忌部塚があります。
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安房神社洞窟から発見された人骨を、忌部一族の御霊・人骨として祀られています。

赤道を通り、安房神社の神主さんのお墓(奥津城(おくつき))へ。
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こちらは、あまり知られていない場所です。やはり神職の方なので、鳥居があります。
お参りの方法は、神社にお参りする時と同じように、柏手をうってお参りするそうです。

近くのお墓?の前には、狛犬がいました。
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奥津城を後にし、小久保ケ谷やぐらへ。
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やぐらは中世の武士のお墓です。五輪塔と宝篋印塔の断石が見られます。
丘の中腹にあり、落ち葉などで埋もれてきています。

やぐらの近くに「ごりんさま」と書かれた祠があります。
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この祠は、木の洞に祀られいます。
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安房地域で色々な場所に行っていますが、なかなか見られない光景です。

次に大神宮義民七人様の供養碑がある千祥寺へ。
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大神宮村で起こった農民一揆の犠牲者7名を大神宮義民七人様と呼んでいます。
寛文12年(1672)に大神宮村の領主旗本河野三左衛門は、年貢を引き上げたばかりか、
村人の山支配を禁じて材木を独占し、大凶作のときも厳しく年貢を取り立てました。
農民たち15人は、江戸の河野家に直接押しかけて、年貢の減免などを要求する門訴を
しましたが、訴えた農民全員を所払いのうえ家財没収にされていましました。そこで、
天和2年(1682)に、今度は直接幕府に領主の悪政を訴えたものの、一人の農民が偽証し
河野側に有利な判決となってしまい、名主小柴三郎左衛門ら訴えた7人は処刑され、家
族たちは家財をとられ追放となったといわれています。

千祥寺を後にし、小塚大師へ。途中、誰が彫ったのか?磨崖仏?があります。
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小塚大師は、弘法大師が創建したという真言宗のお寺です。正式には遍智院といい、弘法
大師が本尊です。東京の西新井大師・神奈川の川崎大師と共に、関東厄除大師として知ら
れています。
本堂の裏の方に行きますと、資生堂の創業者福原有信家のお墓があります。また、仏前に
供える水を汲むための井戸(閼伽井)があり、この井戸に弘法大師は自分の姿を映して像
を彫ったと伝えられています。
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なぜか?本堂の写真がないのですが・・・当日は、大判焼きやらたい焼き、お好み焼きなど
のお店が出ていまして・・・そちらに夢中で、写真を撮るのを忘れてしましました。

そんなこんなで、お参りしてお腹に詰めて、次へ向かいます。
次に向かったのが、岩屋地蔵です。
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全体のわかる写真がありませんが・・・
本尊のお地蔵さまはお堂の裏の崖に彫り込んであります。このお地蔵さまは、弘法大師
が自分の手の爪で彫ったものだと伝えられていて、爪彫り地蔵とも呼ばれています。
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通常は、鍵がかかっていて見れませんが、今回は特別に空けて見せてもらいました。
暗い場所に彫られていますので、写真は懐中電灯を当てて撮っています。

次に向かったのは、竜岡神社。ここで昼食を取らせていただきました。

お腹いっぱいの後は、資生堂の創始者の福原有信のゆかりのある場所に向かいます。
っとその前に姥神社へ。
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姥神の信仰は日本各地にあって、子育てをする女性(乳母=うば)に関連した伝承が
あり、子供の疱瘡や咳をなおす神として信仰されていました。

次の予定場所・松ケ岡八幡宮の前に、地元の方のご厚意で菜花摘みをさせていただきました。
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ありがとうございます。

思いがけないサプライズがあり足取りも軽く、松ケ岡八幡宮へ。
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松岡地区の鎮守で、祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)。鳥居は資生堂の創始者
福原有信が明治44年(1911)に奉納したものです。平成7年に社殿を新築したときには、
資生堂が記念碑を建てています。

福原有信さんの話を少ししますかねぇ~
先ほどから書いてますが、銀座資生堂の創始者です。松岡村の名主の家から出ていて、里見家
家臣の家柄と伝えられています。父は漢学者でしたが、祖父有斎は漢方医であり薬学に通じて
いたといいます。幕府医学所(現・東京大学医学部)で西洋薬学をまなび、明治になって海軍
病院の薬局長となりました。その翌年、1972年23歳の時には、官を辞して、民間初の洋
風調剤薬局として資生堂を開業しました。
他から来た人は、なんで資生堂なんだ??と思うかと思いますが、生誕の地だったんです。

八幡宮の裏山に金毘羅様があります。
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地元の方たちで整備していて、椿の木を植えるという話をしてました。
椿といえば、資生堂ですね。

最後の見学場所、松岡観音へ。
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おいと塚ともいいます。その昔、お糸という女性が病気平癒の祈願をして叶い、建てた
ものだと伝えられています。寛文2年(1662)に滝田や白浜などの念仏講の人々が建立し
た石造の観音様が祀られています。

あとは、野鳥の森へ帰るのみです。自分たちでいうのもなんですが・・・なかなか面白い
コースでした。

さて、もう4月から28年度がスターとします。第1弾目は、4月17日日曜日月イチツアー
「加茂坂から沓見の郷へ」です。加茂坂第3弾になりますが、新たな発見がある場所です。
是非、お越し下さい。ちなみに・・・予定表は、順次道の駅とかに置いていきます。
とりあえず、今のところは渚の駅たてやま・館山市コミュニティーセンター・豊津ホールに
置いてあります。

月イチツアー「白浜城跡縦断」報告

今年度も残すところあと少しです。また旅倶楽部でも来年度(28年度)のウォーキングツアー予定表
を作成しました。印刷の上がりが発送作業が完了しました。3月中までには、安房の道の駅さんに置か
せていただけるように、配りに行きますので、もう少しお待ち下さい。

さて、2月に予定しておりました月イチツアーの「白浜城跡縦断」でしたが、当日は雨にみまわれてし
まい延期となりました。でも、中止ではもったいないとの事で、3月に入り復活ツアーとしてやりま
した。少し天気が不安定な感じではありましたが・・・なんとか開催する事ができました。

出発地点は、旧白浜町役場からです。
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本日は、小学生の男の子が参加してくれました。

まずは、白浜小学校の前にあります道標を見学しました。
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この道標は、大正天皇御大典を記念して対象4年11月に立てられたものです。

次に、福寿院の前を通り青根原東登山口から白浜城跡を攻めていきます。
福寿院の前には、お地蔵さまが・・・
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福寿院は山号を明堂山といいます。曹洞宗のお寺で、本尊は木造釈迦如来(南房総市指定文化財)。
里見成義の菩提寺で成義の木像があります。

青根腹登山口から白浜城跡を縦断していきます。
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ここのところ、雨が多かったり日照不足だったり、イノシシが居たりで足場がかなり悪く
なっていて、注意しながら歩いて行きます。なので、足場がいいところでの写真しかあり
ません。

白浜城跡を縦断し、出たところで昼食を取り、舗装された道路を歩いて行きます。途中、
サルを見かけたりと・・・長尾藩陣屋跡へ。
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明治維新で徳川政権が300年にわたる政権を朝廷に返上すると、将軍慶喜は水戸へ隠退、家達が
徳川家を継いで1大名として駿河・遠江・三河で70万石の静岡藩主となりました。このため駿遠
の諸大名は房総へ領土を移され、田中藩主本多正訥安房国長尾藩主として長尾(白浜)に陣屋を構
えました。後に北条(館山市)へ陣屋を移しますが、時代の急速な変化に明治4年長尾藩は解体し
ます。明治元年(1868)、田中藩は長尾に陣屋を建設することで、準備が進められました。その地を
選定し、中心となってこの任に当たった藩の兵学者恩田仰岳です。明治2年から藩士の移住も進ん
でいましたが、その年の夏大風のため建設中の陣屋は倒壊し、翌年正月から北条へ移転計画がすす
められました。長尾への陣屋建設は当初より反対もあったため、陣屋倒壊で仰岳は職を辞します。
北条移転後は荒廃し、現在は山林と畑になっています。

白浜城跡の搦手口(島崎口)を通り、青木太子堂へ。
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南房総市指定文化財でもあります、木造聖徳太子立像が本尊として祀られています。

次は、青木観音堂へ。
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この観音堂には十一面観音が祀られています。他にも南房総市指定文化財の木像賓頭盧尊坐像が祀ら
れています。これは、永禄6年(1563)に源民部太輔という里見氏の一族が奉納したものです。

すぐそばにある、弘法大師の芋井戸へ。
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言い伝えが2パターンあるので、不思議なのですが・・・・
まずは、南房総市の民話から・・・
昔むかし、房州の青木の里に住んでいた意地悪な婆さんが、ある日、清水の湧く井戸端で里芋を洗って
いると、「お婆さん、私にその芋を少し分けてくださらんか。」と静かな声で頼む人がいました。振り
返って見ると、そこにはみすぼらしい旅のお坊さんが立っていましたので、婆さんは、「お前さんにや
る芋はねえよ。」とけんもほろろに断りました。旅のお坊さんは重ねて芋を布施してくれるように言った
のですが、それでも婆さんは、「この芋は石芋で食えねえよ。」と嘘をついてまた断りました。お坊さん
は、「さようか、石芋か。」と言い、婆さんの姿をじっと見ていました。家に帰った婆さんが、芋を煮て、
食べようと口に入れたところ、どれも石のように固く食べられなかったのです。怒った婆さんが、その芋
を洗った井戸へ投げ捨てますと、何と、煮た芋なのに青い葉が出て、間もなく井戸いっぱいに広がったの
です。婆さんは驚き、「あのお坊さんは弘法大師様だったに違いない、私は悪いことをした。」とすっか
り改心し、信心深い優しい人になりました。
次は、芋井戸の前にかかれている南房総市の教育委員会が作った看板の内容・・・
その昔、弘法大師が諸国遍歴のおり、当地青木に立ち寄りました、その時、一人の老婆が正月用に神仏に
供える里芋を洗っているのを見て、「お婆さん、その洗っている芋を一つ私にください」と言うと、老婆
は心良く、「はいはい」と土で汚れている芋を綺麗に洗い差し上げました。弘法大師は、その厚意に大変
喜ばれ、今もらった芋を池に入れ「この芋は、何千何百年末代まで枯れることなく、青々と繁り、綺麗な
花も咲きますよ」と老婆に言い、立ち去りました。その後、芋は芽を出し夏になると2メートル30セン
チ位に育ち、5・6本の黄色カンナに似た花が咲きます。やがて、どの花に黒いゴマ粒の倍位の実がなり
ます。冬が来ると、芋の丈は1メートル30センチ位に短くなり・・・・・
という感じです。
1つ目は、悪いお婆さんが改心した話で、2つ目は、最初からいいお婆さんという形です。皆さんはどっち
だと思いますか?

次に青根原神社へ。
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青木・根本・原田地区の神社が合祀されています。この場所は館の前といい、白浜城主の館があった所の
前といつことで、里見成義の墓があったといわれています。ここには天保3年(1832)に福寿院11世龍山
やその檀家によって立てられて記念碑があります。碑文は杖珠院古記に基づいたもので、白浜にいた里見
氏の歴史を記録してあります。

最後に、種林寺跡へ。
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里見義堯の長女種姫が建てたと言われている種林寺跡です。「種林寺顕彰碑」には、「義実の娘で小田喜
正木時茂の次男大太郎(永禄7年(1564)没)の妻となった種姫が建立した寺」という。種姫が建てた寺が
市原市朝生原にあります。富士山宝林寺といい、曹洞宗です。

ここで、雨が少し降り出しました。あとは、駐車場まで帰るだけで、急いで帰ります。
駐車場に着いたら本降りになりました。なんとか無事に天気がもってくれて助かりました。

今回は、白浜城跡縦断という事でしたが、南房総市白浜町のじょうやまの会のみなさんが、白浜城跡の
コースを整備しています。まだまだ、歩けるコースができると思います。

月イチツアー「鴨川港町の歴史を訪ねる」報告

3月に入り、だんだんと春めいてきました。
っと同時に花粉が大変な事になっております。マスクして歩くと苦しいし・・・
マスク外して歩いていますが、室内等に入ると大変な事になっております。
そんな花粉にも負けずに、鴨川の港町を歩いてきましたので報告します。

当日は、天候が不安定でして・・・集合時間には、雨が降っていたのですが、歩きだす前には
雨もやみました。最近は、なんかウォーキングツアーの日には天候が良くなくて、困っていま
したが、今回は晴れ女の勝ちだったようです。

集合場所は、鴨川フィッシャリーナ鴨川駐車場。神社仏閣を回って、一戦場公園・魚見塚へ。
まずは、白幡神社の所にある観音堂へ。
観音堂の前には、石造の五智如来があります。
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五智如来を簡単に説明しますと、密教で5つの知恵を5体の如来にあてたものだそうです。
石造の五智如来を刻んだものとしては安房地方で唯一の例で、板碑型に五智如来(五仏)の尊像
が浮き彫りにされています。中央が金剛界の大日如来、左上が阿弥陀如来、左下が阿閦如来、右
上が釈迦如来、右下が薬師如来です。ちょっと本来の配置になっていないので、不思議です。

白幡神社です。
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祭神は日本武尊。平安時代初期の弘仁2年(811)正月の創建と伝えられています。創建当時は海に
近い場所に建てられていたといいます。源頼朝が平家打倒と源家再建を祈願し、源家の旗である白
幡を納めたことから白幡大明神と言われるようになったといいます。彫刻は向拝正面の龍は初代義
光の作です。

次に向かったのは、心巌寺です。
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本尊は阿弥陀如来で、浄土宗の寺院です。
文永2年(1265)記主禅師が安房国北風原に創立し、天文2年(1533)「里見氏の内乱」により焼失
してしまいました。天正5年(1577)里見氏の重臣、正木頼房が土地を寄進して再建したと伝えられ
ています。創立した記主禅師という人は、すごい人なんです。浄土宗第三祖。二祖の弁長の教えを
継いで専念念仏をひろめ、多くの書を著して浄土宗の教学を大成しました。主として関東に布教し、
多数の寺院を建立して門弟の育成に専念し、浄土宗教団の発展への礎を作った人だそうです。

本堂の中には、これまた最近はっきりしたという初代伊八の彫刻があります。
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幅290cmの龍の彫刻2点が取り付けてあり、この龍は阿吽の一対になっています。
彩色は、比較的近年のものと思われますが、当初から色が塗られていたかはわかりません。

本堂前には、釈迦如来坐像があります。
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寛文4年(1664)と年代も古いもので、お顔をみるとなんだか微笑んでしまうお釈迦さまです。

境内の入口付近には、頼房と妻の二人の供養塔があります。
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次に向かったのは、石子山磨崖仏です。
心巌寺の裏山を地元では石子山と呼んでいるそうです。この山の崖には文字磨崖仏が刻まれています。
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高さ8mあまりの垂壁の上部には梵字の「ユ」が大きく薬研彫りされています。この梵字は弥勒菩薩
を表現したものだそうです。奉納者の中には、長野や四国徳島の人名まで刻まれています。
享保元年(1716)の造立です。
弥勒菩薩ってなに?と思った方、弥勒菩薩は、遠い未来、慈しみにより生あるものすべてを救うという
菩薩様です。

次は、一戦場へと向かいますが、ここから坂道がきついのです。石子山磨崖仏から一気に登りになる
のです。という事で、なんとか一戦場公園へ辿りつきました。
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ここは、源頼朝が石橋山の戦いに敗れ、伊豆から安房に逃れてきて鴨川市の貝渚あたりに辿りつき、
加茂川近くの八兵衛という網元の家に泊まりました。ところが、金山に居城をかまえていた長狭六郎
常伴が、百騎余りを従えて夜襲をかけてきました。情報提供者により、家人の三浦義澄は、先手を取
って戦い常伴群を打ち破り、常伴は討死して源氏の大勝利でこの戦いは終わりました。この戦いが行
われたのが、ここの「一戦場」として市民の公園になっています。

公園の手間には、嶺岡牧一戦場野馬土手址・大浦木戸址があります。
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ここは嶺岡山系の東端に位置しています。戦国時代、安房の国主里見氏により軍馬育成の為の牧場が
開かれて場所です。その後、江戸幕府の直轄となり、八代将軍吉宗の時代に大きく展開し、軍馬だけ
でなくインドから乳牛を導入し、日本酪農発祥の地となりました。嶺岡町では、野馬が崖から落ちた
り、牧の外に出て農作物を荒らさないように、牧を土手や掘、柵で囲っていました。年に一度、放牧
した馬を捕獲する「馬捕り」の行事が行われ、その光景は非常に壮観で祭りのような賑わいを見せた
といわれています。ここは、捕えられて馬を外に搬出する数少ない出口の一つになります。

お昼まで残り1つの見学場所、馬頭観音へ。
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県下最大級の馬頭観音です。三面六臂の馬頭観音坐像で、髪型は典型的な怒髪、その表情も憤怒相で
全身に緊張感がみなぎっています。結跏趺坐する脚の下には、波間に身を躍らせる竜の姿が確認でき
ます。高さは1.2mで、地元の蛇紋岩に彫られていて、江戸時代後期の作とされています。

お昼の時間になりました、一戦公園で昼食です。

昼食後は、魚見塚展望台へ向かいます。
この展望台が位置しれいる丘は、古くより漁師たちが沖の魚を見張っていた場所として「魚見塚」と
名付けられました。海抜110m地点に女神像「暁風」が建っています。
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この「暁風」は鴨川出身の彫刻家・長谷川昂作です。この像の前で愛を誓い、その証として鍵をかける
と「幸せが未来へ続く」と言われ愛が成就すると伝えられている事から、「近いの丘」とも呼ばれてい
ます。

次に大浦浅間神社を目指します。途中、珍しい二尊板碑があります。
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地蔵尊と阿弥陀様を浮き彫りした板碑です。15世紀前半(室町時代)のものと言われています。
風蝕が進み鮮明とはいえませんが、向かって右が阿弥陀如来、左が地蔵菩薩です。

大浦浅間神社です。
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祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめ)。御神徳は、安産子育、縁結び、海上安全です。

階段の上からは、港が見えます。この階段を下りていきます。
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参道には、富士講供養塔や庚申塔や手水鉢があります。寛政9年(1798)に磯村の地に生まれた松本
吉郎兵衛は26歳で信仰に目覚め、生涯で108度の富士登山を行ったそうです。明治15年まで
生きたそうで、石碑の多くはその吉郎兵衛を顕彰したものでもあります。石碑をよく見ると吉郎兵
衛の肖像が刻まれ、没後間もない時期に建立と考えられます。肖像は館山藩に出仕した狩野派の絵
師川名楽山の手なるものです。
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階段を下り少し歩くと、八雲神社になります。
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祭神は、天照大神・須佐之男命・事代主命。創建年歴の記録は残されていませんが、南北朝時代の
永和3年(1377)に出雲大社の分霊を移しました。八雲神社ははじめ、神仏習合の教えによりスサノオ
の化身である牛頭天王を祭神としたことから天王宮(天王さま)と呼ばれ、現在でも通称「天王様」
と呼ばれています。当初は別の所に鎮座していましたが、再三波浪のために損壊し、明治12年に現
在の地に遷りました。

こちらの向拝の龍の彫刻は、三代目武志伊八郎信美の作品です。
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扁額は後藤利兵衛橘義光の作品です。
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手水石は、「壽秀」の刻銘が刻まれていることから、武田石翁の作品です。
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向拝の龍が初代伊八だったら、安房の三大名工が揃ったのですが・・・

最後の見学場所は石見堂。
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本尊は真言宗の六観音のうちのひとつ、如意輪観音菩薩です。
正暦4年(993)、行基廻国の際、自作の観音像を安置し堂宇を建立したと伝えられています。
当初は、海面に浮かぶ岩山にありましたが、天保年間(1830~1844)に現在地へ移されました。
戦時中は、艦砲射撃を避けて、近所の女衆がリヤカーに乗せて10㎞先の山中にある白滝不動
まで疎開したそうです。

向拝の龍の彫刻は、2代目武志伊八郎信常のものです。
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こちらで、予定していました見学場所が終わりで、港の方に出て出発地点に戻ります。
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残念な事に、港の周辺はごみだらけ・・・
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残念な事です。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。ここで、見学にあたり、お願いがあります。
1.神社仏閣は、信仰の場です。常識ある行動をお願いします。
  ・騒いだりしないでください。・物に触れないでください。・勝手に上がらないで下さい等々
2.ごみは持ち帰りましょう。

最近、神社仏閣の見学のマナーが悪い人が増えてきているそうです。今まで見せていただけたのに、
見れなくなるケースもありますので、皆さまのご協力をお願いしまう。

という事で、鴨川港町の歴史を訪ねるは無事に終了しました。終了と同時に雨が降り出しました。
日頃の行いが良かったのでしょうか?

お散歩ツアー「いにしえの安東郷探索」報告

今年度最後のお散歩ツアーを開催しました。今回は、館山市にあります九重地区。九重地区は、
館山市の東部に位置し、古代には既に大規模な土地開発が行われた地域です。安東を中心に水
岡・宝貝などには南北朝時代前後の「やぐら」や石仏・石塔・仏像などが残され、中世にも有
力な豪族が活動していた事が分かります。そんな九重地区を散策してきました。

出発は、九重小学校の近くの空き地。まずは、道沿いにある六地蔵へ。
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六地蔵は寛保3年(1743)の銘が入っていて江戸時代に造られた物です。他にも馬頭観音など
の石造物がいくつかあります。

次に向かったのは熊野神社。
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境内には、大正大地震の記念碑などがあり、裏山には、複数の横穴があります。

薬師堂を通り、小さなトンネルをくぐって蓮蔵寺へ向かいます。
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蓮蔵寺の少し手前には、六地蔵と石仏群があります。その中になんとも優しいお顔をした
如意輪観音様がいます。側には丸彫りのお地蔵さまが2体あり、なんともいえないほっこり
した感情になります。
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蓮蔵寺は、曹洞宗の寺院で、本尊は南北朝時代作の木造釈迦如来坐像です。お寺の背後の山
の中腹には10数奇基の横穴があるそうです。
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次は、お隣?にある天満神社へ。
こちらの狛犬は、天保11年(1839)に長須賀の石工鈴木伊三郎が作ったものです。
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のどかな道を通り、水岡やぐらへと向かいます。途中、ふきのとうやセリなどが顔のぞかせて
いました。
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水岡やぐらは、私有地なので許可なく見学する事ができませんが、今回は地主さんの許可をいた
だき見せていただきました。(少し足場も悪いので気を付けて見学しました)
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「やぐら」は、中世(鎌倉時代中頃から室町時代前期ごろ)の武士・僧侶階級のお墓や供養施設
です。古代の人のお墓で横穴式古墳があり、見た目は山肌に穴を切り抜いているということで同
じように見られますが、横穴式古墳とやぐらの違いは、やぐらが平安時代からの有力者の墳墓堂
である法華堂を岩窟の堂とした仏殿であるということです。房総のやぐらは、古墳時代の横穴式
古墳をを転用しているのが多いのが特徴です。「やぐら」は鎌倉市周辺に多く分布しております
が、房総半島南部にも数多く存在します。武士階級のつながりや鎌倉寺社領の広がりや、東京湾
海上交通などが考えられ、やぐらが密集する地域が、鎌倉寺社領と重なっていことが多いそうです。
鎌倉と房総半島南部は深い繋がりがあったという事です。
この水岡やぐらを見たい方は、館山市の博物館にレプリカがありますので、そちらで御覧下さい。

次に向かったのが、紫雲寺です。
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曹洞宗の寺院で、本堂裏手にやぐらがあります。また、墓地内には、万石騒動で追放処分になった、
名主・庄右衛門のお墓があります。万石騒動というのは・・来年度のお散歩ツアーでお話しします。

最後に向かったのが、千手院です。
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尾根の先端に掘られた「やぐら」を、お堂に改造したもので、内部には本尊の石造千手観音坐像と、
文和2年(1353)の石造地蔵菩薩坐像などがあります。
やぐらの真上に南北朝時代と思わる宝篋印塔があります。
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石造地蔵菩薩坐像と宝篋印塔は館山市指定文化財です。

あとは、駐車場に帰るだけです。この時期は、道沿いに河津桜などを楽しむ事ができました。
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