シリーズツアー(花)「古代ハスと古泉千樫の生誕地」

梅雨明けしました~。これから夏本番です。館山・南房総は、昔から海水浴で人気のエリア
です。この間もNHKで沖の島が紹介されていました。房総半島の海の楽しみ方はいろいろあ
り、内房エリアは波も静かで小さいお子さんでも楽しめますし、外房エリアは波があるので、
サーフィンなんかで楽しめます。

さて、本題に戻りますが、先日、炎天下の中シリーズツアー(花)「古代ハスと古泉千樫の
生誕地」と題しまして、ウォーキングツアーを開催しました。場所は、鴨川市の長狭地区を
散策してきました。
集合場所、いつもお世話になっています、みんなみの里です。
IMGP1376

先ず最初に目指すのは、里見氏ゆかりのお寺、長安寺へ。
IMGP1378
のどかな景色を見ながら進んでいきます。

IMGP1380
みんなみの里から歩いて約30分(約1.5㎞)で到着です。

長安寺は、山号を冨川山(ふせんざん)、曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)
です。寺伝によれば、永正2年(1505)に受天英祜(じゅてんえいこ)大和尚が開創られた名刹で
す。以来、代々の住持の許に、多くの雲衲集まり、永平寺、總持寺の風儀と雲岫宗龍(本寺甲州
広厳院開山)和尚下の禅風を拳吹して、房州の地に新たに参禅の道場を開き弁道につとめたそう
です。同じ年、里見義弘が開創し、その翌年正木大膳時茂の帰依を受けて数年ならずして大伽藍
が完成し、時茂の娘、里見義頼の室「御隠居様」が開基となりました。しかし・・・里見義弘の
誕生は大永5年(1525)ですので、不可能です。一説には、里見義通の時代に正木時茂の父・正木
時綱が受天英祜和尚を拝請し、時茂の時代で伽藍が完成し、そして娘の「龍雲院」の時代に繁栄
したと考えた方が自然だと考えられます。永録4年(1561)に小田喜城主正木時茂が急逝すると、
長安寺を菩提寺とし、法名を長安院殿武山正文大居士としました。慶長年間には、里見義康の母
である御隠居様が正木時茂の娘であったことから、115石の寺領を与えられ、長狭地域の曹洞
宗の中核寺院となりました。徳川家からも10石の朱印地を与えられています。

山門です。
IMGP1388
山門に掛る「龍雲関」の額は当寺の院号からとったものです。周辺の大岩はノジュール(団魂)と
いい、嶺岡山系にある岩石です。山門の正面が本堂で、その背後には開山堂があります。

本日は、ご住職の御計らいにより本堂内を見学させていただきました。
IMGP1390

昔使っていた、籠があったり正木時茂の木像や御隠居様の木像が祀られています。
IMGP1397IMGP1404
この籠で、住職は江戸に行ったりしてたそうです。毎回、籠のあるお寺さんで思う事は、安房地域
の寺院は、鎌倉とかに負けないくらいの歴史や位があるのに・・・と思ってしまいます。
貴重な体験をさせていただき、ご住職・奥様ありがとうございます。

さて、本堂を後にして、正木時茂の供養塔と御隠居様の供養塔を見学します。
IMGP1419
右側が正木時茂の供養塔、左側が御隠居様の供養塔です。

長安寺を後にし、古泉千樫の生誕の地へ歩きます。途中、石碑や石仏があります。
IMGP1421IMGP1422IMGP1429IMGP1427

古泉千樫は、1886年に千葉県安房郡吉尾村に生まれました。1900年吉尾村高等小学校を卒業
し、母校の代用教員に採用され、1901年千葉町の教員講習所に入所し、小学校准訓導の資格を得
ました。1902年、安房郡田原村の竹平校に奉職して、生家から朝夕往復60町ばかりの道を通っ
ていました。安川文時に師事し、1905年に彼から「千樫」の号を授かります。正岡子規の風を慕
い、のち上京して伊藤左千夫に敬慕師事します。齋藤茂吉、島木赤彦、中村憲吉と共に大歌集「アラ
ラギ」を支えました。生家はすでに建て替えられていますが、古い面影を残す椿の井戸を中心に県の
史跡に指定されています。代表作「みんなみの 嶺岡山のやくる火の こよひもあかく見えにけるか
も」の歌碑があります。 (写真は、別用があり撮れてません。ごめんなさい)

次は、個人のお宅が所有しています、ハス田を見せていただきにいきました。
IMGP1431IMGP1436IMGP1440IMGP1433

次は、細野の熊野神社へ。ここで昼食です。
IMGP1447
祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)。本殿は神明造りで鴨川ではここだけだそうです。
鳥居の左には末社があり、八雲神社・秋葉神社・日枝神社・稲荷神社・不明1社があります。向拝
の龍の彫刻は、明治26年(1893)宮山の太田五良平の作です。

次は、帰路の途中にあります、金毘羅神社と八幡神社を見てみんなみの里へ向かいました。
IMGP1448IMGP1449

今回のコースの距離は約6kmでした。暑い中、なんとか無事に全員みんなみの里に到着しました。
お邪魔させていただきました、寺院、施設のみなさまありがとうございます。

月イチツアー「山の集落「畑」探訪」報告

7月に入りました。前半は肌寒い日があったりと雨が長く降ったりとありましたが、ここ
数日は、急な猛暑で体が付いていけてなようです。
あと、館山・南房総ではお祭りシーズン到来です。7月の土日は、どこかでお祭りがやって
います。血が騒ぐ季節になりました。

さて、7月初めの日曜日に月イチツアー「山の集落「畑」探訪」を開催しましたので、報告
します。まずは、畑小学校跡に集合です。「畑地区」ってどんなところ?とお思いだと思い
ますので、少しご紹介を・・・実は・・・私も余り知らなかった地区です。「畑(はた)」
という地区があるというのは、中学校の時から知っていましたが、数年前まで、一度も足を
踏み入れた事がなかった地域でした。
畑地区は豊房地区の奥、南房総市の千倉町と白浜町に接する山間部にあります。平家の落人伝
説もある静かな集落です。農業では、正月用の生け花として使う千両栽培がさかんに行われて
います。千両は実のつきがよく、その品質の高さで全国的にも有名です。
平成22年4月に広域農道安房グリーンラインが開通して行きやすくなりました。

長尾三神社へお参りしてから、ウォーキングスタートです。
IMGP1363
長尾三神社は、畑地区の鎮守です。元々は、長尾神社・八幡神社・八雲神社の3社ありましたが、
50余戸での維持が困難なため、大正9年に合祀が決まり、翌10年に長尾神社の地に新社殿を
造営し長尾三神社と名付けられました。境内には、自然石の力石が2個あります。
IMGP1214

お参りした後は、用水路を見に歩きます。畑地区は、長尾川の上流域に位置し、豊かな水源に恵ま
れていますが、川床が低いため、先人の知恵と工夫により、明治時代に灌漑用水路が敷設され、現
在でも地区内に張り巡らされた用水路が水を供給しています。
IMGP1364
この写真は、生活道路の下のトンネルを作り水を廻しています。この日は雨が降っていたので、水の
量が多かったです。

次に、畑小学校が使っていた川のプールを見に行きましたが・・・大雨により増水してしまって、そば
まで行く事ができませんでしたので、以前撮った写真で紹介します。
IMGP1878IMGP1877
50年程前には畑小学校にプールはなかったのですが、子供の為に保護者や村人の労力奉仕により、川
を堰き止め、コンクリート製の25mプールを作ったそうです。
今は、落ち葉なのどの堆積物が溜まってしまって使えませんが、とても涼しい所です。

次に向かったのが、報恩碑のある場所です。ここは、私有地ですので、許可を頂き、見学させてもらい
ました。
IMGP1366
報恩碑は、畑地区開拓の歴史を伝える碑です。今から1000年以上前に、新悟・萬悟・平作・野庄の
4人の落武者が畑へ逃げ延びてきたことが記され、野庄が石井家の先祖であるとしています。明治29
年に石井金治が元長尾藩士で漢学者の恩田城山に撰文を、熊澤直見に篆額や文字を、俵光石に彫りを頼
んで建立したそうです。

次に水路を見学しに・・・
IMGP1218IMGP1216
上流に分水堰を作り、粘土質の岩盤に勾配を保ちながら水路をノミとツルハシで掘削していき、山に当れ
ば、二五穴隧道を掘り、谷や道路に掛れば樋を架け、嵐で壊され水漏れで悩まされ、最後は大掛かりなサ
イホン装置の築造になり、水路はやがて長尾川へ滝落としで川へ戻ります。

次に向かったのが、瑞龍院です。こちらも、通常は中を見学する事はできませんが、檀家総代さんや檀家
さんのご厚意により、今回特別に中を見せてもらう事ができました。ありがとうございます。
IMGP1220
瑞龍院は、曹洞宗の寺院で、天正5年(1577)の開創です。開基は里見義弘。本尊は虚空蔵菩薩で、義弘の
守り本尊が寄進されたと由緒書にあります。

堂内の欄間は、文化5年(1808)、長狭の武志伊八郎信由(初代伊八58歳)とその弟子森久八により彫ら
れた龍の彫刻があります。
IMGP1243IMGP1248IMGP1242

あと里見義弘の位碑や義弘像の頭部と伝えられれいる木像が安置されています。
IMGP1253IMGP1254
木像の義弘は結構イケメンに彫られています。
里見義弘の正室は小弓公方足利義明の娘で、鎌倉太平寺の住職青岳尼(しょうがくに)です。義弘が、鎌倉
を攻撃した時に、彼女に恋い焦がれるあまり、太平寺にいた青岳尼を訪れて、還俗して自分の妻になるよう
に勧めました。彼女もこれに応じて、江戸湾を渡り、義弘の元へやってきて正室になったのだそうです。こ
んな話を聞くと、やっぱり義弘は実物もイケメンだったのでは、ないでしょうか?

瑞龍院の見学した後は、本当だったら、奥の宝篋印塔などを見学する予定でしたが、天気予報では、午後から
雨が強くなる予報がでていましたので、今回は、食事をとり出発地点に戻り終了しました。

参加者のみなさん、畑地区のみなさん雨の中ご協力ありがとうございました。