梅雨明けしました~。これから夏本番です。館山・南房総は、昔から海水浴で人気のエリア
です。この間もNHKで沖の島が紹介されていました。房総半島の海の楽しみ方はいろいろあ
り、内房エリアは波も静かで小さいお子さんでも楽しめますし、外房エリアは波があるので、
サーフィンなんかで楽しめます。
さて、本題に戻りますが、先日、炎天下の中シリーズツアー(花)「古代ハスと古泉千樫の
生誕地」と題しまして、ウォーキングツアーを開催しました。場所は、鴨川市の長狭地区を
散策してきました。
集合場所、いつもお世話になっています、みんなみの里です。
先ず最初に目指すのは、里見氏ゆかりのお寺、長安寺へ。
のどかな景色を見ながら進んでいきます。
長安寺は、山号を冨川山(ふせんざん)、曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)
です。寺伝によれば、永正2年(1505)に受天英祜(じゅてんえいこ)大和尚が開創られた名刹で
す。以来、代々の住持の許に、多くの雲衲集まり、永平寺、總持寺の風儀と雲岫宗龍(本寺甲州
広厳院開山)和尚下の禅風を拳吹して、房州の地に新たに参禅の道場を開き弁道につとめたそう
です。同じ年、里見義弘が開創し、その翌年正木大膳時茂の帰依を受けて数年ならずして大伽藍
が完成し、時茂の娘、里見義頼の室「御隠居様」が開基となりました。しかし・・・里見義弘の
誕生は大永5年(1525)ですので、不可能です。一説には、里見義通の時代に正木時茂の父・正木
時綱が受天英祜和尚を拝請し、時茂の時代で伽藍が完成し、そして娘の「龍雲院」の時代に繁栄
したと考えた方が自然だと考えられます。永録4年(1561)に小田喜城主正木時茂が急逝すると、
長安寺を菩提寺とし、法名を長安院殿武山正文大居士としました。慶長年間には、里見義康の母
である御隠居様が正木時茂の娘であったことから、115石の寺領を与えられ、長狭地域の曹洞
宗の中核寺院となりました。徳川家からも10石の朱印地を与えられています。
山門です。
山門に掛る「龍雲関」の額は当寺の院号からとったものです。周辺の大岩はノジュール(団魂)と
いい、嶺岡山系にある岩石です。山門の正面が本堂で、その背後には開山堂があります。
本日は、ご住職の御計らいにより本堂内を見学させていただきました。
昔使っていた、籠があったり正木時茂の木像や御隠居様の木像が祀られています。
この籠で、住職は江戸に行ったりしてたそうです。毎回、籠のあるお寺さんで思う事は、安房地域
の寺院は、鎌倉とかに負けないくらいの歴史や位があるのに・・・と思ってしまいます。
貴重な体験をさせていただき、ご住職・奥様ありがとうございます。
さて、本堂を後にして、正木時茂の供養塔と御隠居様の供養塔を見学します。
右側が正木時茂の供養塔、左側が御隠居様の供養塔です。
長安寺を後にし、古泉千樫の生誕の地へ歩きます。途中、石碑や石仏があります。
古泉千樫は、1886年に千葉県安房郡吉尾村に生まれました。1900年吉尾村高等小学校を卒業
し、母校の代用教員に採用され、1901年千葉町の教員講習所に入所し、小学校准訓導の資格を得
ました。1902年、安房郡田原村の竹平校に奉職して、生家から朝夕往復60町ばかりの道を通っ
ていました。安川文時に師事し、1905年に彼から「千樫」の号を授かります。正岡子規の風を慕
い、のち上京して伊藤左千夫に敬慕師事します。齋藤茂吉、島木赤彦、中村憲吉と共に大歌集「アラ
ラギ」を支えました。生家はすでに建て替えられていますが、古い面影を残す椿の井戸を中心に県の
史跡に指定されています。代表作「みんなみの 嶺岡山のやくる火の こよひもあかく見えにけるか
も」の歌碑があります。 (写真は、別用があり撮れてません。ごめんなさい)
次は、個人のお宅が所有しています、ハス田を見せていただきにいきました。
次は、細野の熊野神社へ。ここで昼食です。
祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)。本殿は神明造りで鴨川ではここだけだそうです。
鳥居の左には末社があり、八雲神社・秋葉神社・日枝神社・稲荷神社・不明1社があります。向拝
の龍の彫刻は、明治26年(1893)宮山の太田五良平の作です。
次は、帰路の途中にあります、金毘羅神社と八幡神社を見てみんなみの里へ向かいました。
今回のコースの距離は約6kmでした。暑い中、なんとか無事に全員みんなみの里に到着しました。
お邪魔させていただきました、寺院、施設のみなさまありがとうございます。