月イチツアー「国札観音巡礼道」報告

夏本番です。毎日、猛暑が続いております。館山・南房総は、都内に比べると少し涼しい気が
します。海風のおかげでしょうか?
観光シーズンが始まって、海も賑わいをみせておりますが、くれぐれも事故には気を付けて下さい。

さて、このクソ暑い・・失礼しました。猛暑の中、月イチツアー「国札観音巡礼道」を開催しまし
た。実は、暑い日が続いていたので、申込が来ないかと思っていたら、開催日に近づくと申込みの
方が増えまして、ありがたい事です。

出発は、道の駅「鄙の里」からです。救護班を残し、元気に出発しましたが、最初から暑い。
最初の場所は、諏訪神社。

祭神は建御名方神。境内には天明3年(1783)、享保20年(1735)の庚申塔二基の他に、猿田彦大神
(明治17年)の碑もあります。

次は、安房国札22番にあたる勘修院。


真言宗智山派の寺院で、本尊は行基菩薩作と伝えられている千手観音菩薩です。山号は道場山。
元は寺の背後のリョウガイ山と称するところにあったと伝えられています。宝暦2年(1752)に
現在地に移されたといわれ、旧跡地には今も観音堂の痕跡が残っているそうです。
大正12年(1923)の関東大震災により、諸堂は全壊し、同14年に旧本堂と庫裏が再建されました。
境内には光明真言五百万遍供養塔や天明8年(1788)女性行者・貞信尼による廻国供養塔があります。

墓地には、漢学者・中村時中や、力士・常盤戸文吉の墓があります。

次は、薬王寺へ。

真言宗の寺院で、本尊は薬師如来。由緒は不詳です。現在は、音楽活動をされている方が、借りて
活動しています。

次は、三芳エリアのメインストリートを歩いて長谷寺を目指しますが、途中には、頼朝伝説が残され
ているので、少しお話ししながらあるきました。
少し紹介しておきます。県道88号線沿いには、千代(せんだい)という地名があります。
頼朝がここを通りかかった時、「源氏が千代に八千代に栄えるように」と命名した土地だといいます。
後に千代「ちよ」が「せんだい」という呼び名になりました。
同じく県道88号線沿いに「百不取」という場所があります。ここで頼朝軍の数が九十騎程になりま
した。百騎には足らなかったのでここを百騎不足(きゃっきたらず)と呼ぶようになり、やがて百不足
(ひゃくたらず)となり、百不取(ひゃくとらず)となったといいます。

頼朝伝説を説明し、県道88号沿いから少し入ると、小瀧先生遺徳之碑があります。

小瀧先生は滝田村下滝田の人です。幼くして、昼は農業に夜は読書に励み、明治10年に助教となり
訓導兼校長に累進し、29年にわたり本織村の教育に従事しました。病気で明治44年に亡くなりました。
享年59歳。昭和12年教え子により先生の偉業を称え碑が建てられました。

小瀧先生の碑から少し行くと、山が削られている所に、馬頭観音・青面金剛等の石造があります。
古い物は、文化14年(1817)のものがあります。

次は、長谷寺(ちょうこくじ)へ。

真言宗智山派の寺院で、本尊は十一面観音。由緒は不詳ですが、安房国札13番の札所です。
行基菩薩の開基と伝えられて、当初は近くにある観音山という山頂にありましたが、弘化3年(1846)
頃に今の場所へ移転されました。

ここで昼食です。今日は、道の駅三芳鄙の里内にあるます、カントリーマムのお弁当です。今回は、諸
事情により、私のお弁当はなかったのですが、美味しそうなお弁当でした。残念。

今回は、猛烈な暑さのため、ここで帰る人とまだ歩く人で分かれました。

歩く方は、滝田神社へ。

元諏訪神社といい、祭神は健御名方命(たけみなかたのみこと)。寛永2年(1625)の創建と伝えられて
います。棟札によると、現在の滝田神社は、明治41年に八雲・滝田・厳島・諏訪の4社を諏訪神社に合
祀し、滝田神社と命名したものです。裏山に琴平宮が祀られています。

あとは、県道88号線を道の駅三芳・鄙の里へと帰ります。
今年は、暑さがかなり厳しいかったので心配しましたが、みなさん無事に帰って来られました。

8月は、ウォーキングツアーはお休みです。9月からまた再開しますので、よろしくお願いします。