お散歩ツアー「洞穴に大昔の生活に思いを馳せる」報告

遅ればせながら、新年あけませしておめでとうございます。本年も「ガイドの独り事」にお付き
合いいただきありがとうございます。本年もよろしくお願いします。

新年、第一弾を先日開催しましたので報告します。
今回のツアーは、お散歩ツアー「洞穴に大昔の生活に思いを馳せる」でした。
開催日は大寒波が来る前だったので、歩きやすい天候で、お正月でなまった体を動かすにはちょう
どいい感じでした。

出発は、豊房公民館からです。まずは、豊房の大戸という地域の鎮守、白幡神社へ。

祭神は譽田別命(ほんだわけのみこと)。創建した年は定かではありませんが、寛永元年(1624)
に大円寺が創建されたので、その頃村人によって奉納されたものではないかと言われています。
白幡神社というのは、鎌倉鶴岡八幡宮の末社で源頼朝を祀る白旗神社を勧請したもので、祭神は
本来ならば頼朝なのですが、鶴岡八幡宮の祭神である応神天皇(譽田別命)を白幡神社の祭神に
していることが多く、この地域も鎌倉御家人から分けてもらったものと思われます。
明治19年に、住民から向拝の龍、牡丹、唐獅子、千鳥の彫刻が奉納されました。向拝の龍は、
房州後藤流初代義光の弟子の、北条の後藤正三郎忠明の作です。

次に向かったのは、お隣にある大円寺。
浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。江戸時代初め頃の寛永元年(1624)の創建で、それ以前は
禅宗のお寺だったといいます。境内には、東長田無駄の善兵エさんと母親が文化11年(1814)に供
養した十三仏があります。

仏教では輪廻転生という考えがあり、命日から四十九日の間に、故人が次に生まれ変わる来世が決ま
るとされています。来世とは、天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道の事です。
この間故人は七日ごとに、生前の行いに対して閻魔大王をはじめとする十王から裁きを受けるとされ
れていて、この六道の世界はどこへ行っても煩悩の苦しみがあり、それを超越した世界が極楽浄土と
されているので、残された家族は、故人が極楽浄土に行けるように、この裁きを受ける七日ごとに故
人に善を送る法要を営みます。十三仏は初七日から三十三回忌までの合わせて十三回の法要の守護仏
で、故人は十三仏に守られて極楽浄土に導かれ成仏するとされています。室町時代頃から始まった信
仰だと言われています。
通常は、掛け軸などに描かれていることが多いのですが、大円寺には石に彫られている珍しい物です。

次に向かったのは、福寿院です。

真言宗の寺院で本尊は不動明王です。詳細は不明。境内に元禄8年(1695)に建てられた如意輪観音像
があります。

さて次は、お題にもなっております熊野横穴群へと進んで行きます。
以前は、地元の小学生が見学に来ていたそうですが、最近は来なくなってしまって、簡単に歩いて行け
る道も無くなってしまったそうですが、地元の方にご協力をいただき歩く場所を作っていただきました。

東長田横穴古墳は、白幡神社から東の方に入った地域が東長田の熊野・角口の両地区で、標高52mほど
の丘陵の西麓にあります。この丘陵の南斜面に約37個の横穴が開口しています。
古墳時代に作られた横穴墓群は、長田保(東長田・西長田)が14世紀から15世紀(鎌倉時代~室町時
代頃)にかけて円覚寺(鎌倉)の寺領になり、横穴墓をやぐらとして再利用し、近世祠として再利用した
ものと思われます。
なかなか、横穴墓とヤグラの区別は難しそうです。横穴墓からやぐらにリフォームしているケースがある
そうです。

横穴墓を作れる人は、権力者が多く、作られる場所も眺めが良い場所に造られています。

長田保の見渡せる場所です。回りの樹々が大きくなってしまったので、少し邪魔をしていますが、当時は、
田畑を見渡せる景色だったんだなと想像できます。

さて、次に向かったのは千田城跡です。
千田城は長田城とも呼ばれ、里見義実によって築かれた城と言われています。
義実は白浜城を居城としまし、安房国を統一しましたが、白浜城では南に偏りすぎていて、
治世の上に不便でしたので、白浜城より10㎞ほど北のこの長田の地に居城を移したとい
います。城山は南方からきた山脈の突端で高さ70m、山上には平坦な畑地があり、これ
が本丸の地で今ジョウ山とよんでいます。本丸からは、東京湾も一望でき見晴らしが良い
場所です。

本丸から堀切を隔たて場所に、諏訪神社があります。

祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)。創建は江戸時代初期の元和4年(1618)の創
建と伝えられています。


明治14年(1881)、区民の有志により後藤義信作の龍神の彫刻が奉納されました。

諏訪神社から下ってくると、一つの石で作られた宝篋印塔があります。

左側の地蔵菩薩は、江戸時代中期と後期のものと考えられ、右側2つの宝篋印塔は、16世紀
以前のものと思われます。2基とも相輪部(上部)を欠失していて、違う物がのっています。

千田般若寺跡へ。
以前は尼寺の般若寺がありました。門前を白浜へ通じる道があったといわれています。

街道沿いに建てられたお地蔵さんはイボ取り地蔵と伝えられています。他にも不動明王石像
が祀られています。

次は、最後の見学先の千田やぐらへ。

千田城跡の西側民家の裏には、室町時代のヤグラがあり、五輪塔が4基並ぶものと、宝篋印塔
と五輪塔が混在して5基並ぶものと2カ所ありますが、今回は宝篋印塔と五輪塔が混在している
場所見学しました。通常は、民家の裏にありますので、見れない場所ですが特別に見学させて
いただきました。

あとは、出発地点へと戻り終了です。今回の、横穴墓群と千田やぐらは通常は見学できない場所
です。地域の方々によって見学させていただきました。これからも大事に保存してほしい場所です。
ご協力ありがとうございました。