月イチツアー「天空の道と浜通り・ご利益巡り」報告

春らしくなってきました。昔の人が「暑さ、寒さも彼岸まで」と言っていましたが、
その通りですね。お彼岸もすぎ、路地栽培のお花はそろそろ違う作物を植える準備
に入ります。景色の色も香りも変わってきます。

さて、お彼岸の中、月イチツアー「天空の道と浜通り・ご利益巡り」を開催しました。
下見の時は、風も強く小雨が時折降る中でしたが、開催日は「ウォーキングに最高!!」
という天気に恵まれました。

出発は、南房総市和田町にある道の駅和田浦WA・O!!です。いやぁ~朝から駐車場が
満杯でビックリしました。凄いお客さんの数!!と思いきや、サーファーさん達がいっぱい。
近隣の場所の駐車場は有料だから、ここを利用してるんですね。

今回は、WA・Oさんで作ってもらったお弁当を持って出発します。
まずは、国道を避けて海岸から一本中道を歩いていくと、御堂(地蔵堂)が見えてきます。
御堂の脇に立派な石碑があります。
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この揮毫記念碑は、万里小路通房が書いたものだそうです。万里小路通房とはなに?と思う
方がいるかと・・・
万里小路家(までのこうじけ)は、名家の家格を有する公家です。参議吉田資経の四男資通を
家祖とし、鎌倉時代中期に始まります。通房は27代当主です。
嘉永元年(1848)5月27日生まれ。戊辰戦争では大総督府参謀として東北に従軍。イギリス
留学後、工部省、宮内省に努めました。明治23年(1890)に辞して、館山市に移住しました。
明治28年(1895)に近代農業技術の第一人者を招いて指導を受け、なす・きゅうりを作った
のを機に、安房の促成栽培を始めます。教育や文化の振興にも努め、昭和7年(1932)に死去し
ました。 そんな方です。

漁師町の町を歩いていると、都会では見られなくなった井戸を見る事ができます。
あっ!最近では、災害に備えて井戸が復活している所もあるみたいですが・・
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次に訪れたのは、熊野神社です。
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和田地区の鎮守で、祭神は伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)です。

次に向かったのは、普門寺から弁天様です。普門寺は日蓮宗の寺院です。
弁天様は、海抜15mの所にあります。
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次に向かうのが、小浦稲荷。ここも階段で登って行かないとお参りできません。
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ここからの景色は、こんな感じです。
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ここは、ちょっと高所恐怖症の人にはつらいところかもしれません。

次は、威徳院から天畑からの真浦神社です。

威徳院は、真言宗智山派の寺院です。本尊は不動明王。養老年間(718~)の建立と伝えられています。
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ぼけ封じ関東三十三観音五番霊場でもあります。
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おふくさんという方もいて、幸せになりたい人はおふくさんの頭を撫でて下さいとの事です。
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天畑は、山の斜面を切り開いて花の栽培が行われている場所です。真浦天畑と言われている場所
は、田宮虎彦の小説「花」の舞台にもなり、、1989年に「花物語」として映画化された時には、
ロケ地として使われたそうです。
しかし、花農家の高齢化や後継者不足もあり、放置される畑が増え、雑草や竹が茂って荒れてし
まいましたが、平成20年に「真浦天畑保存会」を結成し、以前の景勝を取り戻そうと、整備に
取組み、元の姿を取り戻しつつあります。
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下見の時の景色はこんな感じです。
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しばしここで景色を楽しみました。

次は真浦神社(もうらじんじゃ)です。
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貞応年間(1222~)鎌倉時代に創建と伝わっています。祭神は天照大神・須佐之男命、表筒男神です。
昔は中三原の仙光院と威徳院が別当で阿口神社と称しまいた。

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参道には、御神石があり、参道入り口には、七福神と二宮尊徳の石像があります。

ここからは、また漁師町の海岸線を歩いていきます。
まずは、和田捕鯨基地です。
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説明の看板だけにしておきます。

次に竜宮様へ。
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江戸末期には「竜ヶ岬」と言った岬に、竜宮様とよばれる石宮が祀られていま。祭神や創設
の年は不明です。地元では「深海の底にあって竜神が住む宮殿」といわれ、海上安全・大漁
祈願・商売繁盛・家内繁栄を祈願し、元旦には初参りは鎮守の熊野神社へ、初日の出は竜宮様
がにぎあうそうです。 縁結びの鐘があり、この鐘を鳴らすと縁が結ばれるとか・・

竜宮様を後にし、いよいよお待ちかねのお弁当タイムです。
これを楽しみにに午前中歩いていたんですよ~。
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お腹が減っていたので、絵図らは関係ない写真です。エビフライ・から揚げ・シャケ・野菜
鯨の竜田揚げ・おにぎり3つ・玉子焼き・おしんこ・ミニトマトです。
この写真は、少し偽装していまして・・本来はエビフライは1尾なんですが、私だけ2尾に。
食べない方から頂きました。

お弁当も食べてお腹いっぱいですが、海岸線を通り、西福院へ。
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真言宗智山派のお寺で、本尊は大日如来です。創建は建久2年(1911)とされています。
弘法大師作の地蔵菩薩像が祀られている事などから、開山は奈良時代初期頃と推定され
ます。御堂には、行基菩薩の作の薬師如来像があります。
この薬師如来像は、むかし「堂窪」から移されたと伝えられています。永禄のある年の
大風に山火事が起き、その火が燃え移り堂窪の薬師堂が焼けてしまったそうです。里人
が薬師像を助け出そうと御堂にいきましたが、すでに薬師像はなく、不審に思いながら
帰宅したそうです。ところが、薬師像は不思議な霊力によって「堀ノ内」と呼ぶところ
の椿の大木に飛んできて留まり、毎夜、黄金の光を放ったのです。訳を知らぬ里人が恐
れおののき、西福院の和尚に相談すると、それを調べた和尚が、堂窪の薬師如来像であ
ると解り、ひとまず西福院の観音堂に安置しました。その後、御堂をたて安置しました。
というお話しがあります。
もう一つは、西福院に行く前のお話しです。
小田原の北条氏直が、里見氏を滅ぼして安房を我が物にしようと、軍船数百隻をもって
洲の崎沖から安房に侵入してきました。里見軍は重臣の正木筑前守が総指揮をとり防戦
したのですが、入れ替わり立ち替り押し寄せる多勢の北条軍と、疲れ果てた寡勢の里見
軍では、勝敗は歴然となりました。越前守はこの時、信仰していた薬師如来に瞑目し、
戦勝祈願をしますと、不思議なことに、どこからともなく十二人の大将が多くの夜叉軍
を率いて里見軍の加勢に現れ、たちまち北条軍を撃退したのです。おかげで安房は、こ
となきを得ました。筑前守は、加勢してくれた軍が、堂窪の薬師如来十二神将であるこ
とを知り、主君の里見義弘公に言上し、立派な薬師堂を造営したそうです。
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次は、御霊神社へ。
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祭神は高御産巣日神(たかみむすひのかみ)です。
向拝の彫刻は、後藤三次郎恒俊の作です。
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あとは、出発地点へ戻ります。のんびり畑道を通り、四季彩や香りを楽しむ事ができま
した。あとは、WAOに戻ってソフトクリームを食べて帰りました。(自腹です)

イベントツアー「安馬谷八幡神社御的神事と周辺」報告

今の時期、里山を歩くといろいろな香りがします。梅の香や土の匂い・・・たまに、田舎
どくとくな牛さん達の匂いがしますが・・それも田舎ならではの匂いです。

今回は、南房総市の安馬谷の八幡神社の御的神事を見学するウォーキングツアーの報告です。
ツアー報告の前に、「安馬谷」の由来についてお話しします。
源頼朝が、千倉の下立松原神社に参詣し、源氏の再興を祈ったとき、安馬谷の地区から、頼朝
に鞍馬(あんば)を差し出したためにこのような地名が付いたといわれています。
もう1つは、下立松原神社の神事にこの地域の人々が中心となり、鞍馬を差し出したことに由
来するとも伝わっています。

さて、出発は、旧丸山町役場からスターとです。
門を出て少しのところに「道標」があります。
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前には、「距 千葉懸廳二十五里十五町十六間」「東京三十五里三十町八間四尺」「印旛郡佐倉
二十九里三十二町五十二間二尺」と彫られています。他の面にも安房の村までの距離が掘られて
います。

御的神事が行われす安馬谷八幡神社を目指します。
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御的神事まで時間があるので、福性院へ。
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真言宗智山派のお寺で、本尊は地蔵菩薩です。明治の神仏分離まで安馬谷八幡神社の別当寺でした。
本堂の向拝の彫刻は、刻銘は確認できませんが、木鼻獅子と象鼻の構図・作風から三代伊八・信美
と考えられているそうです。
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不動堂の向拝の彫刻は後藤義光63歳の作で、宝珠をつかんだ躍動感のある作品です。
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境内には、石造地蔵菩薩像があり、南房総市指定雄健文化財です。
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福性院より離れた墓地にあったのですが、現在地に移転しました。材質は、蛇紋岩で高さ52㎝・幅32㎝
と可愛らしいお地蔵さんです。

御的神事が始まる時間になりましたので、八幡神社へ向かいます。
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祭神は誉田別命。創建については、元禄年間に別当寺であった福性院が火災にあってしまい古文書等一切を
焼失してしまったので分かりませんが、口碑によれば、宝永6年(1709)に社殿が再建されたと伝えられてい
ます。かつては、峯・安馬谷・加茂・沓見・西原・岩糸・沼を含めた大瀦(おおぬま)郷の郷社だったとい
います。

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御神的神事は、いつごろから行われていたかは明確ではないのですが、源頼朝が天下泰平を祈願して流鏑馬
を行ったことに由来し、頼朝に縁のあつ同神社でも流鏑馬を奉納したことが始まりとされています。
当時は、天下泰平・五穀豊穣を祈願し、八幡神社参道二の鳥居直道より、古式のとおり馬上より行っていま
したが、ある年、その矢があやまって見物人に当る事故をきっかけに歩射になったといいます。
奉射する矢は9本で、3本づつ早生・中生・晩生という順で射っていきます。的は、一辺が6尺の井桁に紙
をはったもので、中心の黒丸(一尺一寸)に当れば9分作、矢にウネリがあって大きく外れた場合は、台風
がある・・・などと判断し、その年の作況を占います。今回は、ギャラリーも多かったですが、バンバン決
まってましたので、良い年になるでしょう!!

御神的神事も終わり久保城跡へ。
久保城は、千倉・丸山にかけて築城され、2キロ四方にある下道・久手畠・高房の背戸山久保大口谷の部落
と最深部は千本谷・実成谷と展開しています。特徴は。各三系にわたり出城があり、独立して戦える砦とな
っています。
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現在は、安馬谷里山研究会のみなさんが、整備されていて、四季折々の花が楽しめたりします。
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展望台からの景色です。和田の海岸線が見えます。
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後は、来た道を帰ります。そういえば、八幡神社近くにこんな物が・・・
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綱つり(道切り)です。正月から2月にかけて行われる伝統行事です。
一般的に綱つり行事は、ムラの外から邪悪なものや疫病が、ムラの中に入ってくるのを
防ぐためのもので、災いを封じると豊作になるという考えから、五穀豊穣を願って綱つ
りを行っています。疫病神は道を通ってやってくると言われていましたので、ムラの出
入口にあたる道で行われました。地域によって綱につるす物が違いますが、ワラで作ら
れた草履・草鞋・桟俵・サイコロ・刀・タワシ・杉の葉・唐辛子等があります。
例えば、大きな履物だと、大きな履物を履く巨人がいるよと知らせ、外的を威嚇する意味
だったり、未完成の物だと、満足に作ることができない貧しいムラだから、入ってもしか
たないと、疫病神に諦めさせる。というような言われがあります。
最近は、少なくなってきていますが、鴨川や南房総市で見られます。

無事に出発地点に到着しました。次回もお楽しみに・・・