特別企画歴史ツアー「後藤利兵衛橘義光」報告

11月に入り、また旅倶楽部でも文化・芸術を楽しむ歴史ツアーを開催しました。
今年は、「安房三名工」の一人「初代後藤利兵衛橘義光」の生誕200年を記念して安房に
残さた初代義光の作品を見学しに行きました。

集合場所は、いつもの館山市の城山公園から出発です。
見学場所を説明する前に、初代後藤義光の事を少しお話ししておきます。
初代は義光は安房の代表的な宮彫り師で、木彫彫刻の名手と言われ、現在も続く後藤彫りの
初代です。文化12年(1815)、千倉の大工山口弥兵衛の子として生まれました。幼少より、
彫り物の才能をあらわし、14歳の時に高さ4尺の大黒天を刻み、人々を驚かせました。
江戸京橋に住む宮彫り師、後藤三次郎橘恒俊が、文政年間に長狭の社寺造営に訪れた際、利
兵衛は三次郎に入門し、数年後、師に代わり「後藤利兵衛光定」の名で神奈川県横須賀市浦賀
の叶神社の社殿彫刻を彫り名声を上げました。30歳代頃に鎌倉で活躍をし、42歳になって
千倉へ帰郷し、多くの作品を手掛けました。80歳の初め頃に、館山市上真倉に移り住み、
明治35年(1902)に88歳で亡くなりましたが、多くの作品と多くの弟子を育てました。

今回のコースは、そんな初代義光の作品を見に、最初に目指したのは、西養寺へ。
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真言宗のお寺で本尊は不動明王です。義光の菩提寺で、初代義光(利兵衛)夫婦・二代義光
(紋次郎義政)夫婦・三代義光(山口滝治)夫婦・三代義光次男(光治)などの墓があります。

作品は、客殿向拝の玉取龍・象・獅子の彫刻です。
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天保15年(1844)、義光がまだ光定と称していた頃のもので30歳の頃の作品です。

墓地の入口に蛇紋岩で造られた260cm程の石造地蔵菩薩半跏像です。
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南房総市指定文化財で、嘉永年間~明治十年代で、反花座正面に「牡丹」・基礎正面に「獅子」
・左綿に「波に宝珠」・右面に「波に亀」が彫刻されています。

他にも義光作と言われている作品がありますが、他は秘密にしておきましょう。

彫刻では、ありませんが、魚籃観音堂もご紹介しておきます。
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屋根に銅製の大きな鯛が乗っています。外房・内房の漁師の信仰が厚く、地域産業の振興、家運繁盛
塔の祈願所として参拝者が多かったといいます。

お墓です。
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次に目指したのは、鴨川市にあります龍性院。
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真言宗のお寺で本尊は大日如来。創建年代は不明です。かつては福性院と言われていましたが、明治
3年(1870)、不動山龍性院に併合されて龍性院と改めました。山号の飛梅山は、源頼朝がここに立ち
寄り梅の枝を刺して吉報を待ったことに由来するそうです。

本堂向拝の龍です。
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二体の龍が、上下に置かれていますが、下段は平成12年の本堂新築時に作成されたものです。
上段の龍は、慶応4年(1868)、義光54歳の作品です。工事中に一部修復されました。

本堂には、同年代の作として、弟子の利三郎・庄三郎・勝次郎等と共に彫った鷹に松の欄間彫刻
があります。
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客殿には文久3年(1863)、義光49歳の作で木鼻の獅子や籠彫りによる鯉に波の肘木や三代義光
の蛙股などが保管されています。
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今回は特別に、本堂と客殿を見学させてもらいましたので、勝手に入ったりしないようにして下さい。

昼食は、鴨川市のみんなみの里で・・・・
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農村のレストランだけあって、野菜中心の昼食です。おにぎりのお米は長狭米。
おいしくいただきました。

昼食のあとに向かったのは、大徳院。
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真言宗智山派円蔵院末のお寺で、現在の本尊は不動明王です。寺伝によれば、境内の地蔵堂は天文年間
(1532~1555)、里見義堯により建立され、地蔵菩薩を本尊とし不動明王、毘沙門天を祀っていたと伝え
られています。地蔵堂には、今も不動明王、毘沙門天を脇に据えた木造の地蔵菩薩立像があります。

地蔵堂の中に、総高192cm、像高95cm、膝前76cmの石造地蔵菩薩坐像があります。
明治5年(1872)、義光58歳に作成したものです。
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本像は、嶺岡山系産出の蛇紋岩を用い、光背から地蔵像及び請花、敷茄子までを一石として、返り花を
配した六角形の台座をもう一つの石に彫っています。石造地蔵尊としては安房郡市内において、最大級
とされ、義光が最初に手掛けた石造物と思われます。

こちらも通常は、開けて見る事ができないのですが、1月24日の初地蔵の日に開けて見る事ができます。
今回は特別にご住職に許可をいただき、檀家さんに来てもらい開けてもらいました。

次に向かったのは、勝善寺です。
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浄土真宗(真宗大谷派)で本尊は阿弥陀如来です。開創は元仁元年(1224)とされています。
明治3年(1870)の火災後、現本堂は明治13年(1880)に、向拝は明治35年(1902)に再建されました。

総けやき造りで、向拝を四本にして向拝正面を三分割し、中央の龍の左右には、阿吽の虎が配されて
います。梁の先端(木鼻)には巻き毛に牙・足・火炎をもつ獏。向拝柱の四本に取り付けられた四態
の手ばさみは圧巻です。義光晩年の88歳の作品です。義光は、明治35年この仕事を終えて没して
います。
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本日は、ご住職の計らいで本堂でお話しを聞く事ができました。
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また、また旅倶楽部の語り部とコラボでお寺にまつわる飛び石の民話も披露いたしました。
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今回のツアー最後の見学場所、妙本寺へ。
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日蓮宗富士門流の本山で本尊は十界曼荼羅。日郷上人が保田の地頭佐々宇左衛門尉から寺地の
寄進をうけ、建武2年(1335)に開創しました。戦国時代に数々の兵火により堂宇の大半を焼失
しています。現在の客殿は、元治元年(1864)に造営しました。

客殿向拝の龍と蟇股の龍は義光50歳の作品です。
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他に力士像には「喜内伊丹敏英作」とあり、獅子鼻・しかみなどの彫刻は宮大工伊丹喜ないの作です。

5か所めぐってきましたが、素晴らしい彫刻でした。
最近では、なかなかお寺に行く事がなくなってきているようですが、仏さまに手を合わせるだけでは
なく、彫刻や歴史について少し調べてみると、お寺も近くなるような気がします。これから紅葉も良く
なってくる季節です。ぜひ、お寺さんにも足を運んでみてください。

お参りする際には、信仰の場ですので、マナーを守って下さい。以前、別のご住職からお聞きしたので
すが、「法事をやっているのにもかかわらず、本堂に入ってきて困った」とか「木魚をたたいた」とか
「急にこられて、本堂を開けて見せろ」とか自分勝手な方がいるそうです。あと、仏像が盗まれたり、
彫刻が盗まれたりという話も聞きます。勝手に物を持ってきては窃盗です。勝手に本堂に入るのは不法
侵入です。全て犯罪になりますので、節度のある行動をお願いします。

月イチツアー「稲村城から宝貝の里」報告

11月になってしまいました。 だんだんと寒くなってきて、なんとなく寂しい雰囲気に
なってくると「旅」に出たい気分になってきます。温泉でゆっくりとしたいなぁ~なんて
思ってしまいますが・・・・

今回は、10月25日に開催しました、月イチツアー「稲村城から宝貝の里」の報告をします。
天候にも恵まれ、気持ちのいいウォーキングになりました。

出発は、稲村城の下のお宅の空地をお借りしました。今回は、千葉市の方からもご参加いただき
ありがたい事です。
今回のコースは、稲村城跡から白浜城跡へ向かう古道なんかも通るコースです。

まずは、稲村城跡へ。
稲村城は、室町時代の15世紀後半から天文3年(1534)に里見家の内乱によって、里見義豊が
滅ぼされるまでの、前期里見氏の居城でした。城は東西500m、南北500mの丘陵で山頂は
広い主郭や土塁、3箇所の堀切などがあり、北側と西側は急斜面の要害で、東側と南側には複雑
な腰曲輪を重ねるなど、数多くの遺構が残されいます。2012年に国史跡指定になりました。
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今回は、富士山まで見えました。
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城下の景色は違いますが、当時も富士山がバッチリ見えてたんでしょうね。

ここからは、白浜古道を通っていきます。昔は、白浜までの道があったらしいのですが、新しい
道路を作っていしまったので、分断されたり埋もれたりしてしまったらしいので、今日は少しの
距離を歩きます。
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小一時間位歩いて行くと稲村堰が見えます。
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この日は日曜日という事で、習志野ナンバーの車が数台止まって、ブラックバスを釣りに来てい
ました。

稲村堰を後にし、舗装した道路をあるきます。途中、たくさんの牛がいたりして、田舎の臭いの
洗礼そうけながら、宝貝地域へ。
宝貝(ほうがい)の里は、応永30年(1423)の鎌倉公方足利持氏御教書に安東又三郎の旧領地と
して安房国安東郷内「朴谷村」とみられます。宝貝の地名は「ホウガヤツ」がなまったものでだと
言われ、今も「宝ケ谷」という小字が残っています。鎌倉の極楽寺子院宝塔院の所領があったこと
が確認されています。また、江戸時代には北条藩屋代氏が支配しましたが、以降領主が度々交代
しています。

覚性院へ。
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真言宗のお寺で、千倉町の円蔵院の末寺、当国百八箇所地蔵尊の内六十九番札所です。
中世の石造阿弥陀像と宝筐印塔の残欠が見られます。
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入り後津の六地蔵はお盆の8月24日には地蔵参りとして昭和40年頃まで露天商が
並び賑わいを見せていました。
ちなみにこれが、入口の六地蔵です。
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こちらで、お昼休憩です。休憩の後は、伝説の場所へ。
覚性院の脇に小高い丘陵があります。ここはお墓の墓地となっています。この丘の頂上に
石造の小さな祠があります。村の人々は「レイジンサマ(伶人様)」と呼んで、大切に祀って
います。「伶人」は、一般的に雅楽を奏する人を指していますが、宝貝の伶人様は少々怨念
めいた言い伝えがあります。 昔、お寺にいたお坊さんは他人のものを盗む悪い人でした。
あまりに悪事を重ねるので、これに耐えかねた村の人は、このお坊さんを山奥へ連れていって、
生き埋めにしてしまいました。それ以来、村には悪い風邪が流行し、幾たびも疫病に悩まされ
るようになりました。「これはきっとお坊さんの祟りにちがいない・・・」と、人々は祠を
作り、手厚く供養すると、疫病もはやらなくなり、村は平和にたりました。
この伝説がいつ頃のことかはわかりませんが、以来宝貝では毎年8月20日えお伶人様の日と
決めて、オコモリをするようになりました。
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次に向かったのは、宝貝地区の氏神様の熊野神社。
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祭神はイザナギ・イザナミの命。1月20日には祭典が行われ、五穀豊穣、家内安全の祈願
されます。2月3日の節分の夜には境内を刈り清めた木々が積まれ、厄除けの大火が炊かれ
ます。

ここまで、きたらあとは帰路に向かいますが、途中、須藤牧場で休憩を・・・
ここでは、牧場の牛乳を使ったアイスクリームを楽しむ事ができます。
残念ながら、食べるのに夢中で写真を撮るのを忘れていました。

JR九重駅を通り、集合場所へ。途中に二子という地区があります。丘陵の北部の突き出た
二子上の小山につなんでつけられたといわれています。その山頂にはふたつの塚がみられ、
これはリョウシャ様といわれ里見の高田姫が生んだ双子を祀ったとの伝説があります。

こちらの地域は、古くから鎌倉幕府とのつながりがあった場所でもあります。2月には、
お散歩ツアーで安東郷を探索します。

天気もよく無事にウォーキングツアーは終了しました。次回の月イチツアーは11月15日、
「頼朝伝説と古道「木の根峠」を訪ねる」です。ご参加お待ちしております。