月イチツアー「新緑を楽しみながら小向ダム周遊」報告

GWはみなさまいかがお過ごしでしたでしょうか?館山・南房総市では、里帰りの方や
観光の方の車が多かったような・・・
そんなこんなで、楽しかったGWも終わり通常モードに切り替えなければ・・・

5月10日に月イチツアーを開催。天候にも恵まれ南房総市和田町の山間を散策しました。
出発は、昨年もお世話になりました自然の宿「くすの木」から出発です。坂道を登って行く
と少し苔の生えた階段が見えてきます。その階段を登ると1つ目の見学場所の宝性院へ辿り
つきます。
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宝性院は、真言宗智山派の寺院です。本尊は不動明王で、脇侍は虚空蔵菩薩です。

本堂の手前の建物は、虫神を祀っている御堂です。
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この虫神は、江戸中期以降、この地域では小児病虫と、稲作害虫に悩まされ続けました。
明和年間(1764~1772)宝性院興雅和尚は、虚空蔵菩薩のお告げにより「久留里城の東川谷
の本社」より、虫神を勧請し、虫除けの祈願をしました。夏至には虫送りの祈祷祭礼を行い
ました。霊験は病虫封除は勿論、農作物を豊かに稔らせ近郷近在、長狭内湾方面からも鳥図
絵馬を奉納し、息災豊穣を祈念する人々が昭和初期まで続いたそうです。なお、農作物の虫
除けのほか、子供の虫封じの信仰もあついものがあったそうです。昭和56年(1981)に南房
総市の文化財に指定されています。

もう1つ手前にも御堂があります。虚空蔵菩薩が祀られています。
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宝性院を後にし、左手に三原川・小向ダムを見ながら、真言院へ。
途中、車にひかれてしまったアナグマに出会いました。
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心優しい人が、車道から歩道に移してくれたみたいです。

他にも山ツツジや馬頭観音など、見ることができます。
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真言院へ到着です。
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真言院は、真言宗智山派の寺院で、山号は別墅山です。本尊は、阿弥陀如来です。
昔、裏山の大崩落により堂塔がすべて埋没したため、万治年間(1658~1660)、平塚の萱久保に
移り、100年余りの後、火災の為焼失、旧地の別墅に堂宇を再建しました。薬師堂内の欄間
にははめこまれた着色板絵は、地獄極楽図で、内陣には極楽図が6枚と外陣には地獄図が18枚
がはめ込まれています。天明16年(1786)、正統派の仏画絵師林勝吉によって描かれたもので、
死後どうなるかを教える為に描かれたと言われています。平成8年に南房総市の文化財に指定
されました。
今回は、ご住職からご説明を聞く事ができました。
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この絵は、閻魔様です。最近、石仏を壊したり、向拝の彫刻を盗んだりという話を聞きますが、
そんな事をしたら、死後、この閻魔様に裁かれ大変な事になってしまいます。くれぐれも、この
独り事を見た方は、そんな事をなさらないで下さい。罰が当たります。

ご住職のご厚意により、こちらで昼食を食べさせていただきました。今回は、「くすの木」の
お弁当でしたが・・・食べる方が忙しく、写真を撮るのを忘れてしまいました。とっても美味し
く頂きました。

お腹もいっぱいになった所で、森林浴を楽しみながら、歩いていきます。
午後1に訪れた場所は、正勝神社です。
祭神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあがかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)
旧小向村の鎮守です。日本神話に登場する神で、天照大神と素戔嗚尊のウケヒ(占いの一種)に
よって生まれた神様で、天照の髪飾りの玉を、素戔嗚が聖泉ですすいだあと、噛んで吹き出した
その霧のなかから生まれたそうです。

林道を通り途中植物の説明を交えながら、出発地点へ戻ります。
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新緑を楽しみながらウォーキングは無事終了しました。

シリーズツアー(花)「フジの花のタペストリー」報告

ゴールデンウィークに突入しました。9連休とか12連休とかの方がいると思うと「羨ましい
なぁ~」なんて思ったりしますが・・・天気に恵まれるといいです。

さて、4月28日に今年度のシリーズツアー(花)「フジの花のタペストリー」のウォーキング
ツアーを鋸南町開催しました。
富浦ICから鋸南富山ICの途中の山に紫色のフジの花を沢山見ることができます。山は新緑の緑と
牡丹桜のピンクとフジの紫が見えて素敵な時期です。

出発場所は、鋸南町にあります頼朝上陸地点。
館山市の洲崎にも頼朝上陸地点がありますが、「吾妻鏡」と「平家物語」の違いで正式には、鋸南
町に上陸した事になっています。

準備体操をして出発です。海岸線を歩いて行くと島が見えます。みさご島と浮島です。
みさご島は、古代ロマンの伝説があります。その昔、大和朝廷から東国平定を任されたヤマトタケ
ルノミコトが、内海を渡ろうとすると、突然の大嵐で船が沈みそうになりました。その時、妃の
オトタチバナヒメが身代わりに海に身を投げだして、海神の怒りを静め、無事に房総に渡ることが
できたのです。ヒメのなきがらが流れ着いたのが、みさご島と言われています。
浮島には、東国平定をなしとげたヤマトタケルノの死後、父の景行天皇は、同じ旅路をたどり、勝
山の浮島に来ました。浮島がとても気に入った天皇は、ここにしばらく滞在したそうです。この時、
家来のイワカムツカリノミコトが、大きな白ハマグリやカツオを料理して天皇に差し上げたところ、
たいへん喜ばれたそうです。以来、イワカムツカリノミコトは料理の神様として祀られています。
今TVドラマで「天皇の料理人」がやってますが、初代天皇の料理人は、イワカムツカリノミコトと
いう事になりますかねぇ。

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海岸を過ぎると、昭和の香りが漂う場所へ。左手には大黒山、右手には旅館や民宿が・・・
その大黒山にフジの花が咲いております。
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ちょっと分かりづらいですが・・・少し早かったようで、あと1週間もすると花が満開になるとの
事です。

フジの花のウンチクを少し・・・日本では、古くからフジを女性に、マツを男性にたとえ、これら
を近くに植える風習があったそうです。日本には、ヤマフジなど数種類が自生し、古くから園芸品種
がつくられてきました。つるが時計回りに巻くフジに対して、ヤマフジはより大きな花が咲き、つる
が反時計回りに巻き付きます。花言葉は、「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」だ
そうです。

大黒山周辺には、昔、遊園地と水族館があったそうです。遊園地は勝山遊園地・水族館は竜宮城水族館
です。昭和28年に開園して30年代後半に閉館したそうです。
img_0 当時の水族館の写真

大黒山の岩肌を利用した水族館を造り定置網にかかった珍しい魚を観賞用として飼育すると共に、サル
や孔雀などの動物も観光用として飼育していたそうです。

勝山漁港を通りすぎ、八幡山へ。その後、勝山藩陣屋跡へ。
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今は、駐車場や住宅にになっていますが、屋敷稲荷が残っています。
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その後、鯨塚へ。
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江戸時代に捕鯨が行われていました。醍醐新兵衛が組織した鯨組の漁師たちが、大勢で船を山し、
勝山沖にやってくる、ツチクジラをとっていました。解体した鯨からは、油をしぼったり、肉は
干してくじらのタレにして食べていました。漁が終わると、出刃組と呼ばれた解体する人たちは、
小さな石のほこらを建てて、鯨への感謝と供養として祀りました。

次は、特福寺へ。
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真言宗智山派の寺院です。
 
次は、田子台遺跡へ。
知る人ぞ知る場所です。何十年も房総に住んでいますが、行った事のない場所でした。
この田子台遺跡は、標高約70mの台地に立地し、台地の北の低地部に佐久間川が流れ、南には
岩井川が流れています。発掘調査は、昭和27年に早稲田大学が調査し、その結果、弥生時代後期
の居住跡が2軒が検出されています。昭和29年に県指定史跡となり、調査の翌年に居住跡が復元
されましたが、平成19年に落雷で焼失してしまいました。
今は、こんな感じです。
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遺跡の近くにある長林寺へ。
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こちらは曹洞宗の寺院です。五百年近く前に開創されたお寺です。勝山藩初代藩主の父、酒井忠朝と
の関係が深く、昔から檀家の人達に「忠朝様は隠れキリシタン」と言われていたそうです。首なしの
石仏はキリシタン像、母子観音はマリア像だと言い伝えられています。今は本堂のあるとか・・・

天寧寺へ向かいます。途中にいろいろな花を楽しむ事ができました。
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天寧寺は、臨済宗建長寺派の寺院です。当初は、律宗のお寺でしたが、足利尊氏が禅宗に改め、禅師・
古先印元大和尚を迎えて臨済禅刹の第一祖としました。禅師が中国の丁寧寺からもたらした釈迦如来坐
像。お寺の名前の起源はここから来るようです。
仁王門の掲額「房州古禅林」は幕末三舟のひとり、山岡鉄舟の揮毫もよるものです。
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もう一つ、身代わり猫地蔵というのがあります。
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元々は招き猫石像だったのですが、2010年3月に大阪から遷座してきました。経緯は、由来碑文
にかいてありますが、元々は大阪のお茶屋に置かれ守神だった招猫でしたが、戦後、お茶屋の廃業の
廃業の際に猫好きな女性が引き取り、自宅前に祀られました。風雨に曝され、石の猫地蔵に変わり果
て、更に、バイクや車に当てられ招猫の左手を欠いてまで家の者に怪我人を出さぬようにしたと言い
ます。しかし代も替り家の立ち退きを求められ、またも居場所を失ってしまいました。落ち着き先と
して天寧寺がが名乗り上げたといいます。

さて、猫さんにも挨拶をして、出発地へ足を進めます。その途中にある竜島の神明神社へ。
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祭神は天照大御神。
石橋山の合戦で敗れた源頼朝が上陸したその日、神明神社のある神明の森で一夜を過ごしました。
地域の住民たちは、酒や食料・衣服などを持ち寄り、頼朝一行をとても親切に手厚くもてなし、頼朝は、
住民の親切に大変喜び、これらの人々に姓を与えたという伝承があります。
「左右加(そうか)」や「馬賀」という姓が残っています。

あとは、出発地点に戻り終了です。今日は、10㎞弱の距離でした。