お散歩ツアー「妙音院守りの人々の里」報告

1月も後半になりました。お正月休みがなんかずっと前だったような気がしてしまいます。平成最後のお正月は、いかがでしたか? 毎年、小塚大師に初詣に行くのですが、おみくじを引いたら「果報は寝て待て」だったので、寝て待とうかと思ってます。出来れば、本当に寝ていたいくらいです。

さて、1月最初のお散歩ツアーは「妙音院守りの人々の里」を開催してきました。 妙音院は、現在館山市にありますが、ずっ~とずぅ~っと昔は、南房総市の白浜にあったそうです。そこから、館山に移る時に、6軒の人々が移り住みました。その里を訪ねてきました。

集合場所は、白浜の城山登山駐車場です。ここから長尾城跡&陣屋跡をぬけて、長尾川上流へと歩いていきます。

長尾藩陣屋跡と・・
慶応3年(1867)大政奉還で徳川政権が300年にわたる政権を朝廷に返上すると、将軍徳川慶喜は水戸へ隠退、家達(いえさと)が徳川家を継いで、1大名として駿河・遠江・三河で70万石の静岡藩主となりました。そのあおりを受け、駿河の諸大名は房総へ領地を移され、田中藩主本多正訥は安房国長尾藩主として長尾(白浜)に陣屋を構えました。

明治元年(1868)、新政府から房州転封を通達せれると、田中藩(本多氏)は、長尾に陣屋を建設することで、準備が進められました。この地を選定し、中心となってここの任に当たったには、藩の兵学者恩田仰岳です。明治2年から藩士の移転も進んでいましたが、その年の夏、大風のため建設中の陣屋は倒壊し、翌年正月から北条へ移転計画がすすめられました。長尾への陣屋建設は当初より、反対もあったため、陣屋倒壊で恩田仰岳は譴責を受け職を辞します。北条鶴ケ谷移転後は、時代の急速な変化に明治4年長尾藩は解体しました。長尾藩陣屋跡は、現在は山林と畑になっています。

白浜浄水場の前を通り、曲田地区へと向かい、まずは片須田山不動尊へ。

本尊は不動明王。境内には文化14年の三山碑があります。

曲田地区とは、館山市の妙音院周辺の小字は、海蔵寺といい、ふるい寺があったことを窺わせます。妙音院の前身かどうかわかりませんが、言伝えに、もとは海蔵寺は、長尾川中流に(白浜の滝田)にあり、寺の移転と同時に上流の曲田から6軒の人が移り住み、門前6軒といわれ、寺の鐘つきなどをしていたといいます。又、「延喜式」の中に、安房の国「白浜馬牧」と記載があり、地形からみても長尾川上流で、山に囲まれたこの地とされています。


曲田地域は眺望にしました。

次に向かうのは、滝山地域です。今来た道を戻ります。
滝山地区への入口には、手づくりの標識があります。

滝山地区は、狭い地域なのに、金銅寺・大門院・廃寺・薬師堂と4軒ものお寺があります。昭和21年に電気が通じたといいます。

先ずは、金剛院へ。

真言宗智山派の寺院です。

すぐの所に、大門院があります。

大門院には、南房総市指定文化財の木造菩薩形坐像・木造天部立像・木造金剛力士立像・木造僧形坐像が祀られています。

木造菩薩形坐像は、像高53センチ 髻を結い、宝冠を戴いて両肩を衣で覆う形式の像です。製作年代は、11世紀半ば前後とみられています。

木造天部形立像は、乙像、像高68.8センチ。甲像、像高70.1センチ。大門院の伝来像で本尊厨子の左右に安置されています。製作時期は、平安時代後期も11世紀あたりまで遡ると思われるそうです。

木造金剛力士立像は、阿形像、像高165センチ。吽形像、像高161.8センチ。等身大の仁王像です。檜材の寄木造で、当初は玉眼を嵌められていたとみられます。両像おも動勢を抑えた太造りの姿形で、ほとんど腰を捻らず、足の踏み出しもわずかです。また阿形像にみられる忿怒相も怒りの表情が抑えられています。製作は、室町時代の前半だと考えられています。本仁王像のような本格的な寄木造の雄作が大門院の仁王門(現在はありません)に造立されたこと、そして町内では他に例をみない仁王像として伝存したことは貴重だと言われています。

木造僧形坐像は、像高34.6cm。 だいぶ傷んでしまって、像容がはっきりしないため、製作年代の推定は困難ですが、平安時代後期、12世紀の作りだと考えられています。

小さなお堂ですが、古いものが多く残されているというのは、古くから大切に信仰されてきたんだなぁ~と感じられます。

次は、廃寺になってしまった場所へ。海蔵寺だった場所じゃないかと言われています。

次に、薬師堂跡へ。

ここは、もと薬師堂があったところです。現在、薬師像は、館山市の自然村の薬師堂に祀られています。この奥への道は、薬師巡礼道があり、下立松原神社の前身があった御幣山に通じています。

あとは、出発地点に戻り終了です。滝田地区は、家の戸数は少ないですが、4軒もお寺さんがあるなんて、ビックリでした。

1月の月イチツアーの報告は、申し訳ありませんが腰痛悪化の為、下見及び当日も歩けませんでしたので、1月月イチツアーの報告はお休みさせていただきます。