お散歩ツアー「佐久間ダム」報告

梅雨真っ只中の館山・南房総。晴れ間が出ると洗濯!!と思ってしまうのですが・・・
現実は・・・残念。

梅雨なので雨が降りますが、また旅倶楽部は注意報や警報が出ないとウォーキングツアーは
開催する方向なんです。山道とかは別ですが、雨は雨で良い景色を見る事が出来るので・・
カッパなど着て歩きます。今回のお散歩ツアー「佐久間ダム」は、雨の中を歩いてきました。

今回の報告の写真は、下見の時に撮ったものを多く使います。雨に濡れてしまいカメラが壊れて
しまうと、自腹で直さないといけないので・・・前回、壊れて18000円かかり、かなりダメージ
だったのです。

出発は、湖畔の休憩処から出発し、マラソンメダリスト記念碑へと向かいます。

「夢」と題された碑には、マラソンの小出義雄監督と高橋尚子選手の短歌が刻まれています。
オリンピックメダリストの高橋尚子さん・有森裕子さん、世界陸上メダリストの鈴木博美さんの
足型も彫られています。「なぜ?ここに?」と思うかと思いますが、リクルート陸上部が鋸南町
で合宿したことで、小出監督と懇意になり記念碑が建てられたそうです。

今回は「佐久間三滝を眺める」という裏テーマがありまして、1つ目の滝を見に行きます。
途中、アヒル・カモ?達が歓迎してくれました。

ガイドの説明まで聞いていて・・・

かわいいやつらです。

乙井沢の滝です。

佐久間ダムの上流にある滝です。乙井沢の近くの家の屋号で「ホトシザワ(仏沢)」でしたが、
「オトイザワ」に転じたそうです。

次は越の下の滝へ。

林道のような道を登り、分かれ道を下っていくと、田跡の脇に樋のような細い流れがあります。
「越の下の滝」といい、かつては水車が据えられ精米などに活用されていたそうです。
この名前も、「越」という屋号の家の下にあることから「越の下の滝」と呼ばれているそうです。

次に向かうのは、最後の滝・宮田の滝です。
川のほとりを歩いて行くと宮田の滝に辿りつきます。

なかなか良い道で、天気がよければ・・・

宮田の滝です。

もみじの葉や雑草に邪魔されてこの時期、見づらくなっていました。
下見の時は、こんな感じです。

川の源流部近く、山からの水がここに集中しています。コンクリートの構造物は、かつて簡易
水道の奥山水道組合の水源として活用されていた時のものです。
この滝の名前は、滝のある場所の小字が宮田なので、宮田の滝です。

こちらの場所は、ホタルの里としても活動されています。

自然豊かな場所なので、行かれる方は生態系を壊さないようにして下さい。

ここで、雨も強くなってきましたので、本当ならば山を登る予定でしたが、通常の舗装された道
で戻ります。最後は、三山供養塔(大日塚)へと向かいます。
駐車したスペースの前の階段を上っていくと見えてきます。

月山・湯殿山・羽黒山と書かれています。月山は阿弥陀如来、湯殿山は金剛界大日如来、羽黒山
は、聖観音菩薩になります。

こちらは、宝永元年(1704)の大日如来です。

願懸大日如来石佛尊です。

大日様は雨風にさらされていますが、宝銭受処は立派な小屋になっていました。
小屋の右側に写っているのが大日様です。

最初登った時、この小屋の中に大日様がいるかと思ってしまいました(笑)

雨足が強くなってきましたので、今日のウォーキングはここで終わりです。
鋸南町にある佐久間ダムは、四季折々の植物を楽しむ事ができます。今の時期は、あじさいや
蓮の花も見る事ができます。自然豊かな場所ですので、訪れてみてはいかがでしょうか?
道が狭い場所がありますので、気を付けて下さい。
次回は、7月の月イチツアーの報告です。
最近は、「ツアー報告だけ?」と小耳にはさみますが、なかなか出る機会がありません。なるべく
月1回は、違う記事を書くように努力したいと思います。

月イチツアー「潮騒を聞きながら漁師町天津を歩く」報告

梅雨入りしましたねぇ~。なんだか、梅雨だと心がブルーになってきて、腰の調子も良くなくなり
ます。事務所に閉じこもってると・・・やっぱり梅雨は嫌ですね。
そんな梅雨入りした館山・南房総ですが、ウォーキングツアーを開催しました。なんとか雨も降らず
楽しいウォーキングになったかと思います。

今回は、鴨川市にあります天津エリアを散策してきましたので、報告します。
出発は、二タ間駐車場。鴨川市の駐車場になるんですが、ここがまた説明するのが大変でして・・・
また旅倶楽部が企画するとコースの都合上なんかで、駐車場が難しくなっちゃうんでですよ・・・
すみません。

さて、本題に戻りまして、二タ間駐車場から出発し、最初に行くのは閻魔堂です。

通称「芝堂」と呼ばれています。堂内には阿弥陀如来、閻魔王、奪衣婆の三体の像が祀られています。
奪衣婆(だつえば)ですが、三途川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る
老婆の鬼です。奪衣婆が剥ぎ取った衣服は、懸衣翁(けんえおう)という老爺によって衣領樹にかけら
れます。剥ぎ取った衣の重さによって死後の処遇が決められるとされています。
江戸時代末期には、奪衣婆を祀ったお堂などが建立され、民間信仰では奪衣婆は、疫病除け・咳止め、
特に子供の百日咳に効き目があると言われていました。(諸説あります)
こちらのお堂には、奪衣婆からはじまって、閻魔王に裁きを受け、最終的に阿弥陀如来によって極楽
浄土へと導いてもらうという、像の構成になっているんですね。

お堂の入口の両脇には六地蔵立像が建立されています。

このお地蔵様は天津小湊地域の中で最も大きな六地蔵様です。200年以上前から見守っています。

次は、萬福寺と須賀神社へ。

天台宗の寺院で蔵王山観音院と号します。本尊は聖観世音菩薩。厨子の中には、本尊と四天王が安置され
ており、脇立は、不動明王と毘沙門天が立ち、厨子前には聖観音が立っています。


御詠歌を刻む額は、初代後藤義光の作です。以前は外にあったそうですが、今は本堂内に掲げられています。
奥様に、中を見させていただきました。ありがとうございます。

すぐ隣には、須賀神社があります。

祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。後に行きます、天津神明宮の主祭神である天照皇大御神の弟にあたる
素戔嗚尊が祀られています。御神輿は、外房一帯でも大きく重い大神輿です。暴れ神輿とも有名で、7月の
最終金・土・日に祭礼が行われ、大神輿が町を練り歩きます。


鳥居は、天津神明宮と同じに式年鳥居の神事の際にあわせて建て替え神事が行われます。

次は、海福寺へ。

真言宗智山派の寺院で山号を宝蔵山と言います。本尊は阿弥陀如来三尊像です。
室町時代初期の応永4年(1397)の創建と伝えられている法蔵山海福寺が、昭和45年近隣にあった同宗
同派の久光山吉祥院・東光山宝泉寺・普光山持明院の三ヵ寺と合併し、山号を宝蔵山と改めて現在のお寺
になりました。旧海福寺は、江戸時代初期の正保4年(1647)に徳川家から清澄寺を賜った頼勢法印によっ
て中興され、旧天津村の正蓮坊・弁天堂・地蔵堂(現大師堂)を管理しましたが、文政7年(1824)の天津
村大火によって、御本尊こそ救い出したものの、吉祥院・宝泉寺と共に堂宇のほとんどを焼失してしてし
まったそうで、寺歴を語る史料がないそうです。江戸期の様子は、本寺にあたる勝福寺(鴨川市川代)の
史料などによって知るだけになってしまっています。
本堂には、本尊の阿弥陀如来三尊像のほか、厨子の右袖に長狭観音札所の本尊千手観世音菩薩、左袖に安房
国地蔵札所の本尊の地蔵菩薩があります。

境内には、いろいろな石造物があります。

宝篋印塔と大乗妙典塔。


筆子塚。

宝篋印塔。天津地域で最も高い宝篋印塔です。

庚申塔。天津地域で、最も古い延宝8年(1680)のものです。

あと境内にはお堂も建てられています。

真ん中のお堂が「大日堂」向かって右が「淡嶋堂」、左が「稲荷社」です。

大日堂

堂内には、真言宗密教の中心仏の「大日如来」、真言宗の宗祖「弘法大師空海」、防火防止の
守護神「愛宕明神」の三尊をお祀りしています。

淡嶋堂

江戸時代にこの地に進出してきた関西漁民が、紀州の淡嶋明神を歓請したのが始まりと伝えられ
ています。古来から、お飾りしなくなったお雛様や使われなくなった裁縫針を納める信仰があります。

稲荷社

旧吉祥院が京都の伏見稲荷から歓請した正一位稲荷と旧海福寺にあった福徳稲荷をお祀りして
います。
まだまだ、ありますがこの辺で次へと向かいます。

すぐお隣にある善覚寺へ。

浄土真宗の地震で本尊は阿弥陀如来。もとは、近江国高島郡(現滋賀県高島市)に慶安元年(1648)
4月3日の創立。慶安4年(1651)3月4日に現在地へ移転しました。鴨川市指定有形民俗文化財
「善覚寺の近世文書」は、関西漁民の関東出漁を伝える貴重な思慮としてのこっており、墓地には
紀州出身者の墓石が多く見られます。
先ほど行った海福寺には、淡嶋堂も関西漁民が勧請していたので関西漁民が信仰していたことが
わかります。


本堂向拝の彫刻は、武志伊八郎信常(二代伊八)によって1840年頃製作されました。
二代伊八は初代伊八の実子として、天明6年(1786)頃に生まれました。
二代伊八の詳細は不明ですが、初代伊八のそばで技術を磨いたと推測されています。
初代伊八の弟子・島村久八郎由勝らとともに重要なメンバーとして工房の活動を支えていたと考え
られます。二代伊八の確実な作例は以外と少ないため、彼の諡号の全体像を把握することは困難で
す。銘を記した作品も少ないため、こちらな信常の銘が記載された作品は、基準作にも位置づけ
られる貴重な作品なんだそうです。

次は日澄寺です。

日蓮宗の寺院で、本尊は十界勧請の大曼荼羅。開創は日蓮聖人。
文永元年(1264)11月11日、小松原法難の折に殉職した天津領主工藤左近将監吉隆公の居館
でしたが、その嫡子刑部阿闍梨長栄坊日隆上人が父の菩提を弔うために建立しました。吉隆公
は、鎌倉幕府出仕中に四条金吾公、池上宗仲公等とともに日蓮聖人に深く帰依しました。文永
元年秋、日蓮聖人は母の病気見舞いに小湊へ帰りましたが、花房の蓮華寺から天津の工藤吉隆
公の館を訪ねる道すがら、東条の小松原で地頭・東条景信の伏兵に襲撃されました。これが「
小松原法難」です。この法難で、日蓮聖人は頭部に三寸余りの刀傷をうける危難にあい、救援
に駆け付けた吉隆公は討死しました。聖人は、吉隆公の霊を弔うために出家の礼をとり、妙隆
院日玉上人の法号を与えました。

本堂の裏手には、吉隆公のお墓があります。

ご住職に少しお話ししていただきました。ありがとうございます。

そろそろお腹がすいてきました。お弁当までのひと踏ん張り天津神明宮へと向かいます。

祭神は天照皇大神・豊受大神・八重事代主神(えびす様)。大山祇大神ほか七柱の神を合祀して
います。神代の昔、天孫降臨(天照大神の御孫が地上を治めるために高天原から降臨したこと)
に当たり国譲りした事代主神が海路でこの地に移り、東方鎮護の神として鎮座し、これを「もう
け明神」と崇敬したことが始まりと伝えられています。
その後、治承4年(1180)石橋山の戦いに敗れ、安房に逃れた源頼朝が源氏の再興を伊勢神宮に祈
願し、みごと成就したことにより、天下平定ののち、寿永3年(1184)、伊勢より神霊を歓請し、
もうけ明神とともにお祀りされてのが「房州伊勢の宮」と仰がれるようになりました。


境内にある「まるばちしゃの木」です。安房以西、四国、九州、沖縄、相碗などの暖地に自生する
落葉小高木です。天津小湊地域の数箇所で自生していますが、この地域がまるばちしゃの木の北限
とされています。境内にはこの木が4本あり、まるばちしゃの木の中でも古木に属し、大きいもの
は、幹回り1.5mにもなります。千葉県の天然記念物に指定されています。

さぁ~昼食の時間になりました。今回は天津神明宮さんのご厚意により、椅子を使わせていただき
ました。宮司さんもいらっしゃいまして、昔の天津のお話しなど、楽しくお聞かせ下さいました。
ありがとうございます。

お腹もいっぱいになったところで、次の正蓮坊へと出発です。

本尊は閻魔王。堂内の中央の厨子には、閻魔王像が安置され、十王、奪衣婆像、弘法大師が祀られ
ています。正蓮という僧が建立したという伝承から「正蓮坊」と呼ばれています。

堂の入口には、正蓮法師の霊を祀った石碑があります。

あとは、海岸線を通り駐車場までの道を行きます。途中、明神の鯛へ寄り道。

この明神の鯛は、千葉県指定天然記念物です。天津漁港と二タ間海岸の間の沖合200m
ほどのところに明神礁と呼ばれる岩礁があります。この付近は水深5mほどと浅いのですが、
多くの魚類が生息しています。大正時代に、この海域に群れて生息するクロダイを保護し、
鑑賞するために地元から天然記念物の要請があり、県は昭和10年(1935)に指定しました。
昭和8年には禁漁区となり、タイ見物船も出て町の観光拠点として賑わったそうです。船べ
りを叩くと、いっせいに魚が集まる様子は壮観だったといいます。タイ見学船は、第二次世界
大戦で中断されましたが、昭和38年(1963)に復活し、その後10年間ほど行われていました。

あとは駐車場へと戻るだけです。今回のツアーも見どころ満載で、ガイドの独り言を書くのが
大変です。だけど、狭いエリアに多くの神社仏閣があり、それだけ信仰していたことが分かる
地域でした。7月の月イチツアーは、反対側の浜荻地区を歩きます。天津小富士と呼ばれる
引土浅間山も登っちゃいます。

お散歩ツアー「正木の里・村の鎮守と野仏めぐり」報告

だんだんと暑い日が多くなっています。田んぼの苗は、すくすく育って来て圃場一面が深緑に
なって綺麗です。

今回は、お散歩ツアー「正木の里・村の鎮守と野仏めぐり」の報告します。
出発地は、若夫婦でイチジク農園を経営しています「館山パイオニアファーム」さんの駐車場
をお借りして、出発です。

館山パイオニアファームさんは、いくつかの品種のイチジクを栽培していて、8月中旬ごろから
イチジク狩りを楽しむことができます。イチジク狩りのオフシーズンは、イチジクの苗作り体験
やイベントなども開催しています。建物の所では、いちじくのアイスクリームやパウンドケーキ
・ジャムなども販売しています。詳しくはHPで御覧ください。https://www.pioneer-farm.jp/

最初に向かうのは、姫塚です。

ちょっと塚が見えませんが、田んぼのあぜ道の脇にひっそりと石宮と五輪塔が祀られています。
地元では、里見の姫を葬ったものと伝えられています。昔は、一段低い田の中にあったといい、
農地改良により現在の場所に移されました。

次に向かうは、六所神社。

創建年代や由緒・祭神は不明です。安房国総社とされています。総社とされるのは、近辺の地名に
府中があり、府中の近くにある社号を持つ神社ということが根拠となっています。神社が所在する
西郷は、里見氏時代の府中を東国府と称したことに対する、国府の西側という意味ともされています。

境内には、明治18年(1885)に建てられた浅間祠があります。

本殿向かって左側には、クジラの骨を祀った祠があります。

クジラの骨わかりますか?
少し残念なのが、だれもお参りにきていないのでしょうか?草が茂っていて・・・・

次の場所に行く道の途中に祠があります。

祠は白山社で、祭神は白比咩大神(しらひめおおかみ)で五穀豊穣の神様です。地元では歯の神様
としても信仰を集めています。

次は、新御堂(にいみどう)へと向かいます。

現在の新御堂の場所は、元は、真言宗秀満院があった場所です。関東大震災で倒壊し廃寺となり、
昭和42年に青木根から新御堂が再建し移転してきました。本尊は、聖観音立像で、室町時代の
作と伝えられています。

隣には、八幡神社があります。

亀ヶ原の鎮守で、祭神は譽田別命(応神天皇)。
創建は、室町時代の文明年間(1469~1487)と伝えられています。戦国時代には、里見氏の信仰を
集め徳川幕府より社領2石が認めらられました。
江戸時代初期、元和6年(1620)に再建したときの棟札が残されています。

次は、亀ヶ原八幡神社の裏にある西郷堰を見に。

平久里川のにあります。ここは古代安房の水門の入江だった場所で堰を築き、この地域を潤し
ました。

亀ヶ原八幡神社と西郷堰の間には、アンゴ岩があります。

アンゴとは方言でカエルの事で、カエルににた形をしているからアンゴ岩と呼ばれてるいます。

県道296号線に出るところに六地蔵があります。

正徳4年(1714)江戸時代中期頃に建て替えられたもので、それ以前は、宗春という人物が建てた
ものがあったと刻まれています。元は、古観音巡礼道が横根峠を越えた街道沿いの村境に建てら
れておたと思われます。なので六地蔵の向きが残念なことになっています。

次は、新御堂跡地向かいます。が・・・その少し手前に亀井戸があります。

亀井戸は、亀ヶ原の地名の発祥と言われ新御堂の閼伽井でもあります。
亀ヶ原の名主であった飯沼家は享保16年(1731)、亀井の泉水で酒作りを始め、銘酒亀井は
130年も続く作り酒屋として栄えました。

新御堂跡地の階段です。

今回は雑草に覆われてしまっているので行きませんが、跡地には、江戸時代の石造地蔵菩薩立像
や句碑などもあります。御詠歌は「にいみどう 見上げてみれば 峯の松 くびこい鶴(汲み越え
つる)に亀井戸の水」です。

さあ~今回のお散歩ツアーは見どころ満載です。次は、外輪堂です。

亀ヶ原区下台集落の共同墓地で、木造阿弥陀如来座像を本尊とるすお堂です。
入口にビー玉などの数珠を首からかけた六地蔵があり、なんだか微笑ましいお堂です。

なんか子供のころに読んだ童話の挿絵に出てくるようなお地蔵さんたちです。
また道の際に三山碑があります。

天保2年両度登山とあるのは、二度三山詣でを行った三山行人の供養塔で、地獄・餓鬼・修羅の
三悪道に落ちないと言われ、供養塔が街道に面して建てられているのは、通行人も手を合わせれば
功徳があると言われているからだそうです。

次は、若宮神社へ。

正木向の鎮守です。古くは若宮八幡大権現と言っていました。社は正木向にあった中嶋弁天の社
を移築したもので、祭壇下に弁天の石宮も相殿で祀られています。

次は朝日山大泉寺へ。

浄土宗金台寺の末寺で、本尊は阿弥陀如来三尊です。

大泉寺の入口の地蔵尊です。

街道になっていて、那古清澄古道と呼ばれていました。

次は、正木下の熊野神社へ。

創建は不詳、江戸時代初期の元和元年(1615)に再建されたと伝えられています。

残す見学場所の西光寺へ。

曹洞宗の寺院で山号を正木山といいます。本尊は銅製十一面観音立像。江戸時代初期の
里見忠義のとき、本山を真倉慈恩院に寺領の一部として与えられていました。

見学箇所はすべて終わり、あとは駐車場へ向かいます。
お散歩ツアーですが、内容が盛りだくさんあって書くことがいっぱいになってしまいました。
ちょっと最後の方は、手抜きになっていますが・・・・ごめんなさい。

駐車場に向かうと、館山パイオニアファームさんが、お休みにも関わらず、お店をあけて
くれました。終了後、参加者のみなさんは、いちじくアイスクリームを食べたり、いちじくソーダ?
を飲んだり、お土産にパウンドケーキを買ったりとしてました。

次回は、鴨川市の天津エリアの月イチツアーです。こちらも面白いツアーになりそうです。