月イチツアー「安房中央ダムと周辺散策」報告

12月に入りました。あっという間に1年が終わろうとしています。
今年の12月は、暖かかったり寒かったりで体調を崩されてる方もいるようで・・・
年末なにかと忙しくなると思いますので、体調には気を付けていきましょう。

さて、12月第一日曜日に月イチツアー「安房中央ダムと周辺散策」を開催しました。
天気はバッチリで少し風が冷たい位で山に登るのにはちょうど良い天気でした。
今回のコースは、小野次郎右衛門生誕の地公園の下の風車の前から、安房中央ダム、410号
とは違う道を通り犬切部落、経塚山と通り帰りは同じ道を通り集合場所へというコースです。

集合場所は小野次郎右衛門生誕の地公園の下の風車でしたが、この公園はなに?という
ことで・・・まずは、小野次郎右衛門の説明を。小野次郎右衛門忠明は、安房国朝夷郡御子神村
に生まれ、御子神典膳と言い、はじめ里見義康に仕えましたが、たまたま来遊した一刀流開祖伊
藤一刀斎景久に弟子入りし、兄弟子を打ち破り、一刀斎から一刀流の継承者に選ばれたとされて
います。文禄2年(1593)、一刀斎の推薦で、徳川家康に仕官し、徳川秀忠付となり、柳生新陰流
と並ぶ徳川将軍家剣術指南となりました。このとき、名を小野次郎右衛門忠明と改名しました。
忠明は生来高慢不遜であったといわれ、同僚との諍いが常に絶えず、一説では、手合わせを求め
られた大藩の家臣の両腕を木刀で回復不能にまで打ち砕いたと言われ、遂に秀忠の怒りをかって、
大阪の役の後、閉門処分に処されました。寛永5年(1628)60歳で死去しました。
そんな小野次郎右衛門の生誕の地としてつくられた公園です。

公園を出発して一つ目のトンネルです

ここを抜けると宮下という部落になります。今の時期は、ダムに水がないため、昔の村の感じが
わかります。
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山入集会所の近くには、勝軍地蔵と観音様の石仏があります。
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左側が観音様で、右側が勝軍地蔵です。
勝軍地蔵は、これに祈れば戦に勝つというお地蔵様です。鎌倉時代以後、武家の間で信仰されま
した。地蔵菩薩が甲冑を着け、右手に錫杖を持ち、左の掌に如意宝珠を載せ、軍馬にまたがった
姿をしたものです。この写真では、馬にまたがっている姿が見えます。

次は、赤く塗られた橋を渡ります。橋は2本。最初が二の滝橋、次が犬切橋といいます。橋と橋の間には、
トンネルがあります。

写真で見えてい橋が、犬切橋です。トンネルの手前には、不動明王の石仏が置かれていました。

犬切橋を渡ると犬切部落に入ります。入ったところには、お地蔵さまと牛頭観音が祀られています。
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お客様とガイドは、経塚山へとアタックを開始しますが、今回は体調不良という事で、ここから、
ガイドににお任せして引き換えしました。なので、経塚山のレポートが書けなくてすみません。

少しですが、紅葉の写真を撮りました。
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なかなか良い景色で、房総ならではの遅い紅葉を楽しむ事ができました。

そうそう、犬切という地区ですが、伝説が残っているので紹介します。
「犬切考」と「房州犬切縁起」と二つありますが、今回は、「犬切考」のお話しを書きます。
室町初期の頃、或る冬の日暮れ近い大沢に旅に疲れたの女性が大きな犬に支えられながらこの地に
やってきました。村人は気の毒なあまり、声をかけ休ませてあげましたが、女性は起き上がる事が
できなくなってしまいました。犬はというと立派な忠犬で、昼も夜も主人の側から離れず、食事も
主人以外の人からは一食も食べませんでした。しばらくして主人の女性は亡くなってしまいました。
亡くなってから身元を調べてみましたが、持ち物とて何一つ無くまったく素性は分からなのでした
が、気品の高い面容、上品な言葉、動作は優雅、何一つ卑野な処はなく、都の貴族か一国一城の貴族
の未亡人か、到底田舎の者とは思われない気品のある方でした。この頃は戦乱の続いた時代でしたの
で、都の辺りでは一日として安寧な日はなく、その女性もなんらかの事情で、当てもなく地方に流浪
に出た者ではなかったのでようか。いくら介抱され惜しまれても弱り果てて亡くなった女性は、詮術
もなく集落の人々の厚意で形計りの野辺の送りが営まれました。墓標として楓の木を植え傍らに葬ら
れました。残された犬は、元来主人に忠犬な犬だったので、悲歎の様は見るに忍びない有様でした。
主人の埋められた辺りに行っては涙も声も枯れ果てる程悲しみ鳴いていましたが、日数が経つにつれ、
犬は狂態し、墓を堀り起こしたり、犬や猫・馬・牛・人間まで飛びかかってくるようになりました。
村人達は困り、思えば可哀想だが、殺してしまうほか手段がないという事になりました。弓・竹槍・
殴り棒・網などを使い犬を殺してしまい、刀を持っている人々に一太刀づつ切られ、藤蔓で足を縛られ
たまま山の中を引摺られて、最後に「犬抛り崎」から本川に投げ落とされてしましたした。
なんだか悲しいお話しですが、この地域には、犬射り場や犬鳴かせ、太刀洗井戸などの場所が語り継が
れています。

今回は、旧丸山町を散策してきました。次回は、鋸南町を散策してきます。

お散歩ツアー「安房自然村と洞窟壁画」ツアー報告

約一ヶ月ぶりの更新です。11月15日に予定しておりました月イチツアーが、雨天の為
中止となり、報告ができなかったので、少し間が空いてしまいました。

最近、ウォーキングツアーの日になると雨の心配をしています。今回のお散歩ツアーも雨
が心配されていましたが、出発する頃には雨もあがり、なんとかツアーをする事ができま
した。今回のお散歩ツアーは「安房自然村と洞窟壁画」のツアーです。

集合場所は、安房自然村の駐車場。今回は、許可をいただき駐車させていただきました。
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まずは、能忍寺の地蔵堂へ。
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地蔵堂への階段の脇に面白い石造が立っています。
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能忍寺の説明を少しします。山号を不老山といいます。安房自然村の丘上にあるお寺で、
お薬師様を祀っています。口伝によりますと、古代、布良海岸に忌部一族が上陸した場所
で、この付近には古くから朝鮮半島からの人が住み着いていて館を構えて、お薬師様を祀っ
ていたといいます。そんな言われがあり、人物の石像や燈篭などから朝鮮半島の雰囲気が
漂っています。

地蔵堂は、茅葺屋根でだいぶ朽ちてしまって、修復中でした。
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次に達磨堂へ向かいますが、達磨堂の手前に家があります。ここには、「赤坂小梅」が住んで
いたとか・・・
「赤坂小梅」は昭和時代に活躍した日本の芸者歌手です。 1906年に福岡県で生まれました。
1920年16歳の時に芸者になり、その後、歌の才能を認められ、1931年上京し、ビクター
から新民謡を数曲吹き込んでいます。1933年にコロムビアに専属入社し、古賀政男が作曲した
「ほんとうにそうなら」でデビューしたちまちヒットしたそうです。翌1934年に江口夜詩作曲の
「そんなお方があったなら」がヒットし歌手として不動の地位を築きました。その後、民謡などを
吹き込み、「黒田節(筑前今様)」を初めてレコード化しました。「おてもやん(熊本甚句)」
「炭鉱節」なども代表曲です。NHK紅白歌合戦の初期に4回出場しました。
1981年、芸能生活60年、歌手生活50年という長い経歴に幕を下ろし、引退後、ここ自然村に
引っ越してきました。「小梅民謡教室」などを開くなどしていたそうです。1992年心不全のため
亡くなり、葬儀は、この能忍寺で行われたそうです。赤坂小梅さんの話はここまでとして、達磨堂へ。
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お堂の前には、虎の像が一対置かれています。達磨堂の守護獣とし置かれたものだそうです。
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虎の像は韓国からのものだとのことですが、奉納年など詳細は不明です。

能忍寺の本堂を目指し上っていきます。
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本堂の前にも虎と思われる置き物があります。
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ちば眺望100景にも選ばれていまる場所でもある能忍寺の本堂の側にある展望台からの
景色です。まだ雲が重い時でした。天気がよければ富士山も見えるのです。
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能忍寺をあとにして、壁画を見にいきます。この壁画が描かれてる場所は終戦後廃墟となった地下壕の中
に「捨身飼虎(しゃしんしこ)」釈迦の前世の王子は、飢えた母虎と七匹の子のために、自ら餌となり身
を投じた説話や、菩提樹の下で悟りを開いた「樹下成道(じゅかじょうどう)」など、生・老・病・死の
四締、それを滅する八正道を悟った仏画が描かれています。
修行道場として使われ、絵のまえで座禅をくんでいたそうです。
トンネル内はしっかりしていますが、出入口付近が、土砂崩れしています。

壁画を見たところで、出発地点に戻っていきます。
途中、南房総市白浜町の根本海岸が見えるところで、小休憩を。
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天気も良くなり、海がまぶしいです。

景色に癒されたあとは、山を下ります。コンクリートの道なんですが、滑りやすいので気を付けております。
次に向かったのは、小谷家住宅と布良崎神社。

小谷家は江戸時代から続く漁家で、明治19年に廃業するまで船主でした。当時の布良の集落は、ほとん
どが茅葺屋根をもつ家でした。明治9年、明治22年、大正12年に大火があり、多くの家が焼けてしまい
ました。小谷家住宅は、建てちの低い平屋建てで、内部の土間はなく、下手に差し掛けの土間・炊事棟を建
て、安房地方に多くみられる分棟型民家の系統をひいています。屋根を桟瓦葺き、一部を大壁造りとする
など、防火を考慮した造りとなってて、明治22年の大火後の再建と考えられています。
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また、洋画家青木繁が明治37年にこの住宅に、約2か月近く滞在していました。布良の海を題材に、数多く
の海の景色を書きました。その中でも有名な油彩画「海の幸」です。小谷家住宅は「海の幸」制作に係った
家としても広く知られています。

現在は、築約120年と老朽化した家を保存するために、修復中です。この保存活動に美術家グループ「NPO
法人青木繁『海の幸』会」や、地元住民団体「青木繁<海の幸>誕生の家と記念碑を保存する会」、小谷家、
館山市の四者が連携して保存活動しています。中でもノーベル賞受賞された大村さんは、「NPO法人青木繁
『海の幸』会」の理事長を務めていて、保存をするための事業として、多大な寄付もしています。
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来年の4月には一般公開できるようになるという事です。

小谷家を後にし、布良崎神社へ。
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祭神は天富命(あめのとみのみこと)。古くは蔵王権現を祀っていた神社でしたが、天富命の徳を偲んで、
祭神にしました。玉石垣は、伊豆七島より漁師が漁の度に運んで集めた玉石で積み上げてあります。

今日はここまでで終了です。お散歩コースで、少し時間が短いですが、充実した内容だったかと思います。
12月のウォーキングツアーは、12月22日シリーズツアー(花)です。鋸南町江月の水仙の郷探訪
です。水仙ロードを歩きますが、また旅倶楽部ならではのガイドを入れながら歩いて行きます。是非、ご
参加下さい。