イベントツアー「男金神社の祭礼」報告

もう10月も中旬になってしまいました。だんだんと寒くなってきて、朝日が昇るのも
遅くなりました。

さて、10月の3連休の中日に行いました、イベントツアー「男金神社の祭礼」の報告
をします。「男金神社」は「おがなじんじゃ」といいます。ずっと「おかねじんじゃ」と
思っていて、お金がたまる神社なんだぁ~なんて思っていました。「男」に「金」ですから(笑)
そんなこんなで、誤解がとけ、ウォーキングツアーはスターとしました。

スタートは鴨川市役所。当日は、雨で雨具を着用しての出発です。
たぶん、雨ごいの神事なので、雨が降ったのではないかと・・・(でも神事の前なんですが・・・)
区画整理された田んぼを見ながら、まずは和泉公会堂を目指します。
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和泉公開堂は国登録有形文化財に指定されている建物です。明治42年(1909)着工された耕地
整理の完成を機に、和泉区の住民が一堂に会する施設が必要ということで、大正10年(1921)に
建設された、地区住民の共有建築物です。耕地整理の記念碑的な建物でもあります。瓦葺寄棟屋根
の主屋の外周に庇を差出し、正面にムクリ入母屋の車寄玄関を突出させた、和風公会堂建築に共通
した形態をとっています。

10時から祭典ということで、慌てて男金神社へ向かいます。
鳥居をくぐり参道を歩いて行きますと、階段が見えてきます。
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社殿は、まったく見えてきません。急な階段を338段のぼっていきますと、やっと社殿が見えて
きます。かなり、ハードな階段です。
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男金神社は、祭神が天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)。創立年代は不詳。
享保20年(1735)に本社を再建し、その後、明和5年(1768)と文久2年(1862)の2回改修しました。
古来社名を妙見山あるいは妙見社と称していましたが、明治維新の後、男金神社と改めたそうです。
向拝等の彫刻は、武志伊八朗由美作伊八三代目の龍です。
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なかなかの迫力があります。

と下に目を向けると、不思議な彫り物が・・・
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妖怪のような物が彫られています。(たぶん亀だと思われますが・・・)
かわいらしい彫り物です。

今回は雨のため、「和泉の三役」は社殿の中で行われていました。
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「和泉の三役」は五穀豊穣と無病息災を祈念し、棒術、鞨鼓舞、神楽獅子舞の3つが揃って奉納され
ます。和泉地区の三地区それぞれが行っていたものを三役として揃って奉納したのは江戸時代の文政
年間頃と伝えられています。この三つの組み合わせは県内でも珍しいものです。
棒術を見るのは間に合いませんでした。
不謹慎ですが、この獅子の顔がとてもチャーミングで、見ていると笑顔になってしまいました。
お昼には、和泉公会堂で、再度見ることができますが、今回は別の場所へ移動しました。

のどかな道を通り、薬王院へ。
IMGP1807写真は薬師堂です。
薬王院は真言宗の寺院で、山号を慈永山と言います。建立や沿革については明らかではありませんが、
奈良時代天平年間(729~749)に、行基菩薩の開基とされています。本堂は宝歴14年(1764)に上棟、
その後、安永9年(1780)に29歳の伊八が作成した龍虎の欄間が飾られました。薬師堂は、堂内の柱に
かかれた墨書から、天保5年(1648)に建立されたことがはっきりとしています。安房地域でも数少ない
江戸時代初期の建築物です。2012年に改修工事がされました。

今回は、本堂の中の伊八の作品を見せていただくことができました。
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薬師堂の前には、とても素敵な石仏群があります。
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お弁当もこちらで食べさせていただき、次へ出発します。
次に向かったのは、花蔵院。
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真言宗の寺院で、山号を慈眼山。本尊は観世音菩薩。創立年代は不詳ですが、寺伝によれば、
永禄元年(1558)に中興開山されたといいます。本堂の向拝の龍は、三代伊八の作品です。
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境内に道標の六地蔵があります。
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享保16年で、「是より清澄道 左 是より 西大山道」と読み取れます。

あと、微笑ましい石仏がありました。
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心が洗われる気がしませんか?

癒されながら、スタート地点鴨川市役所まで戻ります。雨は途中からやんでくれて、よかった
です。
次回は、10月25日の月イチツアー「稲村城から宝貝の里」で、稲村城と白浜城をつなぐ古道
を通り宝貝へと歩きます。最近はイノシシが通っているそうで・・・・そんな道を歩いて行きます。
ご参加お待ちしております。

イベントツアー「正木諏訪神社の祭礼」報告

もう10月ですね。館山・南房総での祭りシーズンももう少しで終わろうとしています。
夏から始まり、秋に終わるという、漁師町の地区と里山の地区という環境の中だからで
しょうか?

今回は、館山市の正木地区にある諏訪神社の祭礼を見学しに行ってきました。当日は、
雨模様でしたが、歩きだしたらなんと雨も上がりました。やはり日頃の行いがいいので
しょうかねぇ~?
出発は、那古寺。
那古寺は、養老元年(717)に僧行基により開山とされ、平安時代に造られた木造千手観音
菩薩を本尊とする真言宗の古刹であり、坂東三十三番巡礼札所の結願寺として知られています。
本尊の千手観音像、阿弥陀如来像、多宝塔など多くの文化財があります。

まずは、白岩弁天を目指します。弁天様の手前のトンネルはかわいらしい絵が描かれています。
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白岩弁天です。
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この池の奥は鍾乳洞になっていて、白岩の名は鍾乳石の事をいうらしいです。徳川家光の頃に津波が
あり、その時小川ををさかのぼってきた白蛇がこの池に入ったため宮を建てたそうです。
また、むかしこの池の水は目薬などにされたといいます。

神事に間に合わないといけないので、諏訪神社を目指します。
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延喜元年(901)の創建で、祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)、下宮は父君の大国主命
(おおくにのみこと)です。創建当時、諏訪山の麓の集落は白浜郷と呼ばれ、村人は半農半漁の生活
をしていましたが、たびたび大荒波に襲われその被害に苦しんでいたそうです。延喜元年正月8日の
夜に、ある村人の夢に信濃国の諏訪社の神様が現れ、村人たちはお社を建てて一心に祈ったところ、
大荒波は静まったそうです。それ以来、村の鎮守としたそうです。

諏訪神社の境内に八雲神社のお神輿をあげます。坂道を担いでくるので大変そうです。
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祭典が始まります。
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少しの間、祭典を見学して、次の場所へ移動します。

御狩堰を通り、観音堂へ。
入ってすぐのところに、馬頭観音像があります。江戸時代の百観音(西国・秩父・坂東札所)の巡拝塔
です。
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観音堂の裏山の山頂に前方後円墳とされる塚があり、大塚山古墳と呼ばれています。今回は、こちらには
いきませんでした。

次に八幡神社へ。
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こちらの神社は、延元2年(1337)に再建され、戦国時代の里見義弘のときに家臣正木大膳の祈願に
なったと伝えられています。

お昼休憩をとり、次に向かったのは、狐塚。
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この石は、そのむかし諏訪神社と那古寺がケンカをして、諏訪神社が那古寺に向かって投げた石が
途中で落ちたものだそうです。耕地整理のため元の場所から西へ移動してしまっているそうです。
那古寺が投げた石は、白岩弁天前にあったといいます。

次は、屋台4台と神輿が集合している場所へ。
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正木岡の屋台を見に行くと、常連さんにお会いしたので、説明してもらいました。

屋台の見学を終え、出発地点へと戻っていきます。なんとか、雨に当たらず、帰ることができ
ました。これも那古寺と諏訪神社にお参りしたおかげではないかと・・・・
次回の報告は、男金神社の祭礼の報告します。