もう10月ですね。館山・南房総での祭りシーズンももう少しで終わろうとしています。
夏から始まり、秋に終わるという、漁師町の地区と里山の地区という環境の中だからで
しょうか?
今回は、館山市の正木地区にある諏訪神社の祭礼を見学しに行ってきました。当日は、
雨模様でしたが、歩きだしたらなんと雨も上がりました。やはり日頃の行いがいいので
しょうかねぇ~?
出発は、那古寺。
那古寺は、養老元年(717)に僧行基により開山とされ、平安時代に造られた木造千手観音
菩薩を本尊とする真言宗の古刹であり、坂東三十三番巡礼札所の結願寺として知られています。
本尊の千手観音像、阿弥陀如来像、多宝塔など多くの文化財があります。
まずは、白岩弁天を目指します。弁天様の手前のトンネルはかわいらしい絵が描かれています。
白岩弁天です。
この池の奥は鍾乳洞になっていて、白岩の名は鍾乳石の事をいうらしいです。徳川家光の頃に津波が
あり、その時小川ををさかのぼってきた白蛇がこの池に入ったため宮を建てたそうです。
また、むかしこの池の水は目薬などにされたといいます。
神事に間に合わないといけないので、諏訪神社を目指します。
延喜元年(901)の創建で、祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)、下宮は父君の大国主命
(おおくにのみこと)です。創建当時、諏訪山の麓の集落は白浜郷と呼ばれ、村人は半農半漁の生活
をしていましたが、たびたび大荒波に襲われその被害に苦しんでいたそうです。延喜元年正月8日の
夜に、ある村人の夢に信濃国の諏訪社の神様が現れ、村人たちはお社を建てて一心に祈ったところ、
大荒波は静まったそうです。それ以来、村の鎮守としたそうです。
諏訪神社の境内に八雲神社のお神輿をあげます。坂道を担いでくるので大変そうです。
祭典が始まります。
少しの間、祭典を見学して、次の場所へ移動します。
御狩堰を通り、観音堂へ。
入ってすぐのところに、馬頭観音像があります。江戸時代の百観音(西国・秩父・坂東札所)の巡拝塔
です。
観音堂の裏山の山頂に前方後円墳とされる塚があり、大塚山古墳と呼ばれています。今回は、こちらには
いきませんでした。
次に八幡神社へ。
こちらの神社は、延元2年(1337)に再建され、戦国時代の里見義弘のときに家臣正木大膳の祈願に
なったと伝えられています。
お昼休憩をとり、次に向かったのは、狐塚。
この石は、そのむかし諏訪神社と那古寺がケンカをして、諏訪神社が那古寺に向かって投げた石が
途中で落ちたものだそうです。耕地整理のため元の場所から西へ移動してしまっているそうです。
那古寺が投げた石は、白岩弁天前にあったといいます。
次は、屋台4台と神輿が集合している場所へ。
正木岡の屋台を見に行くと、常連さんにお会いしたので、説明してもらいました。
屋台の見学を終え、出発地点へと戻っていきます。なんとか、雨に当たらず、帰ることができ
ました。これも那古寺と諏訪神社にお参りしたおかげではないかと・・・・
次回の報告は、男金神社の祭礼の報告します。