月イチツアー「文人・漱石や子規の歩いた道」報告

年の瀬になりました。なにかと忙しくなってきます。
最近では、車の運転のマナー?が悪かったりとか慌てて運転してる人が居ますので、交通事故に
合わないように、ゆとりある運転を心掛けていこうと思っています。
皆さんも気を付けて下さいね。

さて、今年最後の月イチツアー「文人・漱石や子規の歩いた道を辿ってみよう」を開催しました。
夏目漱石と正岡子規は親友でした。学生時代にそれぞれが房総を旅していて、その時の事を書いた
のが「木屑録」(漱石)・「かくれ蓑」(子規)の作品です。
なので、今回、二人が通ったであろう道を歩いてきました。

出発地は妙音院(館山市)です。

高野山金剛峰寺直末の古義真言宗の寺院。本尊は如意輪観音。里見義康発願により、天生17年
(1589)紀州高野山の直轄別院として、この地へと里見家の祈願寺として開山しました。
里見氏から白浜・真倉などに161石の寺領を与えられ保護されました。その後、徳川の時代に
なりますが、徳川からも同様に保護されました。境内には、安房高野山八十八ヶ所霊場があります。
妙音院さんで旅の安全をお願いして、出発です。

まずは、長光寺へ。

曹洞宗の寺院です。天文元年(1532)の開山で富士山津梁院といって里見氏から10石の寺領を与え
られていました。この寺には里見義康と忠義親子の供養塔があります。

ここから、豊房の岡田地区に入り風早不動尊へと向かいます。
途中には、馬頭観音やお地蔵様などの石仏があります。

風早不動尊まであと少しの所の不動明王像があります。

風早不動尊です。(今回の写真は、開催日のより3週間前に撮った写真を使います。イチョウの落葉で黄色く
染められていて綺麗だったので・・・)

天正18年(1590)2月創建されたと伝えられている不動尊です。特に、子宝・安産・良縁祈願の
ご利益がるお不動様です。子宝・安産をお願いしたい場合は、本堂にある犬のぬいぐるみをお借り
して家に持ち帰り、願いがかなった時には新しい犬のぬいぐるみと2体一緒に納めるそうです。
隠れた子宝のお不動様です。
向拝の龍の彫刻は、後藤義光78歳の作です。

本堂に向かって左手を流れる小さな滝の近くに、不動明王の利剣にかみつき飲み込もうとする俱利伽羅
竜王の石塔と出羽三山碑があります。

本堂の左手にある小さな滝です。

大正時代まで2階建ての行屋があり、修行の場となる5m程の不動ノ滝が流れおちていたそうです。
関東大震災で地下水の流れが変わり水が枯れてしまったといいます。
現在流れている滝は、近年復興されたものです。

いよいよ、漱石や子規が通ったと思われる道へと入っていきます。

もう道は、こんな感じになっています。。
道の途中には、当時、お茶屋があったそうです。

ちょっと写真ではわかりにくいかと・・・・

途中には、昔の穴?があります。たぶん白土を採った穴だと思われます。

大きなつるもあります。時を感じさせる道です。

ちょっとスタッフにぶら下がってもらいました。

この道の最後は、どこに出るかといいますと、国道410号線沿いの昔ホテルがあった
場所にでます。

あとは、出発地点に帰るだけだったのですが・・・せっかくなので、真倉地区にある浅間様
へと登ってきました。あまり地区の人にも知られていないそうです。
今回は、残念ながら写真を撮る事ができませんでした。

浅間様を後にし、出発地点の妙音院へ。
今年最後のウォーキングツアーは無事に終わる事ができました。

次は、1月12日のお散歩ツアー「洞穴に大昔の生活に思いを馳せる」です。
いやぁ~、ここは、是非来てほしいと思います。古墳時代から7世紀に造られた、東長田横穴
古墳群を見ることができます。今回、地主さんや地元の方に荒れてしまった山を整備していた
だき、見せていただけることになりました。昔は、豊房小学校の生徒さんとかも見学していた
そうですが・・・月日が経ってしまうと・・・大事な資源ですので、是非、この機会にツアー
に参加してください。

今年も、また旅倶楽部にお付き合いいただきありがとうございます。来年も、益々精進し、楽しい
ウォーキングガイドツアーを開催していきますので、よろしくお願いします。
皆さま、良いお年を・・・・・

お散歩ツアー「旧真倉切割と大神宮街道」報告

もう師走ですねぇ~。1年がたつのが速く感じる今日この頃です。
また旅倶楽部では、29年度のコースを企画中です。まだまだ安房地域には、面白い
ところがありますので、コースのパンフレットが出来るまでお待ち下さい。

今回は、お散歩ツアー「旧真倉切割と大神宮街道」の報告です。
出発場所は、館山市の藤原地区にある館山運動公園です。
今日は、珍しいお客様?っと思いましたが、こちらの公園にお住まいの恐竜さんでした(笑)

まずは、ツアータイトルになっています「旧真倉切割」へと向かいます。途中国道を
通って行きますが、白線の内側を通ろうとしても、内側が狭すぎで少し自動車の道に
出てしまうので危険ですが、がんばって歩いて行きます。
少し歩くと、国道からそれる道があります、そこを入っていくと民家があり、ちょっと
ひとのお家にお邪魔しちゃったような感がありますが・・・進んでいくと

木が生い茂ってる道。なんかワクワクしてきました。

この緩やかなカーブを抜けると・・・

おぉ~すごい!!
切割の最後まで行って、切割について説明を。

房総半島は低い丘陵地がとはいえ、比高差があり半島内を移動するには、苦労していました。
尾根上を移動する道が造られますが、山道は狭く曲がりくねっていて、川には橋がなく、海岸
では砂浜や磯を歩くことになったりで、牛馬や荷車では荷物を運ぶこともできない道ばかりで
した。江戸時代は治安維持のため、あえて道の改良をしませんでしたが、明治時代になると情
報伝達や迅速化と流通の発展のため、県をあげて道路改良が進められ、明治20年前後から、
館山市から周辺町村へ向かう幹線に隧道(トンネル)や切割が造られ始められました。館山か
ら神戸への切割が完成し、真倉側の谷と神戸側の谷を直線で結ぶ平坦なルートとして開削した
ものです。現在の切割は明治16年の海軍砲術学校開設に合わせて新しく拓いたものです。
新しい道が出来たことで、この道は使われなくなりました。

来た道を振り返ってみると、やっぱり素敵な景色です。

本当はまっすぐ抜けられる道なのですが、約70年も使われていない道なので、藪やら木やら
で今は通り抜けられません。まして、落葉の堆積の量が半端ないので、同じ道へと戻ります。

次は、岡田口前不動へ。

石造りの不動尊と文化3年(1806)馬頭観音像と文化5年(1808)の地蔵尊が祀られています。
地蔵尊には往来安全を願う文字があります。
ここはかつての館山と神余・白浜や、館山と神戸佐野・安房神社を結ぶ街道がありました。
安房神社のお神輿が八幡の祭り(やわたんまち)に通った道でもあり、安房神社往還と呼ばれ
ました。元はもう少し北側に残る旧道から不動は下がる分かれ道にあったのですが、道の付
け替えによって移動されました。

いよいよ旧道に入っていきます。
この旧道は、別荘地になっていて、旧道なの?と思う道ですが・・・旧道なのです。
途中の景色はこんな感じです。

平砂の海が見えています。ずっと奥には、大島がうっすらと・・・
景色最高です。

旧道という痕跡は、辻のお地蔵さんです。

谷藤原からお神輿を担いで山道にさしかかる辻󠄀にある道しるべのお地蔵さまです。
お神輿を担いで通った道と考えると、山あり谷ありで、八幡神社に行くまで大変な道のり
を通ってたんだなぁ~と感心させられます。いまでは、車に乗せてシューっと行くんですが、
当時の人達の脚力の強さに驚かされます。

谷藤原へと進んで行くと、またしてもお地蔵様。

村境を守るお地蔵様で、いぼとり地蔵と呼ばれています。村の境目には道祖神やお地蔵様
が安置されていて、往来の人々や村人を見守っています。

次は谷藤原・荒神社へ向かいます。

火伏の荒神様を祀る神社です。古くは谷藤原が地区の中心でした。地震隆起で耕地
が広がると、藤原・佐野方面に村民が移動し、荒神社も藤原神社に合祀されました。

この苔むした階段を上がって行こうかと思いましたが・・・今回はやめました。

出発地へと戻りますが、国道を通るのも危険ですので、旧道へともどり、出発地点を目指し
ますが、やはり、お地蔵様がいらっしゃいました。

無事に出発地点に戻ってまいりました。今回のツアーのみどころ「旧真倉の切割」は、
足元が大変な事になるかもしれませんので、もし行かれる際は気を付けて下さい。
また、静かな場所ですので、大声をだしたり、ごみを捨てたり、落書きしたりしない
で下さい。(当たり前の事ですが・・・)

次回は、12月17日(土)月イチツアー「文人・漱石や子規の歩いた道を辿ってみよう」
です。房総半島に来た時に歩いたと言われる、道の一部を歩きます。
是非、ご興味のあるかたはご参加下さい。