お散歩ツアー「旧真倉切割と大神宮街道」報告

もう師走ですねぇ~。1年がたつのが速く感じる今日この頃です。
また旅倶楽部では、29年度のコースを企画中です。まだまだ安房地域には、面白い
ところがありますので、コースのパンフレットが出来るまでお待ち下さい。

今回は、お散歩ツアー「旧真倉切割と大神宮街道」の報告です。
出発場所は、館山市の藤原地区にある館山運動公園です。
今日は、珍しいお客様?っと思いましたが、こちらの公園にお住まいの恐竜さんでした(笑)

まずは、ツアータイトルになっています「旧真倉切割」へと向かいます。途中国道を
通って行きますが、白線の内側を通ろうとしても、内側が狭すぎで少し自動車の道に
出てしまうので危険ですが、がんばって歩いて行きます。
少し歩くと、国道からそれる道があります、そこを入っていくと民家があり、ちょっと
ひとのお家にお邪魔しちゃったような感がありますが・・・進んでいくと

木が生い茂ってる道。なんかワクワクしてきました。

この緩やかなカーブを抜けると・・・

おぉ~すごい!!
切割の最後まで行って、切割について説明を。

房総半島は低い丘陵地がとはいえ、比高差があり半島内を移動するには、苦労していました。
尾根上を移動する道が造られますが、山道は狭く曲がりくねっていて、川には橋がなく、海岸
では砂浜や磯を歩くことになったりで、牛馬や荷車では荷物を運ぶこともできない道ばかりで
した。江戸時代は治安維持のため、あえて道の改良をしませんでしたが、明治時代になると情
報伝達や迅速化と流通の発展のため、県をあげて道路改良が進められ、明治20年前後から、
館山市から周辺町村へ向かう幹線に隧道(トンネル)や切割が造られ始められました。館山か
ら神戸への切割が完成し、真倉側の谷と神戸側の谷を直線で結ぶ平坦なルートとして開削した
ものです。現在の切割は明治16年の海軍砲術学校開設に合わせて新しく拓いたものです。
新しい道が出来たことで、この道は使われなくなりました。

来た道を振り返ってみると、やっぱり素敵な景色です。

本当はまっすぐ抜けられる道なのですが、約70年も使われていない道なので、藪やら木やら
で今は通り抜けられません。まして、落葉の堆積の量が半端ないので、同じ道へと戻ります。

次は、岡田口前不動へ。

石造りの不動尊と文化3年(1806)馬頭観音像と文化5年(1808)の地蔵尊が祀られています。
地蔵尊には往来安全を願う文字があります。
ここはかつての館山と神余・白浜や、館山と神戸佐野・安房神社を結ぶ街道がありました。
安房神社のお神輿が八幡の祭り(やわたんまち)に通った道でもあり、安房神社往還と呼ばれ
ました。元はもう少し北側に残る旧道から不動は下がる分かれ道にあったのですが、道の付
け替えによって移動されました。

いよいよ旧道に入っていきます。
この旧道は、別荘地になっていて、旧道なの?と思う道ですが・・・旧道なのです。
途中の景色はこんな感じです。

平砂の海が見えています。ずっと奥には、大島がうっすらと・・・
景色最高です。

旧道という痕跡は、辻のお地蔵さんです。

谷藤原からお神輿を担いで山道にさしかかる辻󠄀にある道しるべのお地蔵さまです。
お神輿を担いで通った道と考えると、山あり谷ありで、八幡神社に行くまで大変な道のり
を通ってたんだなぁ~と感心させられます。いまでは、車に乗せてシューっと行くんですが、
当時の人達の脚力の強さに驚かされます。

谷藤原へと進んで行くと、またしてもお地蔵様。

村境を守るお地蔵様で、いぼとり地蔵と呼ばれています。村の境目には道祖神やお地蔵様
が安置されていて、往来の人々や村人を見守っています。

次は谷藤原・荒神社へ向かいます。

火伏の荒神様を祀る神社です。古くは谷藤原が地区の中心でした。地震隆起で耕地
が広がると、藤原・佐野方面に村民が移動し、荒神社も藤原神社に合祀されました。

この苔むした階段を上がって行こうかと思いましたが・・・今回はやめました。

出発地へと戻りますが、国道を通るのも危険ですので、旧道へともどり、出発地点を目指し
ますが、やはり、お地蔵様がいらっしゃいました。

無事に出発地点に戻ってまいりました。今回のツアーのみどころ「旧真倉の切割」は、
足元が大変な事になるかもしれませんので、もし行かれる際は気を付けて下さい。
また、静かな場所ですので、大声をだしたり、ごみを捨てたり、落書きしたりしない
で下さい。(当たり前の事ですが・・・)

次回は、12月17日(土)月イチツアー「文人・漱石や子規の歩いた道を辿ってみよう」
です。房総半島に来た時に歩いたと言われる、道の一部を歩きます。
是非、ご興味のあるかたはご参加下さい。

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