城跡シリーズ「岡本城」ツアー報告

2月14日からまた関東では雪が降りましたね。いろいろな所で被害が出ています。
南房総でも、館山自動車道が通行止めになるなど、春の観光地にとってダメージは
大きいです。雪被害に遭われた地域のみなさんの早く通常の生活に戻れるようにお祈
りいたします。

2月16日に行いました、城跡シリーズ「岡本城」を報告します。
14日に降り始めた雨(時折みぞれ・雪)で、開催するか心配していましたが、土曜日の朝に
はやみ、日曜日はすっかりいい天気になって無事開催する事ができました。
少し風が強かったのですが、富浦元気倶楽部に集合し、出発です。
今回は、城跡シリーズという事で、岡本城跡とその周辺の里見氏に関係する場所を巡ります。
元気倶楽部から、真勝寺へ向かいます。
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真勝寺は、奈良時代中期、聖武天皇の時、光明皇后が厄年にご懐胎され、安産祈願の為、
二体の如意輪観音像彫刻を行基に命じました。一体を帯解寺(奈良市)の本尊とし、もう一体
を難産に苦しむ女性の救済の為、立田川に流したそうです。ある日、村人が海中の光に驚き信
心深い青木真勝が引き上げてみると、立田川に流された観音像でした。観音様は岩峰屋に奉安。
その後、全国行脚をしていた行基が、自作の観音像と再会し、この話を聖武天皇に話しました。
天皇は感銘されて、岩峰山真勝寺の名で勅号を下されました。その後、里見氏の祈願所となり、
永禄年間(1558~1579)兵火により火災になりましたが、観音像は火傷せず、それ以来、火除
け・安産・厄除けの観音として信仰されたお寺です。

真勝寺を後にし、光厳寺へ向かいます。
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金龍山大勢院と号し曹洞宗のお寺です。天正2年(1574)安土桃山時代、岡本城主・里見義頼の
菩提寺として創建されたお寺です。境内には里見義頼の墓があります。

次は、興禅寺へ。
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海惠山と号し臨済宗のお寺です。貞和元年(1345)南北朝時代に足利氏寺領を与え創建。青岳尼
の菩提所と伝えられています。青岳尼とは、鎌倉尼五山筆頭の太平寺の住職でした。天文7年の
国府台合戦(市川市)で討死した小弓公方足利義明の娘で、父の死後、里見義堯の保護を受けた
が、その後鎌倉で尼になりました。弘治2年(1556)、後北条氏支配下の鎌倉を攻撃した里見義弘
は彼女に恋い焦がれる余り、太平寺にいた青岳尼を訪れ還俗して自分の妻になるように勧め、彼
女もこれに応じて江戸湾を渡り、義弘のの元へきて正室となったそうです。

いよいよ岡本城へ行きます。
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途中の風景です。富士山がバッチリ見えてます。

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かなり急な坂道を登ります。やはりお城なので、急な坂でないとすぐに攻められますからね。

坂の途中には、枡ケ池。
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この枡ケ池は、城の生活用水だったそうですが、いろいろな伝説が残っています。
白い手の伝説や少し怖い伝説があります。白い手の伝説は、一時期枡ケ池は、自殺の名称に
なっていました。ある時、村の嫁さんが自殺をしたので、村人で引き上げに向かいました。
池に辿り着いたときには日も暮れ、提灯の灯りを頼りに、やっとの思いで冷たい遺体を引き
上げ戸板にのせ、運びだそうと池から4~5m歩きだすと、生暖かい風が吹き提灯の灯りが
消えると、池の中から白い手が伸びてきて、死んでいる嫁さんを取り戻したのだそうです。
そんな話を聞き、主郭をめざします。堀切、武者溜、空堀と見ながら主郭へ。
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その後、物見台へ。
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天気がよくて、すばらし景色を堪能しました。

昼食を済ませ、舟回し、海禅寺、豊岡海岸、大宮八幡神社へ。

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海禅寺は、福浦山と号し臨済宗のお寺です。創建は室町時代。境内には里見義頼の妻鶴姫の
持仏が祀られています。

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豊岡海岸からの景色。

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大宮八幡神社の祭神は誉田別命です。

愛宕神社、長泉寺とまわり、元気倶楽部に戻りました。
景色に恵まれたツアーとなりました。
次回は、3月1日のイベントツアー「増間日枝神社御的神事見学と大日山」です。

2月イチツアー「古道を歩いて真野の大黒さんへ」報告

2月8日、館山・南房総にも雪が積もりました。9日の朝まで、残った雪が凍結していま
したが、夕方には道路にはほとんど雪がなくなっていました。館山は、あまり雪が降らなく
て安心しましたが、同じ南房総でも山あいの地域は、かなりの積雪だったとか・・・

2月6日に行いました月イチツアー「古道を歩いて真野の大黒さんへ」の報告です。
昨年の2月6日に大雪の予報が出ていて中止になったコースを今年度復活させました。という
事は、去年も同じ時期に雪の予報があったという事になりますね。今年の天候は、まずまずと
言ったところでした。
集合場所は、館山市の九重公民館近く。そこから古道を通って真野寺へ行きます。真野寺は、
地元では「真野の大黒さん」と言われている場所で、毎年2月6日は「大黒天福祭り(大祭)」
が行われ、安房の人々がお参りに訪れる場所です。
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(この写真は大祭の時ではありません)
真野寺は、真言宗の寺院で、関東で弘法大師ゆかりの寺を巡る関東八十八ヶ所霊場の第57番札所
であり、安房国札観音の第25番札所でもあります。
寺伝によると、奈良時代の神亀2年(725)に、現在地より1キロほど東にある高倉山の山頂に行基
が開いたとされ、鎌倉時代(建永元年(1206))に野火に遭って建物が全焼、翌年鎌倉北条氏の帰
依によって現在の地に再建されました。その後も元禄の大地震や関東大震災で倒壊しましたが、そ
の度に再建されてきました。本尊は寺伝では行基作としている木像の千手観音菩薩立像で、室町時
代初期の作とされるお面をかぶり、御開帳のときも素顔を拝むことができないことから「覆面観音」
と称されています。「大黒天」は鎌倉時代の物で、関東地方に残る古像としては最大級のものです。
この大黒天は平安時代の貞観2年(860)、ここを訪れた慈覚大師が参籠中に朝日が昇るなか大黒天が
現れ、それを再現したと伝えられていて「朝日開運大黒天」と呼ばれています。

真野寺の説明は、まだまだありますがこれくらいにして、コースへ戻ります。
今回は30名のお客様たちと歩きます。スタッフ合わせて39名で出発します。
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まずは、薗の堰を通り、石造物郡を見学。
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山王石碑や三山碑や浅間様が祀られています。街道に面した場所には馬頭観音碑が多く見られます。

山道に入ります。
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途中、こんな石仏も・・・お雛様みたいに可愛らしい石仏です。
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少し歩くとバア神様が。
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縄文時代の石棒を祀った石宮です。

道には、折れた木がたまにありますが、かなり平坦な道なので楽しくあるけます。
途中、イノシシノのぬた場があったりもしますが・・・
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道を進むと、真野寺の鐘楼堂の所へ出てきます。ここからは、皆さんお参り&昼食時間です。

この時間帯は、自分の事でいっぱいいっぱいで写真を撮るのを忘れてました。
お参りしたり、柳守買ったりと・・・
柳守というのは、雨にも風にも耐えて折れることのない柳のように人生の苦難に耐えて挫折しな
い教えを表し、白紙に包み水引で封じた糯米の撥ね入りのごとく災難苦厄を撥ね飛ばし八倍の繁
栄をもたらすという縁起が込められています。(お寺さんの解説より)

本当は、三福を授かった方がいいのですが、今回は柳守でけで・・・
三福とは、1.護摩札 2.宝槌 3.柳守 の3つの事です。

真野寺をあとにして、手力雄神社へ向かいます。
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途中にある道標です。真野と大井を結ぶ旧街道の堀切にまのじちか道と彫られています。

少し歩くと、延命地蔵があります。道を通る人を上から見守ってる感じです。
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古道を下って行くと手力雄神社に到着します。
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手力雄(たぢからお)神社の祭神は、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を主神とし、
天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)、太田命(おおたのみこと)の三柱を祀っています。
天手力雄命は、天岩戸の神話に登場する神で、天照大神が天岩屋に隠れた時に岩戸を開いたと
されているため、天手力雄神は大力の武勇の神として崇拝され、武士の間では信仰が厚く、源頼義・
義家父子や源頼朝などが戦勝祈願に立ち寄ったと伝えられています。
本殿は、宝永井6年(1709)の竣工で千葉県指定有形文化財です。

写真に全て入らなかったご神木。
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拝殿前に聳え立つ御神木の大杉は、館山市内最大のスギで、昭和47年(1972)に館山市の天然記念
物に指定されています。幹周4.64m、樹高28m、推定樹齢700年とされています。

手力雄神社を後にし、大井城跡をみながら、スタート地点へ戻ります。途中に六地蔵の道標を見学。
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この場所はかつて、街道の交差点でした。側面に道しるべが彫られています。

今回は、真野寺の大祭に合わせて歩きました。みなさんにもご利益がありますよに。

イベントツアー「風早不動の大祭見学と小網寺」の報告

ガイドの独り事の更新をご無沙汰しちゃってました。
年末からの体調の悪さと、1月に入ってから外出する事が多くて更新するパワーが
なくなってました。

さぁ~体調も復活してきたし、こまめに更新していきますので、お時間の許す限り
ご覧ください。

今回は、1月28日に行いましたイベントツアー「風早不動の大祭見学と小網寺」
の報告です。
この日は、風が強かったのですが、陽だまりはあたたかく絶好とは言えませんが、
ウォーキング日和でした。
今回歩いたエリアは、館山市の豊房地区という場所で、中でも岡田地区をメイン
にウォーキングしました。
豊房地区公民館を出発し、風早不動に向かいます。護摩焚きが10時からという
ことで、30分で風早不動に着く予定でしたが・・・
風早不動に行く途中には、黒牛さんがお出迎えしてくれました。
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陽射しが温かいのかで、ゆったりムード
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ここの牛さん達は、神戸レタスという味がよいレタスの出荷できないダメな物を
食べてます。舌の肥えた牛さん達です。

風早不動の本堂の手前には、不動明王の石仏があります。
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不動明王も日向ぼっこしていました。

不動明王の石仏の前を通り、数歩の所に風早不動尊があります。
少し風早不動のお話しをしたいと思います。

風早不動は、館山市岡田地区の谷の奥にあります。里見氏の時代、豊臣秀吉に
よる小田原城包囲の約2ヶ月前にあたる、天正18(1590)年2月28日に建立
されたと伝えられています。不動明王は病や災いを取り除く加持祈祷を行うとき
の本尊とされています。江戸時代後期から明治にかけて信仰がさかんで、堂内に
は多くの絵馬をはじめ境内外の奉納物が多くあります。近くに、修行の場となる
5mほどの不動ノ滝がながれていて、修行の場として大正時代まで、2階建ての
行屋があったそうです。滝は関東大震災で地下水の流れが変わり水が枯れてしま
ったといいます。現在流れている滝は近年に復興されたものです。
風早不動は、隠れた?子宝のお不動様で、お参りに来て、堂内の犬のぬいぐるみ
をお借りして帰ると、子宝に恵まれるという話があります。子宝に恵まれた人は
新しい犬のぬいぐるみと借りていったぬいぐるみをもってお礼まいりをするという
風習があります。小さいお子さんを連れてお参りに来てる方が、見られました。
地元の方に話を聞くと、不思議とここにお参りするようになったら、子供が授かっ
たという話が多く聞かれます。

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風早不動です。今日は初不動という事もあり、岡田地区の方々が甘酒やらお赤飯を
作っていました。

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本堂と向拝です。この向拝の龍の彫刻は、安房の彫刻師・後藤義光78才のとき
の作と書かれています。

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出羽三山碑と倶利伽羅竜王です。本堂に向かって左手を流れる小さな滝の近くに
あります。不動明王の利剣にかみつき飲み込もうとするクリカラ竜王の石塔です。
この形は、不動明王を象徴的に表しているものです。

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修行されていた滝です。右側の写真は、滝の所(滝壺近く)にお不動様が居ます。
なかなかうまく見れませんが・・・

無事に、お参りも終わり、小網寺方面へ向かいます。
途中、十三騎塚や十二所神社を見て小網寺に行きました。
小網寺は、寺伝によれば和銅3年(710)の創建とされています。安房国札観音の三十二番
札所で聖観音菩薩が観音堂に祀られていて、観音像は平安時代の作で市の指定文化財です。
本尊は不動明王で、かつては真言密教の道場でした。
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おもむきのあるお寺です。

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観音堂と本堂です。

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梵鐘と向拝の彫刻です。
梵鐘は、鎌倉時代の弘安9年(1286)の作で、国の指定文化財になっています。
向拝の貯穀は、明治25年(1892)後藤義光の作です。

小網寺を後にして法華谷やぐらへ。
小網寺から少し下り墓地を抜けて苔むしった坂道を下ったところに、2基のやぐらが
並んであります。
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左側のやぐらは、生石に浮彫された五輪塔が2基あり、南北朝時代に造られたようです。
右側のやぐらは文政11年(1828)に地元の人々が奉納した弘法大師像がり、両側には五
輪塔が置かれています。伝説では、弘法大師が修行した場所ともいわれています。

法華谷やぐらから、あとは集合場所に戻り終了しました。