ガイドの独り事の更新をご無沙汰しちゃってました。
年末からの体調の悪さと、1月に入ってから外出する事が多くて更新するパワーが
なくなってました。
さぁ~体調も復活してきたし、こまめに更新していきますので、お時間の許す限り
ご覧ください。
今回は、1月28日に行いましたイベントツアー「風早不動の大祭見学と小網寺」
の報告です。
この日は、風が強かったのですが、陽だまりはあたたかく絶好とは言えませんが、
ウォーキング日和でした。
今回歩いたエリアは、館山市の豊房地区という場所で、中でも岡田地区をメイン
にウォーキングしました。
豊房地区公民館を出発し、風早不動に向かいます。護摩焚きが10時からという
ことで、30分で風早不動に着く予定でしたが・・・
風早不動に行く途中には、黒牛さんがお出迎えしてくれました。
陽射しが温かいのかで、ゆったりムード
ここの牛さん達は、神戸レタスという味がよいレタスの出荷できないダメな物を
食べてます。舌の肥えた牛さん達です。
風早不動の本堂の手前には、不動明王の石仏があります。
不動明王も日向ぼっこしていました。
不動明王の石仏の前を通り、数歩の所に風早不動尊があります。
少し風早不動のお話しをしたいと思います。
風早不動は、館山市岡田地区の谷の奥にあります。里見氏の時代、豊臣秀吉に
よる小田原城包囲の約2ヶ月前にあたる、天正18(1590)年2月28日に建立
されたと伝えられています。不動明王は病や災いを取り除く加持祈祷を行うとき
の本尊とされています。江戸時代後期から明治にかけて信仰がさかんで、堂内に
は多くの絵馬をはじめ境内外の奉納物が多くあります。近くに、修行の場となる
5mほどの不動ノ滝がながれていて、修行の場として大正時代まで、2階建ての
行屋があったそうです。滝は関東大震災で地下水の流れが変わり水が枯れてしま
ったといいます。現在流れている滝は近年に復興されたものです。
風早不動は、隠れた?子宝のお不動様で、お参りに来て、堂内の犬のぬいぐるみ
をお借りして帰ると、子宝に恵まれるという話があります。子宝に恵まれた人は
新しい犬のぬいぐるみと借りていったぬいぐるみをもってお礼まいりをするという
風習があります。小さいお子さんを連れてお参りに来てる方が、見られました。
地元の方に話を聞くと、不思議とここにお参りするようになったら、子供が授かっ
たという話が多く聞かれます。
風早不動です。今日は初不動という事もあり、岡田地区の方々が甘酒やらお赤飯を
作っていました。
本堂と向拝です。この向拝の龍の彫刻は、安房の彫刻師・後藤義光78才のとき
の作と書かれています。
出羽三山碑と倶利伽羅竜王です。本堂に向かって左手を流れる小さな滝の近くに
あります。不動明王の利剣にかみつき飲み込もうとするクリカラ竜王の石塔です。
この形は、不動明王を象徴的に表しているものです。
修行されていた滝です。右側の写真は、滝の所(滝壺近く)にお不動様が居ます。
なかなかうまく見れませんが・・・
無事に、お参りも終わり、小網寺方面へ向かいます。
途中、十三騎塚や十二所神社を見て小網寺に行きました。
小網寺は、寺伝によれば和銅3年(710)の創建とされています。安房国札観音の三十二番
札所で聖観音菩薩が観音堂に祀られていて、観音像は平安時代の作で市の指定文化財です。
本尊は不動明王で、かつては真言密教の道場でした。
おもむきのあるお寺です。
梵鐘と向拝の彫刻です。
梵鐘は、鎌倉時代の弘安9年(1286)の作で、国の指定文化財になっています。
向拝の貯穀は、明治25年(1892)後藤義光の作です。
小網寺を後にして法華谷やぐらへ。
小網寺から少し下り墓地を抜けて苔むしった坂道を下ったところに、2基のやぐらが
並んであります。
左側のやぐらは、生石に浮彫された五輪塔が2基あり、南北朝時代に造られたようです。
右側のやぐらは文政11年(1828)に地元の人々が奉納した弘法大師像がり、両側には五
輪塔が置かれています。伝説では、弘法大師が修行した場所ともいわれています。
法華谷やぐらから、あとは集合場所に戻り終了しました。