2月8日、館山・南房総にも雪が積もりました。9日の朝まで、残った雪が凍結していま
したが、夕方には道路にはほとんど雪がなくなっていました。館山は、あまり雪が降らなく
て安心しましたが、同じ南房総でも山あいの地域は、かなりの積雪だったとか・・・
2月6日に行いました月イチツアー「古道を歩いて真野の大黒さんへ」の報告です。
昨年の2月6日に大雪の予報が出ていて中止になったコースを今年度復活させました。という
事は、去年も同じ時期に雪の予報があったという事になりますね。今年の天候は、まずまずと
言ったところでした。
集合場所は、館山市の九重公民館近く。そこから古道を通って真野寺へ行きます。真野寺は、
地元では「真野の大黒さん」と言われている場所で、毎年2月6日は「大黒天福祭り(大祭)」
が行われ、安房の人々がお参りに訪れる場所です。
(この写真は大祭の時ではありません)
真野寺は、真言宗の寺院で、関東で弘法大師ゆかりの寺を巡る関東八十八ヶ所霊場の第57番札所
であり、安房国札観音の第25番札所でもあります。
寺伝によると、奈良時代の神亀2年(725)に、現在地より1キロほど東にある高倉山の山頂に行基
が開いたとされ、鎌倉時代(建永元年(1206))に野火に遭って建物が全焼、翌年鎌倉北条氏の帰
依によって現在の地に再建されました。その後も元禄の大地震や関東大震災で倒壊しましたが、そ
の度に再建されてきました。本尊は寺伝では行基作としている木像の千手観音菩薩立像で、室町時
代初期の作とされるお面をかぶり、御開帳のときも素顔を拝むことができないことから「覆面観音」
と称されています。「大黒天」は鎌倉時代の物で、関東地方に残る古像としては最大級のものです。
この大黒天は平安時代の貞観2年(860)、ここを訪れた慈覚大師が参籠中に朝日が昇るなか大黒天が
現れ、それを再現したと伝えられていて「朝日開運大黒天」と呼ばれています。
真野寺の説明は、まだまだありますがこれくらいにして、コースへ戻ります。
今回は30名のお客様たちと歩きます。スタッフ合わせて39名で出発します。
まずは、薗の堰を通り、石造物郡を見学。
山王石碑や三山碑や浅間様が祀られています。街道に面した場所には馬頭観音碑が多く見られます。
道には、折れた木がたまにありますが、かなり平坦な道なので楽しくあるけます。
途中、イノシシノのぬた場があったりもしますが・・・
道を進むと、真野寺の鐘楼堂の所へ出てきます。ここからは、皆さんお参り&昼食時間です。
この時間帯は、自分の事でいっぱいいっぱいで写真を撮るのを忘れてました。
お参りしたり、柳守買ったりと・・・
柳守というのは、雨にも風にも耐えて折れることのない柳のように人生の苦難に耐えて挫折しな
い教えを表し、白紙に包み水引で封じた糯米の撥ね入りのごとく災難苦厄を撥ね飛ばし八倍の繁
栄をもたらすという縁起が込められています。(お寺さんの解説より)
本当は、三福を授かった方がいいのですが、今回は柳守でけで・・・
三福とは、1.護摩札 2.宝槌 3.柳守 の3つの事です。
真野寺をあとにして、手力雄神社へ向かいます。
途中にある道標です。真野と大井を結ぶ旧街道の堀切にまのじちか道と彫られています。
少し歩くと、延命地蔵があります。道を通る人を上から見守ってる感じです。
古道を下って行くと手力雄神社に到着します。
手力雄(たぢからお)神社の祭神は、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を主神とし、
天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)、太田命(おおたのみこと)の三柱を祀っています。
天手力雄命は、天岩戸の神話に登場する神で、天照大神が天岩屋に隠れた時に岩戸を開いたと
されているため、天手力雄神は大力の武勇の神として崇拝され、武士の間では信仰が厚く、源頼義・
義家父子や源頼朝などが戦勝祈願に立ち寄ったと伝えられています。
本殿は、宝永井6年(1709)の竣工で千葉県指定有形文化財です。
写真に全て入らなかったご神木。
拝殿前に聳え立つ御神木の大杉は、館山市内最大のスギで、昭和47年(1972)に館山市の天然記念
物に指定されています。幹周4.64m、樹高28m、推定樹齢700年とされています。
手力雄神社を後にし、大井城跡をみながら、スタート地点へ戻ります。途中に六地蔵の道標を見学。
この場所はかつて、街道の交差点でした。側面に道しるべが彫られています。
今回は、真野寺の大祭に合わせて歩きました。みなさんにもご利益がありますよに。