提げ重パーティー

メリークリスマス!!今日は、クリスマスイブですね。宗派を関係なく、クリスマスを楽しん
でいますか?子供の頃は、クリスマスプレゼントを楽しみにしていましたが、大人になった今、
ケーキだけを楽しみにしています。どなたか私にクリスマスプレゼントを・・・・あっ!なん
でも良い訳ではありませんよ。できれば・・・・お待ちしております。

さて、今日のガイドの独り事は、先日、NPO法人千葉自然学校が主催する、「南房総の風土がは
ぐくんだ彫工波の伊八、後藤義光の作品と食を楽しむ 風・土・食」に参加してきましたので、そ
のお話しを。
1部は、提げ重パーティーで、2部はシンポジウムになっていました。

1部の提げ重パーティーは、南房総地域の農漁村のお母さん達が作ったふるさと料理を各地域
から持ち寄ってみんなで食べるという昼食会でした。昔は、集まりがあるというと、各家庭か
ら料理を持ち寄って、楽しんでいました。提げ重は、重箱に持ち手が付いていた物の事を言う
そうです。
では、メニューを少し写真で紹介します。
IMGP1827IMGP1829IMGP1833IMGP1830IMGP1831IMGP1832
お米の部・・・・・太巻き祭りずし・やき米・ひじきいなり・ごんじゅう・魚の赤漬けご飯・まご茶・
         野菜ずし・おはぎ。
主菜・副菜の部・・鯖の味噌煮・鯨の竜田揚げ・煮しめ・天ぷら・からなます・大和芋のいか
         和え・花なめこ・むかごの柚子みそ和え・白和え・皮きん・南総里見海のお焼き・
         しめ鯖・鰯のゴマ漬・七里豆とひじきの白和え・ひじきの酢の物・てんもんどう・
         嶺岡とうふ(牛乳とうふ)・菜花料理
デザート・・・・・ババロア・菜花のシフォンケーキ・米粉ケーキ・むらさき芋羊羹
その他・・・・・・船橋産新のり
からなますは、何か所も作ってありました。うさぎの形をしたものや俵形に握ったものなど、南房総
の各地で親しまれてる料理なんです。確かに、親戚の家のお祭りや集まり事には、からなますがいつ
もありました。
いろいろな地域のふるさと料理や自然食材を活かした料理などがあって、少しづつ取っても食べきれ
ないい量で、お皿の上はこんな状態に・・・
IMGP1841
地域の家庭料理で、慣れしたしんだ味もあれば、初めて食べた味もありますが・・・いなかのおふく
ろの味を感じた料理で、美味しかったです。因みに、取りきれなかった料理を、写真の他に2回取り
に行ってしまいました。完璧に食べ過ぎです。
美味しかった料理の中でも、嶺岡とうふ(牛乳とうふ)・魚の赤漬けご飯がお気に入りでした。嶺岡
とうふは、酪農の発祥の地でもある安房で育てられた牛乳を使って作った物です。クリームチーズの
ような感じでした。

あっ!「てんもんどう」という名前の料理がありました。私は聞いたことがなくて・・・
IMGP1838
野菜を砂糖煮し乾かしたものだそうです。農家さんが畑作業に忙しいときに畑に持って行って、エネ
ルギー源としたり、農作業の途中のこじゃの時間に間食として食べられてたそうです。
防腐剤を使わなくて10ヶ月程もつんだそうです。
これって野菜菓子ですが、てんもんどうと呼ぶのは、千葉県だけなんだそうです。
不思議ですねぇ~。

お腹がいっぱいになった後は、シンポジュウムに突入です。満腹のうえ、午後から講演を聞くという
状況で、目がくっついてしまうのではないかと心配していましたが・・・講師の方のお話しが御上手
で、目がくっつかずにすみました。
シンポジュウムの第1部は、「房総のふるさと料理」ということで千葉県伝統郷土料理研究会主宰の
龍崎栄子先生の講演です。
IMGP1842

第2部は、「南房総における波の伊八と、後藤義光・武田石翁」で鴨川氏の石川丈夫さんの講演です。
IMGP1845
安房が生んだ、彫刻師の話や地域の特性などを聞きました。

第3部は、パネルディスカッション「地域資源の活用」です。パネラーとして倶楽部の代表が出席
しました。
IMGP1846
お疲れ様でした。

あと数日で、お正月休みになります。年末年始で、お忙しくなると思いますが、交通事故・火災など
に気を付けて、素敵な新年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いします。

26年度コース下見開始

朝晩かなり冷え込んできた館山・南房総。
最近は、館山・南房総特有の西風が連続して吹いています。この西風の事を地元では「おおにし」と
呼んでいます。海岸線を走れば、砂がバラバラと車にあたります。温暖な気候ですが、この大西が
吹くと台風並みの風の勢いです。

そんな中、来年度のコース内容を確認しに、南房総市千倉町へ行ってきました。このコースの予定日
は、なんと再来年の1月予定。来年の3月には、26年度版のウォーキングのチラシを配布するので、
コース内容の確認はこの時期から始まります。何回かコースの下見をしてから、ウォーキングツアー
の当日を迎えるわけです。

今回は、南房総市千倉町にある、高塚不動&高塚山へ。大西吹き荒れる中、道の駅「潮風王国」を
出発し、高塚不動(大聖院)を目指します。
高塚不動の手前には、道標が・・・
IMGP1825

道標から少し歩くと、前不動があります。
IMGP1761

妙高山大聖院です。
IMGP1779

大聖院本堂の裏にまわり階段を登って行った場所に高塚不動堂があります。
IMGP1768
この階段は、なんだか少し上がりづらい階段のような・・・ななめっちょこになっているような・・・
そんな感じの階段です。(私だけかもしれませんが・・)

この不動尊の開基は奈良時代に奈良時代に東大寺の創建などに尽くした華厳宗の良弁僧正と言われてい
ます。良弁は、諸国修行の途中、安房の国にお堂を建て、修行の日々を過ごしていました。不動明王の
尊像を彫刻し、堂内に祀りました。その後、この像は一旦行方不明になりましたが、嘉応元年、近くの
浜で発見され、高塚山山頂にお堂を建立し安置しました。昭和初期に修理中の火事で一部が焼け、昭和
36年に現在の場所に遷されました。

お不動さまをお参りして、高塚山の頂上にある奥の院を目指します。
高塚山登山口の看板には、奥の院まで880mと書かれていました。少し心が折れそうになりましたが、
気合を入れて階段&坂道を登っていきます。
IMGP1780

途中からの景色です。
IMGP1783
ここで、まだ半分くらいかな?でもこの景色を見たら、頂上までがんばれます。

鳥居が見えました。着いたかと思ったのもつかの間、まだ先がありました。
IMGP1787

やっと風神雷神門が見えました。やっと頂上です。
IMGP1790
門の中には、風神と雷神の石像があります。文政13年(1830)に長狭郡平塚村(現鴨川市)
の3人の石工がノミを使って石像を刻みました。なかなか、チャーミング?な風神雷神様です。
写真は・・・・ご自身の眼で見てほしいので、今回はごめんなさい。

奥の院のです。
IMGP1796
手前にある狛犬は、明治12年(1879)に奉納されました。彫刻は、初代後藤利兵衛橘義光の作品です。
また旅倶楽部、恒例の文字チェックが入りました。
IMGP1808

元不動堂の裏を登っていくと、高塚山の頂上になります。高塚山の高さは216mです。
頂上からの景色ではありませんが、奥の院からの景色です。
IMGP1801IMGP1802

少し休憩をしてから、下山していきます。来た道と同じ道を少し通り、別の尾根道へ。
なかなかのハイキングコースです。少しスベリやすい所もありますが、慎重に歩けば問題ない道です。
下界の音がしてきたところに、景色のよい堰がありました。
IMGP1810

下界に到着後、長性寺へ。
IMGP1811
長性寺は、真言宗のお寺です。境内の観音堂の登り口には、鯨塚があります。

IMGP1817
古来からこの地方の住民には、鯨は霊獣としていて、明治29年(1896)、当時にクジラを捕獲した
時、鯨は神から授かった大切な恩恵であると住民は思い、鯨の肉部分は住民が食用として分配してい
ました。しかしこの鯨を丁重に扱わなければ重大な災いがあるのではないかと心配した住民が、鯨を
供養する為、心臓部を埋葬する為に供養塔「鯨塚」を建立しました。

今回の下見の最後は、高皇産霊神社です。
IMGP1824
残念な事にこの神社の建立の由来は不明なんです。ごめんなさい。

あとは、潮風王国に帰るのみです。潮風王国へは、お花畑の道を通って帰ります。今は、金盞花が
咲いていましたが、1月になれば、ストックやポピーなどのお花を見ながら帰れます。
因みに、このウォーキングツアーは平成27年1月28日に開催します。初不動の日です。
ご興味の持った方は、是非、ご参加下さい。

城跡シリーズ「宮本城」報告

11月の終わりから3週連続ウォーキングツアーを開催しています。
今回は、城跡シリーズ「大津の里と宮本城」を開催しました。
なぜか?城跡シリーズを開催するとき、晴天ではないんですよね。これも里見氏の・・・
なんて思ったりしたりして・・・今回も、曇り空で冷たい風が吹いていました。

出発は、おおつの里花倶楽部から、熊野神社・諏訪神社を目指します。
この熊野神社と諏訪神社は同じ場所にあるんです。

諏訪神社

諏訪神社

熊野神社

熊野神社


神社の境内には、大きなナギの木があります。ナギの木は熊野神社のご神木なので、熊野神社が
ある所には、ナギの木があるということです。
でもなんで?熊野神社と諏訪神社が同じ場所?と思われるかと思いますが、里見氏が信仰するのが、
八幡・諏訪神社ということで、里見氏が進出してからは、青木地区の山の谷奥に熊野神社は追いやら
れてしまったんです。里見氏が断絶してからは、表に出てくる事ができたんですね。でもなぜ?大庭
地区の諏訪神社が同じ場所に祀られてるのかは・・・・

IMGP1728
イチョウの葉が絨毯状態になっていて綺麗です。

神社をあとにして、仲尾沢林道を通って宮本城城を攻めていきます。
IMGP1737
大正時代に仲尾沢に大八車が通れる道を造ろうと、村総出で工事をしましたが、隧道は地盤が
軟弱で、崩落を繰り返し工事はなかななか進みませんでした。内面に石を組み、なんとか隧道
は完成したそうです。

いよいよ山の中へ。
IMGP1740
青面金剛石像(庚申塔)です。
ここは、庚申信仰の場所だった所です。道教では、人間の胎内に三尸という3種類の悪い虫が
棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くといいます。そのため、三尸が活
動するとされる庚申の日の夜は、眠ってはならいとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹
夜で過ごすという「庚申侍」の風習がありました。もとは、平安貴族の間に始まり、近世に入
っては、近隣の庚申講の人々が集まって、夜通し酒宴を行う風習が民間にも広まったそうです。

主郭部を目指して歩きます。
IMGP1741

途中に大きなホルトノキがあります。
IMGP1743IMGP1744
ホルトノキは、常緑高木ですが、古い葉は落ちるまえに紅葉します。花期は7月~8月頃の初夏に花が咲き
ます。名前の由来は、「ホルト」がポルトガルのことを意味するという説と、江戸時代に薬用に使われてた
ホルト油(オリーブ油のこと)の採れる木と誤解されたためという説があります。
この宮本城跡にあるホルトノキの側には、埋蔵金伝説も残っています。

主郭部に到着しました。
IMGP1746IMGP1754
宮本城は、標高183mの山上の郭を中心に、多数の郭を配置した山城で、主郭を中心に何段もの腰曲輪を
重ねた多郭構造になっています。
歴史的には、天文2~3年におきた里見氏の天文の内乱で滅んだ里見義豊方の城とされています。永禄7
年の第二次国府台合戦に里見氏が敗れて以来、北条氏の攻勢が続き、北を意識した防備という点で、機能
を宮本城はもつにいたったとみられています。

主郭部からの景色はこんな感じです。
IMGP1748
南方に鏡ケ浦が望め、また岡本城の一部も見る事ができます。さらに、東方2㎞には、滝田城があり、両城
は密接なつながりを持っていたと考えられます。

主郭部の所に、浅間大明神が祀られています。
IMGP1752

主郭部を後にして、下って行きます。少し滑りやすい急な坂です。
これでは、なかなか攻められないなと思います。

妙蓮寺へ向かう途中、牛乳を集める場所があります。中には、水槽があり、そこに牛乳(牛乳缶)を入れ
冷やしておいたとの事です。
IMGP1757

妙蓮寺は、日蓮宗のお寺になります。その近くには、旗立山があります。
IMGP1758
妙蓮寺には、急な階段を登って行きます。妙蓮寺は、番所の役割を兼ねて備えてあったと思われます。
旗立山は、宮本城の主郭と連絡を取ったと場所と言われています。

今回の宮本城は、いままでの城跡より、少し足場が悪い所でした。雨の後とかは、滑りやすいので、
登られるときは、気を付けて下さい。

次回は、年明けての1月19日(日)月イチツアー「天田山と芸術の寺院を訪ねる」です。
館山の野鳥の森最高地点、天神山から天田山に行きます。是非、ご参加下さい。

月イチツアー「里山の隠れた石仏を探訪」報告

12月に入りましたねぇ~。今年も残り少なくなってきました。
また旅倶楽部では、来年度のウォーキングコースの検討と調整を始めました。
あっという間に、4月になってしまいますからね。3月上旬には、来年度の
コースパンフレットをお渡しできるかと・・・お待ちください。

さて、師走に入りすぐに12月の月イチツアー「里山の隠れた石仏を探訪」を
開催しました。朝晩は冷え込みますが、おてんとう様が出てくると、暖かくウォーキング
日和でした。
今回のコースは、館山市の豊房地区の山荻・古茂口を歩くコースになっています。
豊房地区は、農業の盛んな地区です。少し山に入ると、今は使われなくなった、街道など
があります。
コースは、豊房公民館ー福楽寺ー山荻神社ー日枝神社ー福生寺ー南条八幡神社ー姫塚ー観音寺
ー豊房公民館の約10㎞のコースです。途中、古道を通って廻国塔や庚申塔などを見てきました。

スタートは、豊房公民館で恒例の挨拶&コース説明から始まります。
IMGP1668
少しですが、イチョウの紅葉も楽しめました。

IMGP1673IMGP1675
福楽寺です。福楽寺は、和歌山県の根来寺の流れをくむ新義真言宗の寺院です。伝承によれば、
元和4年(1618)に白浜町滝の口から現在の場所に移ってきました。
右側の写真は、宝塔です。この宝塔は、安房の3名工の一人、武田石翁の作品です。
正面には「光明真言六億遍供養塔」と刻まれています。

福楽寺の隣にあるのが、山荻神社です。
IMGP1607
景行天皇の御代(12代天皇で日本武尊の父と伝えられています)、この地に祭場を定め、正倉を
作り稚産霊神・猿田毘古神を祀ったのが始まりとされ、和銅年間(708~715)に新たな社殿を建てて、
別に大穴牟遅命、少毘古名命を加え四座を祀ったと伝わっています。現在の社殿は、大正7年に火災
で焼失、大正12年関東大震災で倒潰したあと、昭和2年に再建されたものです。

ここの神社には、珍しい手水石があります。
IMGP1683
水盤の下の方をご覧下さい。四匹の邪鬼が居ます。この邪鬼の上に水盤が乗った型は、大変珍しい
ものです。
IMGP1682
4匹とも顔が違うんですよ。

山荻神社を後にして、古道を歩いて廻国塔へ。
IMGP1688
昔は、千倉町からこの豊房をつなぐ街道になっていたそうです。千倉から、この山の地に魚を売りに
きていたそうです。
IMGP1689
道より少し上にあり、街道の安全を見守っているような感じです。

次は、日枝神社を目指します。
IMGP1693

日枝神社です。
IMGP1615
日枝神社の裏側の山の中に庚申塔があります。お客さんのみなさんは、庚申塔まで行きましたが、
私は、ちょっとした問題が起こり、行く事が出来ませんでしたので、写真がありません。

山を下り福生寺です。
IMGP1621
一溪妙周大姉の五輪塔があります。この五輪塔は、里見義豊の妻の墓と伝えられていて、安房地域で
もっとも大きい五輪塔になります。

南条八幡神社です。
IMGP1697
祭神は、譽田別命(応神天皇)です。伝承によれば古代南条は、海辺の漁村で、あるとき疫病が
流行したため、その病難を免れるための神を祀ったのがはじまりとされています。

海辺の漁村だった事がわかるものが残されています。
1つは、沼珊瑚層です。池の中の島にサンゴの化石がみられます。
もう1つは、手水石です。
IMGP1699
分かりづらいですが、水盤の下に人魚が居ます。

社殿の背後にある山腹には、社殿改築のために何基か潰されていますが、古墳時代の横穴墓38基が
あり、東山横穴群と呼ばれています。
ここには、多くの歴史がある場所なんですね。

南条八幡神社を後にして、姫塚へ。
IMGP1704
福生寺にあった、五輪塔はもとは、ここにあったと言われています。
里見義豊の夫人で、南条城主の鳥山左近大夫時貞の娘だったと伝えられています。天文の乱で、夫義豊
の討死を聞いた正室が自害して葬られたという伝承がある場所です。
聞いた話によると、姫だっただけあって、「お墓に、化粧道具を入れてほしいと」言ったそうです。

最後は、観音寺です。
境内にある法界満霊塔は、館山の名工、俵光石の作で、六角中の塔に地獄絵が細かく刻まれています。
IMGP1708

今回は、距離的には、10㎞と長い距離でしたが、天気に恵まれて楽しく歩いていただけたかと・・・
次回のウォーキングは、12月8日(日)城跡シリーズ「大津の里と宮本城」です。
お待ちしております。