11月の終わりから3週連続ウォーキングツアーを開催しています。
今回は、城跡シリーズ「大津の里と宮本城」を開催しました。
なぜか?城跡シリーズを開催するとき、晴天ではないんですよね。これも里見氏の・・・
なんて思ったりしたりして・・・今回も、曇り空で冷たい風が吹いていました。
出発は、おおつの里花倶楽部から、熊野神社・諏訪神社を目指します。
この熊野神社と諏訪神社は同じ場所にあるんです。
神社の境内には、大きなナギの木があります。ナギの木は熊野神社のご神木なので、熊野神社が
ある所には、ナギの木があるということです。
でもなんで?熊野神社と諏訪神社が同じ場所?と思われるかと思いますが、里見氏が信仰するのが、
八幡・諏訪神社ということで、里見氏が進出してからは、青木地区の山の谷奥に熊野神社は追いやら
れてしまったんです。里見氏が断絶してからは、表に出てくる事ができたんですね。でもなぜ?大庭
地区の諏訪神社が同じ場所に祀られてるのかは・・・・
神社をあとにして、仲尾沢林道を通って宮本城城を攻めていきます。
大正時代に仲尾沢に大八車が通れる道を造ろうと、村総出で工事をしましたが、隧道は地盤が
軟弱で、崩落を繰り返し工事はなかななか進みませんでした。内面に石を組み、なんとか隧道
は完成したそうです。
いよいよ山の中へ。
青面金剛石像(庚申塔)です。
ここは、庚申信仰の場所だった所です。道教では、人間の胎内に三尸という3種類の悪い虫が
棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くといいます。そのため、三尸が活
動するとされる庚申の日の夜は、眠ってはならいとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹
夜で過ごすという「庚申侍」の風習がありました。もとは、平安貴族の間に始まり、近世に入
っては、近隣の庚申講の人々が集まって、夜通し酒宴を行う風習が民間にも広まったそうです。
途中に大きなホルトノキがあります。
ホルトノキは、常緑高木ですが、古い葉は落ちるまえに紅葉します。花期は7月~8月頃の初夏に花が咲き
ます。名前の由来は、「ホルト」がポルトガルのことを意味するという説と、江戸時代に薬用に使われてた
ホルト油(オリーブ油のこと)の採れる木と誤解されたためという説があります。
この宮本城跡にあるホルトノキの側には、埋蔵金伝説も残っています。
主郭部に到着しました。
宮本城は、標高183mの山上の郭を中心に、多数の郭を配置した山城で、主郭を中心に何段もの腰曲輪を
重ねた多郭構造になっています。
歴史的には、天文2~3年におきた里見氏の天文の内乱で滅んだ里見義豊方の城とされています。永禄7
年の第二次国府台合戦に里見氏が敗れて以来、北条氏の攻勢が続き、北を意識した防備という点で、機能
を宮本城はもつにいたったとみられています。
主郭部からの景色はこんな感じです。
南方に鏡ケ浦が望め、また岡本城の一部も見る事ができます。さらに、東方2㎞には、滝田城があり、両城
は密接なつながりを持っていたと考えられます。
主郭部を後にして、下って行きます。少し滑りやすい急な坂です。
これでは、なかなか攻められないなと思います。
妙蓮寺へ向かう途中、牛乳を集める場所があります。中には、水槽があり、そこに牛乳(牛乳缶)を入れ
冷やしておいたとの事です。
妙蓮寺は、日蓮宗のお寺になります。その近くには、旗立山があります。
妙蓮寺には、急な階段を登って行きます。妙蓮寺は、番所の役割を兼ねて備えてあったと思われます。
旗立山は、宮本城の主郭と連絡を取ったと場所と言われています。
今回の宮本城は、いままでの城跡より、少し足場が悪い所でした。雨の後とかは、滑りやすいので、
登られるときは、気を付けて下さい。
次回は、年明けての1月19日(日)月イチツアー「天田山と芸術の寺院を訪ねる」です。
館山の野鳥の森最高地点、天神山から天田山に行きます。是非、ご参加下さい。