7月に入りました。前半は肌寒い日があったりと雨が長く降ったりとありましたが、ここ
数日は、急な猛暑で体が付いていけてなようです。
あと、館山・南房総ではお祭りシーズン到来です。7月の土日は、どこかでお祭りがやって
います。血が騒ぐ季節になりました。
さて、7月初めの日曜日に月イチツアー「山の集落「畑」探訪」を開催しましたので、報告
します。まずは、畑小学校跡に集合です。「畑地区」ってどんなところ?とお思いだと思い
ますので、少しご紹介を・・・実は・・・私も余り知らなかった地区です。「畑(はた)」
という地区があるというのは、中学校の時から知っていましたが、数年前まで、一度も足を
踏み入れた事がなかった地域でした。
畑地区は豊房地区の奥、南房総市の千倉町と白浜町に接する山間部にあります。平家の落人伝
説もある静かな集落です。農業では、正月用の生け花として使う千両栽培がさかんに行われて
います。千両は実のつきがよく、その品質の高さで全国的にも有名です。
平成22年4月に広域農道安房グリーンラインが開通して行きやすくなりました。
長尾三神社へお参りしてから、ウォーキングスタートです。
長尾三神社は、畑地区の鎮守です。元々は、長尾神社・八幡神社・八雲神社の3社ありましたが、
50余戸での維持が困難なため、大正9年に合祀が決まり、翌10年に長尾神社の地に新社殿を
造営し長尾三神社と名付けられました。境内には、自然石の力石が2個あります。
お参りした後は、用水路を見に歩きます。畑地区は、長尾川の上流域に位置し、豊かな水源に恵ま
れていますが、川床が低いため、先人の知恵と工夫により、明治時代に灌漑用水路が敷設され、現
在でも地区内に張り巡らされた用水路が水を供給しています。
この写真は、生活道路の下のトンネルを作り水を廻しています。この日は雨が降っていたので、水の
量が多かったです。
次に、畑小学校が使っていた川のプールを見に行きましたが・・・大雨により増水してしまって、そば
まで行く事ができませんでしたので、以前撮った写真で紹介します。
50年程前には畑小学校にプールはなかったのですが、子供の為に保護者や村人の労力奉仕により、川
を堰き止め、コンクリート製の25mプールを作ったそうです。
今は、落ち葉なのどの堆積物が溜まってしまって使えませんが、とても涼しい所です。
次に向かったのが、報恩碑のある場所です。ここは、私有地ですので、許可を頂き、見学させてもらい
ました。
報恩碑は、畑地区開拓の歴史を伝える碑です。今から1000年以上前に、新悟・萬悟・平作・野庄の
4人の落武者が畑へ逃げ延びてきたことが記され、野庄が石井家の先祖であるとしています。明治29
年に石井金治が元長尾藩士で漢学者の恩田城山に撰文を、熊澤直見に篆額や文字を、俵光石に彫りを頼
んで建立したそうです。
次に水路を見学しに・・・
上流に分水堰を作り、粘土質の岩盤に勾配を保ちながら水路をノミとツルハシで掘削していき、山に当れ
ば、二五穴隧道を掘り、谷や道路に掛れば樋を架け、嵐で壊され水漏れで悩まされ、最後は大掛かりなサ
イホン装置の築造になり、水路はやがて長尾川へ滝落としで川へ戻ります。
次に向かったのが、瑞龍院です。こちらも、通常は中を見学する事はできませんが、檀家総代さんや檀家
さんのご厚意により、今回特別に中を見せてもらう事ができました。ありがとうございます。
瑞龍院は、曹洞宗の寺院で、天正5年(1577)の開創です。開基は里見義弘。本尊は虚空蔵菩薩で、義弘の
守り本尊が寄進されたと由緒書にあります。
堂内の欄間は、文化5年(1808)、長狭の武志伊八郎信由(初代伊八58歳)とその弟子森久八により彫ら
れた龍の彫刻があります。
あと里見義弘の位碑や義弘像の頭部と伝えられれいる木像が安置されています。
木像の義弘は結構イケメンに彫られています。
里見義弘の正室は小弓公方足利義明の娘で、鎌倉太平寺の住職青岳尼(しょうがくに)です。義弘が、鎌倉
を攻撃した時に、彼女に恋い焦がれるあまり、太平寺にいた青岳尼を訪れて、還俗して自分の妻になるよう
に勧めました。彼女もこれに応じて、江戸湾を渡り、義弘の元へやってきて正室になったのだそうです。こ
んな話を聞くと、やっぱり義弘は実物もイケメンだったのでは、ないでしょうか?
瑞龍院の見学した後は、本当だったら、奥の宝篋印塔などを見学する予定でしたが、天気予報では、午後から
雨が強くなる予報がでていましたので、今回は、食事をとり出発地点に戻り終了しました。
参加者のみなさん、畑地区のみなさん雨の中ご協力ありがとうございました。