月イチツアー「白浜城跡縦断」報告

今年度も残すところあと少しです。また旅倶楽部でも来年度(28年度)のウォーキングツアー予定表
を作成しました。印刷の上がりが発送作業が完了しました。3月中までには、安房の道の駅さんに置か
せていただけるように、配りに行きますので、もう少しお待ち下さい。

さて、2月に予定しておりました月イチツアーの「白浜城跡縦断」でしたが、当日は雨にみまわれてし
まい延期となりました。でも、中止ではもったいないとの事で、3月に入り復活ツアーとしてやりま
した。少し天気が不安定な感じではありましたが・・・なんとか開催する事ができました。

出発地点は、旧白浜町役場からです。
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本日は、小学生の男の子が参加してくれました。

まずは、白浜小学校の前にあります道標を見学しました。
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この道標は、大正天皇御大典を記念して対象4年11月に立てられたものです。

次に、福寿院の前を通り青根原東登山口から白浜城跡を攻めていきます。
福寿院の前には、お地蔵さまが・・・
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福寿院は山号を明堂山といいます。曹洞宗のお寺で、本尊は木造釈迦如来(南房総市指定文化財)。
里見成義の菩提寺で成義の木像があります。

青根腹登山口から白浜城跡を縦断していきます。
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ここのところ、雨が多かったり日照不足だったり、イノシシが居たりで足場がかなり悪く
なっていて、注意しながら歩いて行きます。なので、足場がいいところでの写真しかあり
ません。

白浜城跡を縦断し、出たところで昼食を取り、舗装された道路を歩いて行きます。途中、
サルを見かけたりと・・・長尾藩陣屋跡へ。
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明治維新で徳川政権が300年にわたる政権を朝廷に返上すると、将軍慶喜は水戸へ隠退、家達が
徳川家を継いで1大名として駿河・遠江・三河で70万石の静岡藩主となりました。このため駿遠
の諸大名は房総へ領土を移され、田中藩主本多正訥安房国長尾藩主として長尾(白浜)に陣屋を構
えました。後に北条(館山市)へ陣屋を移しますが、時代の急速な変化に明治4年長尾藩は解体し
ます。明治元年(1868)、田中藩は長尾に陣屋を建設することで、準備が進められました。その地を
選定し、中心となってこの任に当たった藩の兵学者恩田仰岳です。明治2年から藩士の移住も進ん
でいましたが、その年の夏大風のため建設中の陣屋は倒壊し、翌年正月から北条へ移転計画がすす
められました。長尾への陣屋建設は当初より反対もあったため、陣屋倒壊で仰岳は職を辞します。
北条移転後は荒廃し、現在は山林と畑になっています。

白浜城跡の搦手口(島崎口)を通り、青木太子堂へ。
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南房総市指定文化財でもあります、木造聖徳太子立像が本尊として祀られています。

次は、青木観音堂へ。
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この観音堂には十一面観音が祀られています。他にも南房総市指定文化財の木像賓頭盧尊坐像が祀ら
れています。これは、永禄6年(1563)に源民部太輔という里見氏の一族が奉納したものです。

すぐそばにある、弘法大師の芋井戸へ。
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言い伝えが2パターンあるので、不思議なのですが・・・・
まずは、南房総市の民話から・・・
昔むかし、房州の青木の里に住んでいた意地悪な婆さんが、ある日、清水の湧く井戸端で里芋を洗って
いると、「お婆さん、私にその芋を少し分けてくださらんか。」と静かな声で頼む人がいました。振り
返って見ると、そこにはみすぼらしい旅のお坊さんが立っていましたので、婆さんは、「お前さんにや
る芋はねえよ。」とけんもほろろに断りました。旅のお坊さんは重ねて芋を布施してくれるように言った
のですが、それでも婆さんは、「この芋は石芋で食えねえよ。」と嘘をついてまた断りました。お坊さん
は、「さようか、石芋か。」と言い、婆さんの姿をじっと見ていました。家に帰った婆さんが、芋を煮て、
食べようと口に入れたところ、どれも石のように固く食べられなかったのです。怒った婆さんが、その芋
を洗った井戸へ投げ捨てますと、何と、煮た芋なのに青い葉が出て、間もなく井戸いっぱいに広がったの
です。婆さんは驚き、「あのお坊さんは弘法大師様だったに違いない、私は悪いことをした。」とすっか
り改心し、信心深い優しい人になりました。
次は、芋井戸の前にかかれている南房総市の教育委員会が作った看板の内容・・・
その昔、弘法大師が諸国遍歴のおり、当地青木に立ち寄りました、その時、一人の老婆が正月用に神仏に
供える里芋を洗っているのを見て、「お婆さん、その洗っている芋を一つ私にください」と言うと、老婆
は心良く、「はいはい」と土で汚れている芋を綺麗に洗い差し上げました。弘法大師は、その厚意に大変
喜ばれ、今もらった芋を池に入れ「この芋は、何千何百年末代まで枯れることなく、青々と繁り、綺麗な
花も咲きますよ」と老婆に言い、立ち去りました。その後、芋は芽を出し夏になると2メートル30セン
チ位に育ち、5・6本の黄色カンナに似た花が咲きます。やがて、どの花に黒いゴマ粒の倍位の実がなり
ます。冬が来ると、芋の丈は1メートル30センチ位に短くなり・・・・・
という感じです。
1つ目は、悪いお婆さんが改心した話で、2つ目は、最初からいいお婆さんという形です。皆さんはどっち
だと思いますか?

次に青根原神社へ。
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青木・根本・原田地区の神社が合祀されています。この場所は館の前といい、白浜城主の館があった所の
前といつことで、里見成義の墓があったといわれています。ここには天保3年(1832)に福寿院11世龍山
やその檀家によって立てられて記念碑があります。碑文は杖珠院古記に基づいたもので、白浜にいた里見
氏の歴史を記録してあります。

最後に、種林寺跡へ。
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里見義堯の長女種姫が建てたと言われている種林寺跡です。「種林寺顕彰碑」には、「義実の娘で小田喜
正木時茂の次男大太郎(永禄7年(1564)没)の妻となった種姫が建立した寺」という。種姫が建てた寺が
市原市朝生原にあります。富士山宝林寺といい、曹洞宗です。

ここで、雨が少し降り出しました。あとは、駐車場まで帰るだけで、急いで帰ります。
駐車場に着いたら本降りになりました。なんとか無事に天気がもってくれて助かりました。

今回は、白浜城跡縦断という事でしたが、南房総市白浜町のじょうやまの会のみなさんが、白浜城跡の
コースを整備しています。まだまだ、歩けるコースができると思います。

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