地域調査(南房総市和田編)

今回は、南房総市和田地区にある正文寺周辺を調査してきました。
南房総市和田地区の地域協議会さんより7月20日ガイドの依頼ばありまして、その為の下見になります。

今回のテーマは、正木氏の里ウォーキングとして、正木氏と関りのある場所を散策します。
あっ!正木氏ってなに?と思ってる方もいると思いますので、ちょっと正木氏の紹介を・・・
日本の氏族で、三浦半島を中心に平安時代末から鎌倉時代にかけて、房総半島にも勢力をのばし、
東京湾の制海権を握っていた三浦氏の系統だと言われています。

今回のウォーキングコースのメインテーマの正木頼忠氏は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。安房正木氏の一族である勝浦正木氏の当主正木時忠の次男です。
時忠(父)は安房里見氏に属していましたが、里見氏からの自立を目論み、北条氏康に属しました。そのことにより、頼忠は、人質として小田原城に送られ、小田原で結婚し、為春と於万を儲けました。その後、時忠(父)の跡を継いだ兄・時道は、北条氏から離れ里見氏に再属しました。頼忠は、北条氏の縁戚であった為、殺害はされませんでしたが、日常生活は監視されていました。その後、兄の急死、翌年父が死去した為、勝浦正木氏の家督を相続し勝浦城に戻ることになしましたが、妻と子供達は小田原に残す事になりました。頼忠の子・於万(後に養珠院)は、徳川家康に見初められ側室となり、子供は紀州徳川家初代藩主(徳川頼宣)と水戸徳川家初代藩主(徳川頼房)になりました。

ざっとこんな感じなんですが・・・なかなか正木氏は奥が深くて大変なんです。

さて、ちょっと知っていただいたところで、正文寺からスタートです。
IMGP0806
正文寺は、日蓮宗大本山小湊誕生寺の末寺です。当初(1175~1180)は、禅宗の寺でしたが、
1574年に正木頼忠が父・正木時忠の菩提のため、亡くなったこの三原の地に日蓮宗として再建
したと伝えられています。

IMGP0812
祖師堂です。外陣書面には明治21年、館山の川名楽翁によって書かれた絵馬「日蓮鎌倉帰着之図」
が掲げられています。また、お万の方寄進した物もあります。

川名楽翁作絵馬「日蓮鎌倉帰着之図」

川名楽翁作絵馬「日蓮鎌倉帰着之図」

お万の方寄進の御駕籠の棒

お万の方寄進の御駕籠の棒


残念な事に、籠の方は壊れてしまったそうです。
まだまだ正文寺については書きたいところですが、それだけで終わってしますので、次に・・

正文寺の裏山には、三原城跡があります。正木十郎時通の居城といわれています。また、台地の畑は
大庭遺跡といわれ、縄文土器片や黒曜石が出土するそうです。

三原城跡から見た景色

三原城跡から見た景色

地区の境にはこんな物が・・・自分の地区に、病気などが入ってこないようにしたものです。
IMGP0828

天御中主神社(あめのなかぬしじんじゃ)に向かう道は、なかなか味のある道です。
IMGP0836

天御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ)

天御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ)

最後は、お塚(正木家の供養塔)です。
IMGP0843
今回のテーマでもある正木氏の供養塔は外せない場所です。

ざっとご紹介しましたが、抜けてる場所がありますので、ご興味のある方は、是非参加して下さい。

今回は午前中に終わったので、和田町の道の駅WA・O!へ昼食を。。。。
6月から始めたくじら丼
IMGP0844
私は食べなかったので味については、分かりませんが・・・みなさん美味しそうに食べてました。

IMGP0848
私の食べたアジフライ定食です。おいしゅうございました。

月イチツアー7月「頼朝伝説と洲崎を訪ねる」報告

7月の月イチツアーは、梅雨明けすぐの7月7日に開催しました。
前日、テレビでは「今年一番の暑さになるでしょう」なんて言ってたので、水分と熱さまシート
を準備して、日焼けクリーム塗って万全の態勢で朝集合場所へ。
車から降りたくない・・・・と思いましたが、なんと海風が吹いていて、思ったより暑く感じ
ない。館山・南房総のいいところの1つ、海風が涼しい事です。日影に入ればなんとまぁ~爽やか
な事・・・・でも、やはり日向を歩くので、注意は必要です。

今回のツアーは、洲崎神社からスターとします。
洲崎神社は、源頼朝が石橋山の戦いでやぶれ、伊豆から逃げて来た時に、必勝祈願をした神社です。
洲崎神社にお参りから、頼朝の「いざ鎌倉へ!!」が始まったんですね。
本殿までは、急な階段を登って行きます。
IMGP1007
写真は、のぼり終えた景色です。

本殿前では、特別に宮司さんがご案内して下さいました。
IMGP1011

宮司さんの計らいにより、中にも入らせていただきました。
IMGP1020

中からの景色はこんな感じ。。。
IMGP1019
神様におしりを向けてしまいましたが、神様はいつもこの景色を楽しまれてる?いや、海の安全を見守って
くれているんですね。

次は、頼朝伝説が残る養老寺へ。
伝説の1つ、頼朝が洲崎神社への参詣したおり、昼食時に箸の代用にたススキを地に挿し、「わが武運
が強ければここに根付けよ」というと、のち数茎に根付いたという伝説があり、地元の人は「一本すすき」
と呼んでいます。
IMGP1031

役行者の岩屋です。
IMGP1033
岩屋の前には多くの履物が奉納されています。役行者が海上歩行や空中歩行の神通力を持っていること
から足の守護神とされているんですね。八犬伝では、役行者が化身が伏姫に仁義礼智忠信孝悌の八字
が浮かぶ数珠を授けるという場面に登場する場所です。

次は、矢尻の井戸から栄の浦へ。
IMGP1036

次に目指すは灯台へ。
途中、映画の撮影のセットが・・・・
IMGP1040IMGP1039
エキストラのみなさんスタッフのみなさんお天気に恵まれてよかったですね。
でも、暑そう・・・・

灯台へ辿りついたら、なんとヘリでの撮影があるらしく、奥まで入れなかったんです。
すごく景色がよかったと思うんですが・・・・写真に収められず・・・・
しかたないので、ヘリを撮ってみました。
IMGP1045

海岸へ出て、昼食です。海風が気持ちいい・・・・
食後のデザートは、灯台の入口のところにある、森田屋さんへ。
下見の時も食べましたが、今回も自家製ところてんを食べました。酢が体に浸み込む~

最後は、御神石へ。もう景色が最高!!です。
IMGP1047

今回は、暑さに負けずがんばって歩きました。心配していた程、暑さも厳しくなく、みなさん無事に
終わる事ができました。

イベントツアー「白浜塩浦浅間神社奇祭見学と大滝めぐり報告

本日は、昨日(6月30日)に行われました、南房総市白浜塩浦地区の浅間神社の
祭礼を見るツアーを実施しました。
梅雨時期もあり天候を心配していましたが、すごく暑くもなく夏場のウォーキングには
ちょうどいい感じでした。

白浜塩浦の浅間神社の祭礼は、富士山の山開きに合わせて行われます。(1日フライング
ぎみですが・・・)2時から祭典が行われるという事もあり、周辺の散策へ。

まずは、塩浦小滝へ。小滝の近くには、小滝涼源寺遺跡後があります。今は、発掘も終わり
畑になっているので、どこに??という状態ですが・・・
小滝涼源寺遺跡は、安房の古代祭祀遺跡のうち最古のものです。「まつり」の時期は、4世紀
中葉から5世紀初頭にかけて行われていた場所です。

塩浦小滝は、水量がありなかなかのものでした。(下見の時は、まったくでしたが・・)
NEC_0166
今回の写真は、カメラを忘れてスマホの画像です。ちょっとイマイチなのですみません。

塩浦小滝の所には、鍾乳洞もありますが、現在は立入禁止になっています。
次に、塩浦大滝へ。
塩浦大滝の近くで、塩浦大滝周辺の整備を行っている方にお会いしました。約3年前は、草や
竹などで人が近づけないような状態だったそうです。少しづつ整備を重ねて今の状態までに
なったそうです。前は、ゴミも多く片づけるのに大変だったそうです。
その方は、魚つりがしたくて、白浜に移住されたそうですが、山に魅せられて(たぶん大滝に
魅せられて)整備を始めたそうです。
すごく頭が下がります。
塩浦大滝は、小滝と同様、今回は水量が多く素晴らしい滝です。滝のそばは、マイナスイオン
が多く、すがすがしかったです。ちょっとここで、ゆっくりしていたい気分になりました。
NEC_0177
写真には入りきらなかったのですが、まだ上から出ています。

次に地蔵岩屋を見学。
NEC_0182

次は延命地蔵へ。
NEC_0184
大きなお地蔵様です。

お地蔵様は、地蔵菩薩で、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の
心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。一般的には「子供の守り神」として信じられており、
よく子供が喜ぶお菓子が供えられているところもあります。親しみを込めてお地蔵さんとかお地蔵様と
呼んでいます。

さぁ~本題の浅間神社へ。
2時からこっとり場と呼ばれるところで、祭典が行われました。
NEC_0196NEC_0199
祭典も終わり、本殿へ向かいます。
ほら貝の音と同時に山開きになります。
私達も、宮司さんや氏子さんの後に続いて、本殿へいきます。

NEC_0185NEC_0188
いつもは、拝殿や本殿が閉まっていますが、今日は特別に拝殿を通って行きます。

NEC_0201
ちょっと急なので、ゆっくり上がっていきます。

頂上にある本殿です。
NEC_0203
こちらも普段は見る事のない本殿です。
今回は、カメラを忘れてしまった事を悔やむ一日でしたが、良い物が見られました。
皆さんもこの夏、滝を見に来てみては、いかがでしょうか?

JR秋【旅市】の取材

本日は、JR東日本旅客鉄道の秋の商品の取材をしました。
秋の商品「旅市」に、今回、また旅倶楽部がガイドを担当する事になりました。
旅市というのは、地元の人との交流や地元のお宝を主にした旅行商品なんです。
詳しくは、旅市のHPをご覧ください。http://www.jreast.co.jp/tabiichi/concept/
そんな旅行商品に、また旅倶楽部がガイドとして参加出来るなんて!!感謝です。

という事で、本日はライターさんとカメラマンさんとJRの担当者さん、市町村の担当者さんと
一緒にパンフレット用の撮影に同行しました。
ガイドするのは、南房総で秋と言ったら小松寺。紅葉がきれいなお寺として有名ですが、歴史
あるお寺として、また伝承も残されているお寺として、なかなか味のあるお寺なんです。
まぁ~南房総には、お寺がだくさんあります。今の時期だと、あじさいのお寺「日運寺」。
彫刻で言ったら、石堂寺や小網寺など・・・沢山、魅力のあるお寺があるんですが、今回は、
小松寺をご案内します。

今日の小松寺は、睡蓮の花が池に沢山咲いていました。
IMGP0988IMGP0985

池には、鯉や亀までも居ました。(亀はわかりづらいですが・・・)
IMGP0980IMGP0984

おっと今日は取材でした。
本堂や境内で取材。
IMGP0961IMGP0973

本堂から少し歩いて、乙王の滝へ。ここは小松寺七不思議に入っている場所です。林道を歩いて行きます。
IMGP0991IMGP0992

ガイドの紹介の撮影です。
IMGP0968IMGP1001
なかなかいい感じに写真が撮れました。
この写真が、JR商品「旅市 秋」のパンフレットに載ります。
是非、みなさん秋には、JRの旅市で南房総にお越し下さい。私達、また旅倶楽部がお待ちしてます。

地域調査(館山市洲崎編)

予定していた下見の日が、運よく梅雨の晴れ間に恵まれました。
しかし・・・蒸し暑かったです(汗)

今回は、7月の月イチツアー「頼朝伝説と洲崎を訪ねる」の下見に行ってきました。
集合は、洲崎神社。ここの神社は、源頼朝が石橋山の合戦で敗れ、安房の地に逃れてきて、源氏の再興を
祈願をした神社でもあり、北条政子の安産祈願をした神社でもあります。また、室町時代に江戸城を築い
た、太田道灌が、鎮守として洲崎神社の御分霊を奉斎したのが神田明神の摂社八雲神社の前身と伝えられ
ています。
IMGP0894
朝だったので、逆光になってしまってますが・・ツアー当日は、階段を上って本殿へお参りします。
ちょっと階段を見るとフゥ~って感じになりますが、本殿からの景色は、最高です。

洲崎神社から少し行くと、富士講行者碑があります。
富士山を信仰して登山を繰り返し、昭和8年に88回の登山を達成した人物が記念に建てた物です。
この方、成功した時は、94歳だったとか・・・
IMGP0895

次に養老寺。
養老元年(717)に役行者を開祖として創建されたと伝えられ、本尊は洲崎神社の本地仏である十一面観音
菩薩です。境内にある石窟と独鈷水(どっこすい)は役行者との関係が伝えられ、「南総里見八犬伝」の舞
台にもなっています。また、頼朝の話も残されています。

役行者の洞窟

役行者の洞窟


今日の下見では、ご厚意により観音堂の中を見せていただきました。
ここの彫刻が素晴らしく、向拝に安房の名工後藤義光の師後藤三四郎恒俊の彫刻があります。
IMGP0907

頼朝伝説の井戸へ。
頼朝が上陸した飲み水がなかったので、岩間に矢尻を突き立てたところ清水が湧いたとう伝説の場所です。

頼朝伝説の井戸「矢尻の井戸」

頼朝伝説の井戸「矢尻の井戸」

少し休憩をして、海岸のへ。
これまた、下見という事で、コースに入れるかどうかの確認の為、栄の浦へ。
IMGP0920
とそこに、大きな物体が・・・亀です。でも・・・・命が尽きておりました。
海に流れているゴミなどを口にしていまう亀もいるそうです。ビニール袋が、プカプカ浮いていると、
獲物と間違え飲み込み、窒息死となる亀もいるそうです。合掌。

びっくりした後は、もしかすると本当は源頼朝が上陸した場所ではないのか?というところも
調査してきました。
石橋山の合戦に敗れて、安房に逃れてきて、初めて上陸した地点が房総半島に2つあります。
館山と鋸南町にあるんですね。お偉い先生が、鋸南に上陸したと決めてしまったので、鋸南が
有名になりましたが、その時代の人が今生きている訳もなく・・
伊豆から逃げてきて、その時代エンジンを付いていない舟で、東京湾の中に入るというのは大変
だったはずです。まして、飲み水も底をついているのに、わざわざ湾の中に入っていく?なんて
思います。それと、伊豆からサーファーが流されたりすると、洲崎沖で見つかるという事があります。
それを考えると、館山の洲崎ではないのか?と思ってしまいます。
↑あくまでも、自分だけの考えです。館山ひいきも入っていますので、あしからず・・・
IMGP0924
この奥に祠があります。怪しげな場所です。(当日は、足元が悪く岩の上で危険なので行きません)

IMGP0935
プライベートビーチ的な場所です。ちょっと漂着物が多いですが・・・
(ここも当日のコースには入りません)

さて、ルートに戻って、水上特攻艇格納壕へ。
IMGP0938
水上特攻艇「震洋」の格納庫です。この周辺には、いくつかあったそうです。
この写真は、壁に文字が彫られていて、読んでるんです。なにが書かれているのかは、ツアーの時
にお話しします。

洲崎灯台へ。
IMGP0943IMGP0942
房総半島の最も西の場所にある灯台です。洲崎灯台は、三浦半島最南端の東端にある剱埼灯台と共に
東京湾への出入りする船舶の目印です。
最近では、AKB48などのプロモーションなどで使われた事で有名になっています。
また、地域活動団体が、洲崎灯台周辺を「洲崎マーガレット岬の会」のみなさんが、マーガレット岬を
復活しようと活動をしています。

洲崎御台場へ行く前に、灯台を降りたところに、美味しそうな物が・・・灯台へ上る時から気になって
いて・・・休憩してみました。自家製のところてんとあんみつを食べました。
IMGP0945IMGP0946
因みに、私はところてんです。もう少し酢を足していただきました。歩いて暑くて、疲れた体には、
いいですね。疲れが取れた気になります。あぁ!!歩いてなくてもおいしいので食べてみて下さい。
当日は、寄る方向で考えておりますが・・・ツアー料金に含まれておりませんので、ご了承ください。

さぁ~洲崎御台場跡へ。
現在は、私有地になっていて、入場料を払わないと中に入れません。
この御台場後は、江戸時代の終わり頃、黒船襲来にそなえて、東京湾入口の安房や三浦に多くつくられ、
大砲が設置されました。洲崎には、5門の大砲が備えられていました。今は、その面影すらなく、重機
が入りキャンプ場として整備しています。

台場の石。
IMGP0948
お台場の石垣に使われてた石が、近くの民家の石塀に利用されています。

今は、天草のシーズンらしく、いろいろな所で天草が干してあります。
IMGP0913
この写真は、アスファルトの上です。歩いていると、いろいろな場所で海藻の匂いがします。

さぁ、最後は、御神石です。
IMGP0951
浜に祀られている長さ2.5mの丸みを帯びた細長の石です。竜宮から洲崎大明神に奉納された二つの
石のひとつとされ、もうひとつは三浦半島に飛んでいったといいます。それは浦賀の西にある安房口神社
にあります。なぜか?というのは、ツアー当日のお楽しみです。

このツアーは、7月7日(日)七夕です。
集合時間9:30
集合場所:洲崎神社
参加料:600円
持ち物:お弁当・飲料水他
小雨決行ですが、中止になる場合もありますので、2日前までに、また旅倶楽部までご連絡下さい。

地域調査(白浜塩浦浅間神社編)

梅雨入りしていますが、南房総・館山では、あまり雨が降っておりません。
ウォーキングツアーを開催する立場としては、雨が降らない方がいいのですが・・・
畑がカピカピ状態になってきていて農家さんは大変です。
今日は、梅雨らしい天気なりそうですが・・・・

さて、昨日(6月10日)、6月30日予定の【イベントツアー】白浜塩浦浅間神社奇祭見学と
大滝めぐりの下見に行ってきました。
当日の集合場所に集まり、コースを確認。
まずは、駐車場から、垢離場(こっとり場)と海野亀塚へ。
IMGP0868IMGP0867
うちのガイドさん達は、石碑を見るとそこに書いてある字を読み始めます。勉強熱心なんです。

そこから、弁天様→子育て地蔵→メインの浅間神社へ。
IMGP0871
<子育て地蔵>
館山・南房総には、お地蔵さん率が高いのです。いたるところにお地蔵さんが居ます。

浅間神社です。本殿が山の上にあります。祭り当日は幟旗が建てられ本殿が開かれます。
IMGP0873
狛犬です。なんだか顔が面白いので撮ってみました。私的には、アン○ニオ猪○ににているような・・・
IMGP0874

本殿前からの景色です。昨日は、大島が見えていました。
IMGP0880IMGP0881

延命地蔵→地蔵岩屋→塩浦大滝へ。
IMGP0885IMGP0887
やはりお地蔵さんです。岩屋のお地蔵さんは体の部分と顔の部分違うのです。結構そういうお地蔵さん
を至る所で見ることがあります。これには理由があるんですが・・・当日お話しします。

塩浦大滝です。紫陽花が咲いていて綺麗でした。当日まで、がんばって咲いててくれれば
いいのですが・・・・滝の水量も雨が降らないので、少ないようです。
IMGP0889
ちょうど、塩浦大滝を整備している方にお会いしました。約3年かけて整備したそうです。
いつもきれいにしてくれてありがとうございます。

その後、塩浦小滝&鍾乳洞へ。歩く距離的には、3㎞位になりますが、今回のツアーはお祭りが
メインになります。

祭りは、塩浦の浅間参りといいまして・・・
その年に生まれた子供がいる家では、孫に赤い鉢巻をさせ、誕生日と名前を書いた旗を持ち、
祖父母が背中に背負い、浜の垢離とり場からす裸足で参拝順路に従い、各所を拝みながら、
頂上の本殿へむかいます。本殿を3回廻り、旗を奉納し裏道を下ります。聖地に裸足で詣でる
信仰は、各地にありましたが、今伝承されているのは、極めて貴重です。

是非、ご参加下さい。
6月30日(日)9:30~15:00 ツアー参加料600円です。
お待ちしております。

地域調査(館山市宮城・笠名・大賀編)

6月9日の月イチツアーの下見に行ってきました。
下見の日は、日差しがあり、日向は暑いくらいでしたが、日影や木陰は、風があり心地よい
ウォーキングの下見になりました。

6月の月イチツアーは「洲ノ崎海軍航空隊と宮城浄水場」という事で、戦争遺跡関係の場所
をウォーキングします。
IMGP0663
射撃場へ続く道。戦闘機を置いて、この先約100mの位置にある的に向けて、機銃の調整をおこ
なうための的として使われていた施設の跡です。
IMGP0661
銃弾の跡とか見る事ができます。

IMGP0667IMGP0672
館山市茂名に続きく道です。手掘り?のトンネルを抜けて、浄水場を目指します。

浄水場までの途中にも、戦争遺跡の壕の跡が残ってます。
IMGP0669

いよいよ浄水場です。
門はこんな感じ。。。。
IMGP0678
今は、立入禁止になっていますので、中には入れません。
門から少し登ると、ため池?を見る事ができます。
IMGP0674
碑が残っていますが、やはりここも立ち入り禁止です。
ここは、アオサギやウなどが生息しています。
IMGP0677
途中には、当時の海軍の敷地だという事を示す標識が埋もれていました。
IMGP0673

宮城浄水場をあとにし、いよいよ洲ノ崎海軍航空隊のあった場所へ。
っとその前に昼食場所は、赤山地下壕のところで。当日は、参加者でご希望がある方に、地下壕内
をご案内します。但し、入壕料は各自負担でお願いします。

これはなんでしょう?
IMGP0684

正解は、防空壕だそうです。
畑などの中に、残されています。普通に歩いていたら、見過ごしてしまう所です。
その他にも、掲揚台跡とか講堂跡とかも見る事ができます。
あとは、当日のお楽しみです。

歩いている途中、神社を通ったところ、木のそばに看板が建っていました。
IMGP0687
なんと、ご神木などの木に石油が撒かれていたそうです。その為、1本の木が枯れて
しまったとの事です。ひどい事をする人がいるんですね。もし館山人がしていたら、同じ
館山人として情けない限りです・・・・

話を元に戻して、
午後からは、あまり日影・木陰がありません。6月という事もあり、
熱中症対策をしてご参加下さい。お待ちしております。

【追伸】ちなみに、家の愛犬もクタクタになってました。もう下見には、連れていけない時期です。
IMGP0682

イベントツアー「妙音院の火祭りと城山周辺」報告

また旅倶楽部の今年度初の企画【イベントツアー】が5月26日(日)に開催しました。
イベントツアーは、興味があるけど一人では・・・とか思ってる方にお勧めのツアーです。
第一弾として、館山市にある妙音院の火祭りを目的としたコースに15名ご参加下さいました。

妙音院と火渡りの説明を少し・・・・
【妙音院】
妙音院は、安房高野山とも言われ、高野山金剛峯寺直末の古義真言宗のお寺さんです。
天正17年(1589)大名里見義康公の発願で、高野山別院・里見家の祈願寺として安房国に
開山しました。江戸時代になっても徳川家から寺領74石が与えられ保護されていました。
その背景には、紀州徳川家との深い関わりがあったと言われています。徳川家より奉納され
たという「大般若経典六百巻」が寺宝として伝わっています。

【火渡り】
火渡りとは、修験道に伝わる秘法で、正式に火生三昧と言います。妙音院では古来より修行され
伝わっています。
火(仏の知恵の火)の上を歩くことによって、煩悩を焼き尽くし、自身再生を意味します。 自分
自身のこころの修行、厄祓い、無病息災などを祈願します。

さぁ~では、ツアーに出発します。
まずは、城山公園駐車場に集合し、館山神社へ。
IMGP0695
城山公園では、少し城跡の説明を。
IMGP0697
館山神社は、館山地区の合祀です。8月1・2日には、館山のまつりがここで行われます。

次に、六地蔵などを見学しながら、北下台(ぼっけだい)へ。
IMGP0701
城下町だけあって、辻・辻にお地蔵さんが建てられてます。

北下台の正木燈です。
IMGP0706
正木貞蔵の功績を賞するため、長男清一郎等が航海の目印に建てた物です。
正木燈の他にも、北下台には色々な碑が建っています。
少し分かりづらい場所には、室町時代に築かれた武士の墓(やぐら)があります。

館山観音堂旧石碑をみて、いよいよ妙音院方面へ向かいます。
IMGP0710
館山観音堂は、震災後、館山市の長福寺に移転しました。
ご詠歌に「観音へ降りて沖をむれば、岸打つ波に船ぞ浮ぶる」とあり、昔、北下台の
下まで、海だった事がわかります。

泉慶院跡です。ここは、里見義弘の室、青岳尼が開基、子の梅王丸が開山しました。
今は、建物はなくなっています。この青岳尼と梅王丸には、いろいろなお話しがあり、
今で言う、昼ドラのような感じです。(城跡シリーズ岡本城でお話しします。)
IMGP0714

慈恩院は館山城初代の城主、里見義康の菩提寺です。
IMGP0717

いよいよ妙音院です。
昭和初期、地平用戦争東京大空襲の後、館山にも焼夷弾が投下され、一発が着弾し、本堂・
庫裡・緒堂などが焼失し、唯一焼け残ったのが現鐘楼堂と山門です。
IMGP0720

安房高野山霊場八十八ヶ所を巡ります。ここは、山に88体尊が祀られています。
人生の起伏を表すかのように、道が続きます。
山頂付近で、昼食をし火祭りに備えて下山しました。
火祭りの前におもちゃ供養も行われました。
IMGP0724

いよいよ火祭りです。
IMGP0729
まずは、御坊さん全員で熊野大権現へお参りします。
IMGP0740IMGP0758IMGP0777
迫力のある般若心経が唱えられ、心地よいです。

火渡りです。ご住職が1番最初に渡るのですが、まだ火が燃えている中渡ります。
今年も写真がうまく撮れなかったです(泣)

一般の人向けに、熱を冷まします。
IMGP0782

冷ましても、やはり最初は熱いので、ビビりの私は最後の方へ。。
一般の部の1番は、金丸館山市長です。市民の幸せを祈願して渡られてました。
IMGP0783
市長のサプライズで、みなさん喜んでました。しかし・・・1番は、熱かった
だろうな?火傷してないかな?なんて心配をしました。

私が渡る時は、こんな感じでした。
IMGP0785
次は、熱い時に渡ろうと、毎年思っているんですが、なかなか勇気がでません。
でも、来年は、前から20番目位に渡ろうと思っています。(微妙な番ですが・・・)

心もすっきりし、岐路へ。また、来年も来ます。

次回のまた旅倶楽部主催のウォーキングは、6月9日の月イチコース「洲ノ崎海軍航空隊と宮城浄水場跡」
です。ご参加お待ちしております。(下見報告は、次回・・・)

髙家神社庖丁式(南房総市千倉町)

5月17日に南房総市千倉町の高家神社(たかべじんじゃ)で春の例大祭・庖丁式奉納
が行われました。何度も高家神社には行った事があるのに、庖丁式を一度も見た事がなく・・・
お客様に喋るのに「まずい!!」と思い、いそいそと行ってきました。

まずは、高家神社の由来から・・・
高家神社は延喜式に登載されている式内社であり磐鹿六雁命を主祭神とする日本唯一料理の祖神を祀る
神社です。「日本書紀」第12代景行天皇53年冬10月の条に磐鹿六雁命を料理の祖神とするいわれ
が記されており、また尊称を高倍神とし宮中醤院においても醤油醸造、調理の神として祀られています。
江戸時代初頭の元和6年、神社官司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から木像と二面の御神鏡を
発見し社を建てて祀り、さらに200年余りの後、この鏡面に御食津神内、磐鹿六雁命と記されていた
ことが判明し、所在があきらかではなかった高家神社のご神体であるとして文政2年、京都吉田御所に
証を願い御帛をいただきました。
DSC_0420DSC_0122

庖丁式はと言うと・・・
由来・歴史は、はるか平安時代の初期まで遡ります。時の世を治めていた第58代光孝天皇は、諸芸に
優れた文化人であったとされますが、自ら食材を採取されるほど料理に対する造詣がたいへん深く、側
近で、「日本料理中興の租」と言われる四條中納言藤原朝臣山蔭卿に命じ、新しい料理作法を作らせ、
儀式として定めたのが、現在まで続く「庖丁式」の始まりだとされています。
慈悲深い天皇は、人間が生きていくために、他の生き物を殺生しなければならないことに大変心を痛め
ていたようで、「犠牲となった生き物を供養し、霊を鎮める儀式の形にできないか」という想いを受け、
山蔭卿が苦心の末に「庖丁式」を完成させたという秘話も残されています。
DSC_0132

庖丁式は、右手に式庖丁、左手に真魚箸を持ち、古式に則った無駄のない所作と熟練の技をあわ
せながら、一切手を触れることなく食材をさばいていきます。

まずは、まな板を塩と水で清めます。
DSC_0145
その後、食材の登場です。
DSC_0158
本日は、黒アワビ1㎏です。5月にアワビが解禁されましたので、大漁願ってアワビだそうです。
DSC_0165
献花と式庖丁・真魚箸が持ってこられました。
献花は、食材がさばかれる間、まな板の上に添えられ、すべての料理食材の生命を尊び、その
霊を慰める為のものです。

いよいよさばいていきます。
DSC_0171DSC_0181

DSC_0186DSC_0196

出来上がりは、花と海だそうです。千倉町をイメージしてます。
DSC_0204
上手に写真が撮れなかったので、分かりづらいと思いますが・・・

高家神社の祭礼は、下記の通りです。
 5月17日 春の例大祭・庖丁式奉納(大漁祈願祭)
10月17日 秋の例大祭・庖丁式奉納(旧神嘗祭)
11月23日 新穀感謝際・庖丁式奉納(旧新嘗祭)
毎月17日  月次祭・庖丁供養祭
是非、みなさんもご覧になって下さい。

5月月イチツアー報告「加茂坂と竹原の里」編

5月12日は、月イチツアー「加茂坂と竹原の里」を開催しました。
天候が心配されましたが、なんとか青空も見えウォーキングには良い天気でした。
前々回のガイドの独り事で、報告してありますので今回は、ガイド風景と景色を
メインに独り言しちゃいます。

さぁ~今回は、今までの月イチツアーでは最高人数になる38名のお客様が来て下さい
ました。38名!!いつもなら1班で動くんですが、急遽2班編成に・・・・
いつでも、こういう事態?に備えて、メインガイド以外のガイドも勉強してるんで、安心です。

IMGP0615

ガイド風景。。。
IMGP0611
この建物はなんでしょう?

なんとお寺さんなんです。高田寺といいまして・・・里見の高田姫の開基と言われています。
当初は、もう少し山の方にあったのですが、こちらに移されました。
近くには、高田姫の墓と伝えられる五輪塔があります。

コースはこんな道を進みました。
IMGP0618
手前は、ハスの畑と田んぼです。草の生えた道を進みます。

IMGP0619IMGP0621
田んぼの景色を堪能しながら、あぜ道を進みました。

医王寺の馬鳴菩薩。
IMGP0632
馬頭観音は良く見かけますが、馬に乗った石造の菩薩像はなかなかないです。
馬鳴菩薩は、養蚕の守護神と言われていて、この地域では昔、養蚕が行われてた事
が分かります。

明星山城跡
IMGP0642
戦国時代里見義頼の弟、薦野神五郎の居城であったり考えられている場所です。
内房と外房をつなぐ道を管理する役割があったと考えられています。

明星山城跡からの景色
IMGP0649IMGP0650
ちょっと登っただけで、この景色。殿様になった気分が味わえます。

加茂坂旧道
IMGP0595
明治10年まで、加茂(南房総市丸山)と竹原(館山市)を結ぶ本通りでした。
今では、草木に覆われ、枯葉の絨毯が敷きつめられています。
今回のウィーキングで、総勢47名がこの旧道を歩きました。久々の人の賑わいを道
も感じてくれたのかな?なんて思っています。

加茂坂旧道を下ってくるとこんな景色が広がります。
IMGP0658
竹原の里は、田んぼがとても多くのどかな場所です。カエルの合唱や、キジの声、野鳥の囀りなど
ゆっくりな時間を過ごす事が出来る場所です。
お客様は、加茂坂旧道でお弁当タイムでしたが、お弁当係りの私は、この景色をみながら
お弁当タイムでした。景色よし!空気よし!ごはんが旨い!!
たまには、みなさんも田舎の景色をみながら、ごはんを食べるのもいいかもしれません。

次回のウォーキングツアーは、「妙音院の火祭りと城山周辺」(5月26日)です。
妙音院では、火渡りを行います。裸足で燃えていた?場所を歩きます。足を拭くタオルを
持って来て下さい。
あっ!!「また城山周辺」と思われる方が居るかと思いますが・・・まだ、案内していない所が
あります。「見た事ある」という方、そこにも隠れた歴史があります。是非、ご参加下さい。

追伸:また旅倶楽部のアイドルはやとくんです。お客様のわんちゃんで、おとなしいはやとくんです。
IMGP0652
頑張って歩きました。