イベントツアー「正木諏訪神社の祭礼」報告

もう10月ですね。館山・南房総での祭りシーズンももう少しで終わろうとしています。
夏から始まり、秋に終わるという、漁師町の地区と里山の地区という環境の中だからで
しょうか?

今回は、館山市の正木地区にある諏訪神社の祭礼を見学しに行ってきました。当日は、
雨模様でしたが、歩きだしたらなんと雨も上がりました。やはり日頃の行いがいいので
しょうかねぇ~?
出発は、那古寺。
那古寺は、養老元年(717)に僧行基により開山とされ、平安時代に造られた木造千手観音
菩薩を本尊とする真言宗の古刹であり、坂東三十三番巡礼札所の結願寺として知られています。
本尊の千手観音像、阿弥陀如来像、多宝塔など多くの文化財があります。

まずは、白岩弁天を目指します。弁天様の手前のトンネルはかわいらしい絵が描かれています。
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白岩弁天です。
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この池の奥は鍾乳洞になっていて、白岩の名は鍾乳石の事をいうらしいです。徳川家光の頃に津波が
あり、その時小川ををさかのぼってきた白蛇がこの池に入ったため宮を建てたそうです。
また、むかしこの池の水は目薬などにされたといいます。

神事に間に合わないといけないので、諏訪神社を目指します。
諏訪神社1
延喜元年(901)の創建で、祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)、下宮は父君の大国主命
(おおくにのみこと)です。創建当時、諏訪山の麓の集落は白浜郷と呼ばれ、村人は半農半漁の生活
をしていましたが、たびたび大荒波に襲われその被害に苦しんでいたそうです。延喜元年正月8日の
夜に、ある村人の夢に信濃国の諏訪社の神様が現れ、村人たちはお社を建てて一心に祈ったところ、
大荒波は静まったそうです。それ以来、村の鎮守としたそうです。

諏訪神社の境内に八雲神社のお神輿をあげます。坂道を担いでくるので大変そうです。
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祭典が始まります。
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少しの間、祭典を見学して、次の場所へ移動します。

御狩堰を通り、観音堂へ。
入ってすぐのところに、馬頭観音像があります。江戸時代の百観音(西国・秩父・坂東札所)の巡拝塔
です。
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観音堂の裏山の山頂に前方後円墳とされる塚があり、大塚山古墳と呼ばれています。今回は、こちらには
いきませんでした。

次に八幡神社へ。
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こちらの神社は、延元2年(1337)に再建され、戦国時代の里見義弘のときに家臣正木大膳の祈願に
なったと伝えられています。

お昼休憩をとり、次に向かったのは、狐塚。
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この石は、そのむかし諏訪神社と那古寺がケンカをして、諏訪神社が那古寺に向かって投げた石が
途中で落ちたものだそうです。耕地整理のため元の場所から西へ移動してしまっているそうです。
那古寺が投げた石は、白岩弁天前にあったといいます。

次は、屋台4台と神輿が集合している場所へ。
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正木岡の屋台を見に行くと、常連さんにお会いしたので、説明してもらいました。

屋台の見学を終え、出発地点へと戻っていきます。なんとか、雨に当たらず、帰ることができ
ました。これも那古寺と諏訪神社にお参りしたおかげではないかと・・・・
次回の報告は、男金神社の祭礼の報告します。

月一ツアー「延宝元年古地図の渚を探す」報告

9月に入りましたが、天候が思わしくない日が続いています。同じ関東でも、豪雨による被害が
あったりと・・・大変な地域も出ています。
館山・南房総では、大きな被害はないようですが、稲刈りがなかなかできないところが出ています。

9月13日曇りの中、9月の月一ウォーキング「延宝元年古地図の渚を探す」を開催しました。
館山・南房総では、元禄地震のとき隆起した地域です。今回ウォーキングする、根本・砂取では、
江戸時代初期に、両村で魚場の論争が起き、奉行所の裁定が下り、延宝元年(1673)に作成された、
「根本・砂取村漁場争論裁許絵図」(砂取区蔵)には、当時の海岸線が克明に描かれています。
それから30年後の元禄16年(1703)に元禄大地震が発生し、津波地震がおさまると海岸は隆起
して島は消え、港は干上がってしまし、海岸線は大きく後退してったそうです。
そんの場所を、昔の海岸線を確認しながら歩いてきました。集合場所は、南房総市白浜町にある
根本集会場です。ここは、以前小学校があった場所。入口?には「瀧元房保先生之碑」があります。 
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碑文は、元江戸藩邸(館山藩主稲葉正巳)にあった「慶義館」の藩校を所領の根本村に移し、校舎
を新築し、「敬義塾」と称し、藩士や近隣庶民も入門を許可したという文が書いてあります。

そんな立派な碑を後に、三嶋神社へ。
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大正の大地震で倒壊しましたが、その後再建されました。
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こちらの狛犬は昭和4年のものです。なんかチャーミングな顔しています。

旧道を歩いていくと、船柄稲荷と道祖神が見えてきます。
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ここは、調べても言われがわからなかったと、ベテランガイドが言っていました。
隣には、道祖神があります。
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この道祖神は、子供が病いになると願掛けして、治ったお礼に涎掛けを奉納するそうです。

房総フラワーラインから、白浜ファミリーパーク近くの石船弁天へ。
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ここは、伊勢船島といわれ入り江に浮かぶ小さな島でしたが、元禄大地震で隆起して大きな露岩
になりました。また、ここには、民話が 残されています。今回は民話は書きませんが、1つだけ
言われを・・・石船弁天の社の下には美しい浜があります。この浜を守るためなのか、古老は、
「むかしからこの浜の石ころひとつ持ち去ってはいけない。持ち帰ると弁天様の祟りがある」と
戒められてきたといいます。

言われを守り、海岸線をあるき屏風岩をみながら、進んでいきます。
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昼食は、夏にキャンプ場としてにぎわう根本海岸。その後、根本港を通り隆起する前に島だったと
ころを見学し最後の海福寺へ。
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真言宗智山派の寺院です。本尊は聖観世音菩薩です。
あとは、スタート地点へ戻りました。なんとか天候に恵まれてよかったです。

次回は、イベントツアー「正木諏訪神社の祭礼」が9月27日(日)に開催します。
お弁当付きのツアーになりますので、早めにご予約ください。お待ちしてます。

特別企画・大人の遠足「横須賀歴史探訪」報告

ご無沙汰しております。
暑い夏も終わり、秋めいてきました。っと言っても、急に寒くなってしまったり、天気が安定
しなかったりで、体がおかしくなりそうです。

さて、また旅倶楽部の活動も、冷房の中におりましたが、8月の終わりに特別企画を開催しま
した。今回の特別企画は、戦後70年の年でもありましたので、館山とも関わりのある横須賀
を訪ねてきました。題して大人の遠足「横須賀歴史探訪」、防衛大学校見学と軍港廻りをして
きましたので報告します。。

この日を迎えるまで、2つの台風の発生やらで、進路の心配をしていましたが、台風の影響も
あまり受けなかったのですが、館山を出発する時には、ドシャ降り状態で、どうなることか心
配しましたが、北上していくうちに雨も小雨になりなってきました。
海ほたるでトイレ休憩をしたところ、運転手さんから「佐原ICから通行止めです。」と言われ
「げっ!!!!防衛大学の見学受付時間に遅れてしまう~」と思い、とりあえずバスを走らせ、
スマホで道路情報なんぞを確認しながら、朝比奈IC近くに来たら、通行止めも解除され無事に
防衛大学校に着く事ができました。まずは、バスの中で総勢53名の身分を確認していきます。
身分が確認できたところで、バスから降り、本部庁舎へ。
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ガイドの人に案内して頂き、広報の方に記念撮影をしてもらいました。
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本部庁舎に入り、エントランスに飾られている写真で年間行事の説明を聞きます。
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エントランスには、学生綱領があります。
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これは、国家防衛の志おなじくして学ぶ学生たちによって学生綱領を定めたそうです。
ちょっとここで、防衛大学校の歴史を書きたいと思います。
防衛大学校は、将来、各自衛隊の幹部となるべき人材を育成する為に設立した防衛省の施設等
機関です。諸外国における士官学校に位置付けされ、幹部自衛官の教育と育成を目的にしてい
ます。昭和27年8月1日に保安大学校として設置され、昭和28年4月1日により久里浜
の仮校舎にて開校、昭和29年7月1日に防衛大学校と改名、昭和30年4月1日より現校舎に
移転しました。
学生の身分は、特別職の国家公務員です。修業年限は4年間で、本科を卒業し、大学評価・学位
授与機構の行う審査に合格すれば、学士の単位が授与されます。学生は全員が学生舎に居住し、
被服・寝具・食事などが貸与又は支給される他、毎月学生手当が支給されます。また、6月・
12月には期末手当が支給されます。

次の見学は記念講堂へ。講堂の入口のところにある創立50周年に同窓会から寄贈されたステンド
グラスを見学。作者は平松礼二画伯で「若人の城」という題名です
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その後、講堂内へ。
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卒業式の帽子投げで有名な場所です。収容人数を聞いて凄い!!と思ったのですが、数を忘れてしまい
ました。在校生が1959人いるという事なので、この人数は納まるの数だった感じです。

さて、次は資料館へ。こちらは撮影禁止なので写真は無しですが、防衛大学の説明DVDを観て
から、歴史などの資料を見学しました。そのご、学生会館へ。そこでは、防衛大学校のお土産を買う
事ができます。
あとは、校内を歩きバスのところへ。途中、引退した戦闘機や戦車を見る事ができました。
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1時間30分の見学時間だったので、ゆっくりとはできませんでたが、なかなか行けない場所を見学
できてよかったです。午後からの見学だと、学生の行進風景も見れる場合があるそうです。

さて、防衛大学校を後にして、横須賀の軍港へいきます。
昼食を各自でとってもらい、軍港めぐりの船に乗船しました。

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さっそく「いずも」を見る事ができました。「いずも」は、2015年3月25日に就役した護衛艦で
、同じ日に舞鶴基地へ転属した「ひゅうが」に変わり横須賀へ配属されました。

軍港めぐりの案内人の方が、話していましたが、今回は多く船が停泊しているそうです。
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4002・しもきた(輸送艦)定係港は呉だそうです。

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この写真に、5105・にちなん、5104・わかさ、海洋観測艦。463・うらが、掃海母艦
111・おおなみ、153・ゆうぎり、116・てるづき、護衛艦。ちょっと隠れて見えないのもありますが、
かなりの艦船をみる事ができました。

また、反対側には、アメリカ海軍のイージス艦なども見る事ができます。
イージス

あと、日本の潜水艦はアメリカ軍の基地の方に停泊するそうです。
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この潜水艦は最新型なんだそうす。名前とか、お客様から聞いたのですが、メモしなかったので、
忘れてしまいました。

そんなこんなで、40分の船での見学があっという間に終わってしまいました。残念なのが、アメリカ
の空母「ジョージ・ワシントン」が見れなかった事です。整備の為に、アメリカに帰ってしまいました。
次に配備されるのが、「ロナルド・レーガン」だそうです。このロナルド・レーガンは、東日本大震災の
際に、「トモダチ作戦」で東北沖で活動した空母です。10月2日には横須賀に来るそうです(8月31日
に外務省から発表があったそうです)

下船したあとは、思い思いにお土産をかったりして、バスに乗る前に紙芝居で横須賀の話をし、帰路へ
着きました。なんとか雨にも降られず、無事に大人の遠足は終了しました。

さぁ~9月にはいりました。ウォーキングするには良い季節になります。色々なウォーキングツアーを
企画しておりますので、是非、ご参加下さい。

シリーズツアー(花)「古代ハスと古泉千樫の生誕地」

梅雨明けしました~。これから夏本番です。館山・南房総は、昔から海水浴で人気のエリア
です。この間もNHKで沖の島が紹介されていました。房総半島の海の楽しみ方はいろいろあ
り、内房エリアは波も静かで小さいお子さんでも楽しめますし、外房エリアは波があるので、
サーフィンなんかで楽しめます。

さて、本題に戻りますが、先日、炎天下の中シリーズツアー(花)「古代ハスと古泉千樫の
生誕地」と題しまして、ウォーキングツアーを開催しました。場所は、鴨川市の長狭地区を
散策してきました。
集合場所、いつもお世話になっています、みんなみの里です。
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先ず最初に目指すのは、里見氏ゆかりのお寺、長安寺へ。
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のどかな景色を見ながら進んでいきます。

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みんなみの里から歩いて約30分(約1.5㎞)で到着です。

長安寺は、山号を冨川山(ふせんざん)、曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)
です。寺伝によれば、永正2年(1505)に受天英祜(じゅてんえいこ)大和尚が開創られた名刹で
す。以来、代々の住持の許に、多くの雲衲集まり、永平寺、總持寺の風儀と雲岫宗龍(本寺甲州
広厳院開山)和尚下の禅風を拳吹して、房州の地に新たに参禅の道場を開き弁道につとめたそう
です。同じ年、里見義弘が開創し、その翌年正木大膳時茂の帰依を受けて数年ならずして大伽藍
が完成し、時茂の娘、里見義頼の室「御隠居様」が開基となりました。しかし・・・里見義弘の
誕生は大永5年(1525)ですので、不可能です。一説には、里見義通の時代に正木時茂の父・正木
時綱が受天英祜和尚を拝請し、時茂の時代で伽藍が完成し、そして娘の「龍雲院」の時代に繁栄
したと考えた方が自然だと考えられます。永録4年(1561)に小田喜城主正木時茂が急逝すると、
長安寺を菩提寺とし、法名を長安院殿武山正文大居士としました。慶長年間には、里見義康の母
である御隠居様が正木時茂の娘であったことから、115石の寺領を与えられ、長狭地域の曹洞
宗の中核寺院となりました。徳川家からも10石の朱印地を与えられています。

山門です。
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山門に掛る「龍雲関」の額は当寺の院号からとったものです。周辺の大岩はノジュール(団魂)と
いい、嶺岡山系にある岩石です。山門の正面が本堂で、その背後には開山堂があります。

本日は、ご住職の御計らいにより本堂内を見学させていただきました。
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昔使っていた、籠があったり正木時茂の木像や御隠居様の木像が祀られています。
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この籠で、住職は江戸に行ったりしてたそうです。毎回、籠のあるお寺さんで思う事は、安房地域
の寺院は、鎌倉とかに負けないくらいの歴史や位があるのに・・・と思ってしまいます。
貴重な体験をさせていただき、ご住職・奥様ありがとうございます。

さて、本堂を後にして、正木時茂の供養塔と御隠居様の供養塔を見学します。
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右側が正木時茂の供養塔、左側が御隠居様の供養塔です。

長安寺を後にし、古泉千樫の生誕の地へ歩きます。途中、石碑や石仏があります。
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古泉千樫は、1886年に千葉県安房郡吉尾村に生まれました。1900年吉尾村高等小学校を卒業
し、母校の代用教員に採用され、1901年千葉町の教員講習所に入所し、小学校准訓導の資格を得
ました。1902年、安房郡田原村の竹平校に奉職して、生家から朝夕往復60町ばかりの道を通っ
ていました。安川文時に師事し、1905年に彼から「千樫」の号を授かります。正岡子規の風を慕
い、のち上京して伊藤左千夫に敬慕師事します。齋藤茂吉、島木赤彦、中村憲吉と共に大歌集「アラ
ラギ」を支えました。生家はすでに建て替えられていますが、古い面影を残す椿の井戸を中心に県の
史跡に指定されています。代表作「みんなみの 嶺岡山のやくる火の こよひもあかく見えにけるか
も」の歌碑があります。 (写真は、別用があり撮れてません。ごめんなさい)

次は、個人のお宅が所有しています、ハス田を見せていただきにいきました。
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次は、細野の熊野神社へ。ここで昼食です。
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祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)。本殿は神明造りで鴨川ではここだけだそうです。
鳥居の左には末社があり、八雲神社・秋葉神社・日枝神社・稲荷神社・不明1社があります。向拝
の龍の彫刻は、明治26年(1893)宮山の太田五良平の作です。

次は、帰路の途中にあります、金毘羅神社と八幡神社を見てみんなみの里へ向かいました。
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今回のコースの距離は約6kmでした。暑い中、なんとか無事に全員みんなみの里に到着しました。
お邪魔させていただきました、寺院、施設のみなさまありがとうございます。

月イチツアー「山の集落「畑」探訪」報告

7月に入りました。前半は肌寒い日があったりと雨が長く降ったりとありましたが、ここ
数日は、急な猛暑で体が付いていけてなようです。
あと、館山・南房総ではお祭りシーズン到来です。7月の土日は、どこかでお祭りがやって
います。血が騒ぐ季節になりました。

さて、7月初めの日曜日に月イチツアー「山の集落「畑」探訪」を開催しましたので、報告
します。まずは、畑小学校跡に集合です。「畑地区」ってどんなところ?とお思いだと思い
ますので、少しご紹介を・・・実は・・・私も余り知らなかった地区です。「畑(はた)」
という地区があるというのは、中学校の時から知っていましたが、数年前まで、一度も足を
踏み入れた事がなかった地域でした。
畑地区は豊房地区の奥、南房総市の千倉町と白浜町に接する山間部にあります。平家の落人伝
説もある静かな集落です。農業では、正月用の生け花として使う千両栽培がさかんに行われて
います。千両は実のつきがよく、その品質の高さで全国的にも有名です。
平成22年4月に広域農道安房グリーンラインが開通して行きやすくなりました。

長尾三神社へお参りしてから、ウォーキングスタートです。
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長尾三神社は、畑地区の鎮守です。元々は、長尾神社・八幡神社・八雲神社の3社ありましたが、
50余戸での維持が困難なため、大正9年に合祀が決まり、翌10年に長尾神社の地に新社殿を
造営し長尾三神社と名付けられました。境内には、自然石の力石が2個あります。
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お参りした後は、用水路を見に歩きます。畑地区は、長尾川の上流域に位置し、豊かな水源に恵ま
れていますが、川床が低いため、先人の知恵と工夫により、明治時代に灌漑用水路が敷設され、現
在でも地区内に張り巡らされた用水路が水を供給しています。
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この写真は、生活道路の下のトンネルを作り水を廻しています。この日は雨が降っていたので、水の
量が多かったです。

次に、畑小学校が使っていた川のプールを見に行きましたが・・・大雨により増水してしまって、そば
まで行く事ができませんでしたので、以前撮った写真で紹介します。
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50年程前には畑小学校にプールはなかったのですが、子供の為に保護者や村人の労力奉仕により、川
を堰き止め、コンクリート製の25mプールを作ったそうです。
今は、落ち葉なのどの堆積物が溜まってしまって使えませんが、とても涼しい所です。

次に向かったのが、報恩碑のある場所です。ここは、私有地ですので、許可を頂き、見学させてもらい
ました。
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報恩碑は、畑地区開拓の歴史を伝える碑です。今から1000年以上前に、新悟・萬悟・平作・野庄の
4人の落武者が畑へ逃げ延びてきたことが記され、野庄が石井家の先祖であるとしています。明治29
年に石井金治が元長尾藩士で漢学者の恩田城山に撰文を、熊澤直見に篆額や文字を、俵光石に彫りを頼
んで建立したそうです。

次に水路を見学しに・・・
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上流に分水堰を作り、粘土質の岩盤に勾配を保ちながら水路をノミとツルハシで掘削していき、山に当れ
ば、二五穴隧道を掘り、谷や道路に掛れば樋を架け、嵐で壊され水漏れで悩まされ、最後は大掛かりなサ
イホン装置の築造になり、水路はやがて長尾川へ滝落としで川へ戻ります。

次に向かったのが、瑞龍院です。こちらも、通常は中を見学する事はできませんが、檀家総代さんや檀家
さんのご厚意により、今回特別に中を見せてもらう事ができました。ありがとうございます。
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瑞龍院は、曹洞宗の寺院で、天正5年(1577)の開創です。開基は里見義弘。本尊は虚空蔵菩薩で、義弘の
守り本尊が寄進されたと由緒書にあります。

堂内の欄間は、文化5年(1808)、長狭の武志伊八郎信由(初代伊八58歳)とその弟子森久八により彫ら
れた龍の彫刻があります。
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あと里見義弘の位碑や義弘像の頭部と伝えられれいる木像が安置されています。
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木像の義弘は結構イケメンに彫られています。
里見義弘の正室は小弓公方足利義明の娘で、鎌倉太平寺の住職青岳尼(しょうがくに)です。義弘が、鎌倉
を攻撃した時に、彼女に恋い焦がれるあまり、太平寺にいた青岳尼を訪れて、還俗して自分の妻になるよう
に勧めました。彼女もこれに応じて、江戸湾を渡り、義弘の元へやってきて正室になったのだそうです。こ
んな話を聞くと、やっぱり義弘は実物もイケメンだったのでは、ないでしょうか?

瑞龍院の見学した後は、本当だったら、奥の宝篋印塔などを見学する予定でしたが、天気予報では、午後から
雨が強くなる予報がでていましたので、今回は、食事をとり出発地点に戻り終了しました。

参加者のみなさん、畑地区のみなさん雨の中ご協力ありがとうございました。

お散歩ツアー「古代からの農村「香」」報告

各地で大雨の被害やゲリラ豪雨で大変な所もありますが、案外おだやかな南房総。
そんな中、お散歩ツアー「古代からの農村「香」」を小雨の降る中、開催しました。

集合場所は、香集会所。コースをご紹介する前に、香地区とは、どんな所なのか
簡単に説明します。
今から約1200年位まえ奈良天平の時代には、平城京にアワビ干物(のし)を
貢ぐ、朝廷直属の海人(漁師)が住み着いていました。当時、アワビは貴重なタン
パク源で、特に塩見、香で加工された物は高級品でした。平城京跡を発掘した時、
木簡(荷札)が出土し、「賀宝(こう」と書かれた木簡が出土しました。
香川に沿って集落があったので、香(こう)の谷津(やつ)と呼ばれていました。
本当なら「香村(こうむら」が正しい読み方だそうです。古い墓石にも「かうむら」
と彫られています。さらに時代を遡ると、縄文遺跡も点在し、古代より続く山漁村
であったことが伺える地域です。

そんな地域を約2時間4kmを散策します。
まずは、集会所を出て下の堂へ。
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宝永4年(1707)に地元の鈴木七右衛門(蓮求)が日本廻国を成し遂げた記念の廻国塔が
あります。

浅間神社の鳥居を通り、海岸へ。
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海岸を通り、香掩体壕跡へ。
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館山海軍航空隊の航空機格納庫としてつくられた施設です。現在もはっきりと残されて
いるのは、ここと赤山地下壕裏だけです。
ういのガイドは、長靴を履き調査したそうです。

次に向かったのは、浅間神社です。
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香の鎮守で、富士山の神が祀られています。毎年5月31日が「お山」と呼ばれる山開き
で、山頂の奥の宮にはだしで登る風習があります。
(今回は、奥の宮へは、行きませんでした。)

ここの狛犬は、顔がとても特徴があります。
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口の所に蜘蛛の巣が沢山あったので、お客様が、狛犬の歯磨きをしてくれました。

香川沿いを歩き、祭面の庚申塔へ。
ここは、竹に囲まれていて、道路からはちょっと気づかない所にあります。
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「庚申青面金剛童子」の文字と三猿が刻まれている享保3年(1718)の庚申塔です。
与兵衛夫婦をはじめ8軒の夫婦で建立したもので、昔は南側の高台にありましたが、
穴から落ちてしまったので、与兵衛屋敷に建てなおしたものだといいます。

民家の裏山に、宝篋印塔があります。今回は、お家の方に許可をもらい、敷地内を通り
見せてもらいました。
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この宝篋印塔は、市指定文化財になっています。応永8年(1401)の宝篋印塔含めて、
2基の宝篋印塔と5基の五輪塔があります。元々は、裏山中腹のヤグラにあったの
ですが、戦時中の軍の施設建設が行われて下ろされました。伝説では、里見の武将
5人の墓だと言われています。なぜ?そんな伝説があるのかと言いますと、裏山は
ヨウガイ(要害)と呼ばれ、里見の出城と伝承される戦国時代の城跡だったからです。

次に向かったのは、金剛寺です。
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真言宗のお寺で、山号を大明山といいます。
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無縁仏のなかに香谷村女念仏仲間19人が建立した如意輪観音像があります。
元禄前後のものだと思います。

本堂の木鼻は、ちょっと他では見られない可愛らしい物です。
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ピグモンに似ていませんか?

次に地蔵堂へ。地蔵堂は上の堂とも呼ばれています。
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墓地には、念仏講による元禄13年(1700)の地蔵尊像や、同講の女性12人が元禄7年
(1694)に建立した如意輪観音があります。

その後、集会所へ。
小雨の降る中、無事にツアーは終了しました。

月イチツアー「鋸山と石の町探訪」報告

いやぁ~梅雨入りしてしまいました。なんだか、心もどんよりしてしまいます。
ウォーキングツアーをするにも、天気予報とにらめっこな状態ですが、今回の
月イチツアー「鋸山と石の町探訪」は、天候に恵まれました。

集合場所は、釣り人も多く訪れる岩壁の近く栗坪浜緑地です。少し前に東京湾
にシャチなんてTV言ってましたので、目を凝らして海を見ていましたが、まっ
たく居る気配がありません。その代り、東海汽船のジェット船を見る事ができ
ました。
まぁ~そんな話はよいとして、こちらから出発します。
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眼と鼻の先程のところに、鳥居が見えます。鳥居の基礎には、多数の船の名前が
刻まれています。自然石を削った参道を登ると岩屋が見えます。
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こちらで、安全祈願をして鋸山をめざします。

金谷の町の中を歩くといろいろな所に石のオブジェを見ることができます。
石の彫刻 たわわわ-11石の彫刻 魚-7
なぜ?街中にこんな石のオブジェが?と思うかと思いますが・・・・金谷は江戸時代
後期から明治時代にかけて、鋸山から切り出される房州石の産地として栄えました。
「石と芸術の町」として町おこしの一環で、学生が作成した房州石のモニュメントが
町の各所に配置されているのです。

モニュメントだけでなく、石の町ならではの石垣や石の蔵なども見ることができます。
鈴木家石塀-6石塀-3石塀-1石蔵(美しい石模様)-2

金谷駅の近くに観光案内書「石の舎」があります。
石の舎 観光案内所-1
ここには、房州石を使った石窯があり、その石窯でピザを焼いています。
鋸山に登らず、ここで、ピザとビールで・・といきたいところですが・・・先へ進みます。

歩いていると「かぢや旅館」が見えてきます。
かじや旅館
こちらの旅館は、石職人の使う道具の製造・修理をしていましたが、石船が金谷から江戸・
横浜方面に行き来していたので、その利用者から金谷に宿泊施設が必要とされ、安政元年
(1854)に、旅館業に転業したそうです。

鋸山の入口に、金谷神社があります。
金谷神社-1
社伝では、養老4年(720)に伊勢外宮より、豊受神を勧請して、地主神・金山彦神と
併せて祀った古社です。この地は古くから砂鉄や石材の産地な事から、野鍛冶や石材
業の信仰厚く、境内社鐵尊神社ととも金谷の鐡尊様として崇敬を受けています。文明
元年(1469)、金谷の沖から重量1.5トン、直径1.5mに及ぶ円鉄が引き上げら
れたことから、古代の大鏡と信じられ、日本武尊の御遺物として境内に祀り、日本武尊
を合祀しました。大鏡鉄は、千葉県指定文化財です。
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いよいよ、鋸山へ。石段を登る前に、鋸山地殻変動観測坑を見てから、鋸山へアタック
します。
石段の路-1
ここは、1923年の関東大地震で、房総半島および三浦半島で地震にともなった大きな地
殻変動が観測されています。このことを考慮して、東大地震研究所は、昭和22年に三浦半
島の油壺に地殻変動の連続観測施設を設置し、その後、昭和34年、鋸山地殻変動観測所が
設置されました。30年以上継続した観測の後、平成5年10月から約1km南の鋸山山麓
に移転しました。

いよいよ石段にアタックです。
石段の路-5石段の路-7

石段の道には、お地蔵様や道標などもあります。
地蔵様 石段の路上尾根道標 石段の路-2

なんとか鋸山へ登頂成功しました。展望台から観る景色は、最高!!です。
展望台の展望鋸山-11

展望台付近で、昼食をとり下山し本覚寺に立ち寄り、駐車場へ。
本覚寺-1
本覚寺は、浄土宗の寺院です。元和年中(1615~24)に雄誉霊巖上人が、念仏講で当地
滞在中に建立し、開山は寛永8年(1631)です。

この季節は、いろいろな花が咲いていますので、今回少し紹介します。
石段に咲いていた花。

マジマイバラ

マジマイバラ

ケヤブタバコ

ケヤブタバコ

ヤマツツジ

ヤマツツジ

ウコン

ウコン

他で咲いていた花

オカタイトゴメ

オカタイトゴメ

トケイソウ

トケイソウ

ヤマボウシ

ヤマボウシ

まだまだありましたが、今回はこの辺で。。。

月イチツアー「新緑を楽しみながら小向ダム周遊」報告

GWはみなさまいかがお過ごしでしたでしょうか?館山・南房総市では、里帰りの方や
観光の方の車が多かったような・・・
そんなこんなで、楽しかったGWも終わり通常モードに切り替えなければ・・・

5月10日に月イチツアーを開催。天候にも恵まれ南房総市和田町の山間を散策しました。
出発は、昨年もお世話になりました自然の宿「くすの木」から出発です。坂道を登って行く
と少し苔の生えた階段が見えてきます。その階段を登ると1つ目の見学場所の宝性院へ辿り
つきます。
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宝性院は、真言宗智山派の寺院です。本尊は不動明王で、脇侍は虚空蔵菩薩です。

本堂の手前の建物は、虫神を祀っている御堂です。
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この虫神は、江戸中期以降、この地域では小児病虫と、稲作害虫に悩まされ続けました。
明和年間(1764~1772)宝性院興雅和尚は、虚空蔵菩薩のお告げにより「久留里城の東川谷
の本社」より、虫神を勧請し、虫除けの祈願をしました。夏至には虫送りの祈祷祭礼を行い
ました。霊験は病虫封除は勿論、農作物を豊かに稔らせ近郷近在、長狭内湾方面からも鳥図
絵馬を奉納し、息災豊穣を祈念する人々が昭和初期まで続いたそうです。なお、農作物の虫
除けのほか、子供の虫封じの信仰もあついものがあったそうです。昭和56年(1981)に南房
総市の文化財に指定されています。

もう1つ手前にも御堂があります。虚空蔵菩薩が祀られています。
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宝性院を後にし、左手に三原川・小向ダムを見ながら、真言院へ。
途中、車にひかれてしまったアナグマに出会いました。
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心優しい人が、車道から歩道に移してくれたみたいです。

他にも山ツツジや馬頭観音など、見ることができます。
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真言院へ到着です。
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真言院は、真言宗智山派の寺院で、山号は別墅山です。本尊は、阿弥陀如来です。
昔、裏山の大崩落により堂塔がすべて埋没したため、万治年間(1658~1660)、平塚の萱久保に
移り、100年余りの後、火災の為焼失、旧地の別墅に堂宇を再建しました。薬師堂内の欄間
にははめこまれた着色板絵は、地獄極楽図で、内陣には極楽図が6枚と外陣には地獄図が18枚
がはめ込まれています。天明16年(1786)、正統派の仏画絵師林勝吉によって描かれたもので、
死後どうなるかを教える為に描かれたと言われています。平成8年に南房総市の文化財に指定
されました。
今回は、ご住職からご説明を聞く事ができました。
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この絵は、閻魔様です。最近、石仏を壊したり、向拝の彫刻を盗んだりという話を聞きますが、
そんな事をしたら、死後、この閻魔様に裁かれ大変な事になってしまいます。くれぐれも、この
独り事を見た方は、そんな事をなさらないで下さい。罰が当たります。

ご住職のご厚意により、こちらで昼食を食べさせていただきました。今回は、「くすの木」の
お弁当でしたが・・・食べる方が忙しく、写真を撮るのを忘れてしまいました。とっても美味し
く頂きました。

お腹もいっぱいになった所で、森林浴を楽しみながら、歩いていきます。
午後1に訪れた場所は、正勝神社です。
祭神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあがかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)
旧小向村の鎮守です。日本神話に登場する神で、天照大神と素戔嗚尊のウケヒ(占いの一種)に
よって生まれた神様で、天照の髪飾りの玉を、素戔嗚が聖泉ですすいだあと、噛んで吹き出した
その霧のなかから生まれたそうです。

林道を通り途中植物の説明を交えながら、出発地点へ戻ります。
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新緑を楽しみながらウォーキングは無事終了しました。

シリーズツアー(花)「フジの花のタペストリー」報告

ゴールデンウィークに突入しました。9連休とか12連休とかの方がいると思うと「羨ましい
なぁ~」なんて思ったりしますが・・・天気に恵まれるといいです。

さて、4月28日に今年度のシリーズツアー(花)「フジの花のタペストリー」のウォーキング
ツアーを鋸南町開催しました。
富浦ICから鋸南富山ICの途中の山に紫色のフジの花を沢山見ることができます。山は新緑の緑と
牡丹桜のピンクとフジの紫が見えて素敵な時期です。

出発場所は、鋸南町にあります頼朝上陸地点。
館山市の洲崎にも頼朝上陸地点がありますが、「吾妻鏡」と「平家物語」の違いで正式には、鋸南
町に上陸した事になっています。

準備体操をして出発です。海岸線を歩いて行くと島が見えます。みさご島と浮島です。
みさご島は、古代ロマンの伝説があります。その昔、大和朝廷から東国平定を任されたヤマトタケ
ルノミコトが、内海を渡ろうとすると、突然の大嵐で船が沈みそうになりました。その時、妃の
オトタチバナヒメが身代わりに海に身を投げだして、海神の怒りを静め、無事に房総に渡ることが
できたのです。ヒメのなきがらが流れ着いたのが、みさご島と言われています。
浮島には、東国平定をなしとげたヤマトタケルノの死後、父の景行天皇は、同じ旅路をたどり、勝
山の浮島に来ました。浮島がとても気に入った天皇は、ここにしばらく滞在したそうです。この時、
家来のイワカムツカリノミコトが、大きな白ハマグリやカツオを料理して天皇に差し上げたところ、
たいへん喜ばれたそうです。以来、イワカムツカリノミコトは料理の神様として祀られています。
今TVドラマで「天皇の料理人」がやってますが、初代天皇の料理人は、イワカムツカリノミコトと
いう事になりますかねぇ。

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海岸を過ぎると、昭和の香りが漂う場所へ。左手には大黒山、右手には旅館や民宿が・・・
その大黒山にフジの花が咲いております。
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ちょっと分かりづらいですが・・・少し早かったようで、あと1週間もすると花が満開になるとの
事です。

フジの花のウンチクを少し・・・日本では、古くからフジを女性に、マツを男性にたとえ、これら
を近くに植える風習があったそうです。日本には、ヤマフジなど数種類が自生し、古くから園芸品種
がつくられてきました。つるが時計回りに巻くフジに対して、ヤマフジはより大きな花が咲き、つる
が反時計回りに巻き付きます。花言葉は、「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」だ
そうです。

大黒山周辺には、昔、遊園地と水族館があったそうです。遊園地は勝山遊園地・水族館は竜宮城水族館
です。昭和28年に開園して30年代後半に閉館したそうです。
img_0 当時の水族館の写真

大黒山の岩肌を利用した水族館を造り定置網にかかった珍しい魚を観賞用として飼育すると共に、サル
や孔雀などの動物も観光用として飼育していたそうです。

勝山漁港を通りすぎ、八幡山へ。その後、勝山藩陣屋跡へ。
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今は、駐車場や住宅にになっていますが、屋敷稲荷が残っています。
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その後、鯨塚へ。
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江戸時代に捕鯨が行われていました。醍醐新兵衛が組織した鯨組の漁師たちが、大勢で船を山し、
勝山沖にやってくる、ツチクジラをとっていました。解体した鯨からは、油をしぼったり、肉は
干してくじらのタレにして食べていました。漁が終わると、出刃組と呼ばれた解体する人たちは、
小さな石のほこらを建てて、鯨への感謝と供養として祀りました。

次は、特福寺へ。
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真言宗智山派の寺院です。
 
次は、田子台遺跡へ。
知る人ぞ知る場所です。何十年も房総に住んでいますが、行った事のない場所でした。
この田子台遺跡は、標高約70mの台地に立地し、台地の北の低地部に佐久間川が流れ、南には
岩井川が流れています。発掘調査は、昭和27年に早稲田大学が調査し、その結果、弥生時代後期
の居住跡が2軒が検出されています。昭和29年に県指定史跡となり、調査の翌年に居住跡が復元
されましたが、平成19年に落雷で焼失してしまいました。
今は、こんな感じです。
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遺跡の近くにある長林寺へ。
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こちらは曹洞宗の寺院です。五百年近く前に開創されたお寺です。勝山藩初代藩主の父、酒井忠朝と
の関係が深く、昔から檀家の人達に「忠朝様は隠れキリシタン」と言われていたそうです。首なしの
石仏はキリシタン像、母子観音はマリア像だと言い伝えられています。今は本堂のあるとか・・・

天寧寺へ向かいます。途中にいろいろな花を楽しむ事ができました。
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天寧寺は、臨済宗建長寺派の寺院です。当初は、律宗のお寺でしたが、足利尊氏が禅宗に改め、禅師・
古先印元大和尚を迎えて臨済禅刹の第一祖としました。禅師が中国の丁寧寺からもたらした釈迦如来坐
像。お寺の名前の起源はここから来るようです。
仁王門の掲額「房州古禅林」は幕末三舟のひとり、山岡鉄舟の揮毫もよるものです。
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もう一つ、身代わり猫地蔵というのがあります。
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元々は招き猫石像だったのですが、2010年3月に大阪から遷座してきました。経緯は、由来碑文
にかいてありますが、元々は大阪のお茶屋に置かれ守神だった招猫でしたが、戦後、お茶屋の廃業の
廃業の際に猫好きな女性が引き取り、自宅前に祀られました。風雨に曝され、石の猫地蔵に変わり果
て、更に、バイクや車に当てられ招猫の左手を欠いてまで家の者に怪我人を出さぬようにしたと言い
ます。しかし代も替り家の立ち退きを求められ、またも居場所を失ってしまいました。落ち着き先と
して天寧寺がが名乗り上げたといいます。

さて、猫さんにも挨拶をして、出発地へ足を進めます。その途中にある竜島の神明神社へ。
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祭神は天照大御神。
石橋山の合戦で敗れた源頼朝が上陸したその日、神明神社のある神明の森で一夜を過ごしました。
地域の住民たちは、酒や食料・衣服などを持ち寄り、頼朝一行をとても親切に手厚くもてなし、頼朝は、
住民の親切に大変喜び、これらの人々に姓を与えたという伝承があります。
「左右加(そうか)」や「馬賀」という姓が残っています。

あとは、出発地点に戻り終了です。今日は、10㎞弱の距離でした。

お散歩ツアー「鉈切伝説と地震隆起」報告

不安定な天気が続きますね。4月に入り、雨が降る日が多くなんだか、
梅雨のような感じです。

今年度、初の試みの「お散歩ツアー」を4月16日に開催しました。このお散歩ツアー
は、月イチツアーと違って距離を短くしました。「ちょっと月イチの距離だと体力的
につらいわ~」とか「健康の為に歩かなくちゃいけないんだけど、一人であるいてもつま
らないわ~」とかいう方向けのウォーキングツアーです。小さなエリアを、地域の歴史など
知りながら楽しく歩くツアーです。

第一回目は、館山市西岬地区の浜田地区を中心に見物・早物を歩きました。
集合場所は、浜田集会所です。(船越鉈切神社がある場所です)
ここで体操して出発します。
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まずは、金山神社へ向かいました。
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早物の鎮守で、鉱山や金属技工の神様とされる金山彦が祀られています。
ここでは、区長さんが中を開けて見せくださいました。
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区長さんは、お話しが上手でした。

次に隣りにある観音堂へ。
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文政8年(1825)の六十六部廻国供養塔があります。
こちらでも、区長さんのご配慮により、お前立の彫り物をみさせていただきました。
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次は、孝子新四郎の碑へ。
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太田新四郎は江戸時代の塩見の人です。両親に対する孝行から、寛政7年(1795)に
領主から褒美を与えられ、昭和59年元東小学校(現東公民館)の正面にその記念碑
が建てられました。

次は、スタート地点でもありました船越鉈切神社へ。
祭神は、海神である豊玉姫命です。本殿は、鉈切洞穴の中にあります。洞穴は、およそ
2万年前の沖積世初期に出来た海蝕洞穴で、縄文時代には、住居として使われていたら
しく、土器や鹿角製の釣針や魚の骨・貝などが発掘されています。古墳時代には、墓と
して利用され、その後信仰の場として変わったそうです。
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本殿に向かう途中に、鉈砥ぎ石という伝説の石が・・・
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昔むかしその昔、浜田洞穴に大蛇が棲み村人を苦しめていました。それを知った神様が
大蛇を退治するのに、鉈を砥ぎ試し切りしたため、真二つに割れたという伝説の石です。

次は、海南刀切神社へ。
浜田の船越鉈切神社とは、昔1つの神社として信仰されていました。
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拝殿の彫刻は、後藤忠明の作です。なかなかの迫力がある龍です。
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こちらの神社にも伝説があります。
本殿の後ろにある鉈切山は峰から下まで両断されたように裂け目があります。至孝の人は
通れるが、不孝の者が入ると両山が合わさってひとるの山になり、出てくる事ができなく
なると言われています。
今回は無事みなさん、海岸の方へ出られました。
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海岸線を少し歩いて、集合場所へ。 お散歩ツアーは、2時間ちょっとのツアーです。
気軽にご参加できます。