月イチツアー「槙の回廊と那古の式部夢山道」報告

少しばかり報告が遅くなりましたが、9月8日に行いました、月イチツアー
「槙の回廊と那古の式部夢山道」の報告をします。

出発時間までは、雨が降っていましたが、出発と同時に雨もやみました。
日頃の行いがいいのか、晴れ男・女がいたのか不明ですが・・・

北条海岸から出発し、安房高校をめざします。
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何年か前に甲子園に出場しました時の記念碑が建っています。

稲荷神社により、槙の生垣が続く道へ。
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祭礼の前という事もあり、生垣はきれいに刈られてました。

鶴谷八幡宮は、祭礼の準備中でした。
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槙の回廊を歩きながら、湊薬師堂へ。
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ここでは、万石騒動の際に、刑死した三義民のひとり湊村名主秋山角左衛門の墓が
あります。
万石騒動とは、正徳元年(1711)北条藩屋代家の領内で起きた一揆の事。
屋代家の用人、川井藤左衛門が、不作にもかかわらず、例年の2倍もの年貢を課したため、農民の不満
がひろがり一揆に発展しました。その為、首謀者として名主3名が処刑され、騒動は、農民側の勝訴と
なり騒動はおさまりました。犠牲となった名主3名は三義民と呼ばれるようになりました。

次に、八雲神社へ。
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芝堂から那古寺へ。
潮音台からの景色。
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式部夢山道を通り、那古海岸に出て、海岸線を歩いて、北条海岸へ目指しました。
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少しロングコースでしたが、みなさん無事に到着しました。
天気もなんとか大丈夫でよかったです。

安房地区最大のおまつり

この3連休はいかがお過ごしでしたか?台風で大変な地域の方もいらっしゃったと思います。
9月14・15日は、安房地区最大のおまつりが行われました。地元では「やわたんまち」と
言っています。昔は、「稲刈りをやわたんまちまでにやっちまう!!」なんて、祭りの為に
農作業を終わらせるという風でした。今もそうですが・・・
鶴谷八幡神社は館山市内にありますが、となりの南房総市からも神輿が来ます。
今は、遠い所の御神輿は、トラックに乗って近くまで来ていますが、昔は、担いで神社まで
来ていたそうです。今だと歩いてくるだけでいっぱいいっぱいです。昔の人は、体力があった
のですね。

地元の人達は、このお祭りの楽しみ方がいろいろあります。御神輿を見に行く人、山車を見に
行く人、お祭りに参加する人といろいろです。なかには、ひいきな地区があってそれだけ追っか
ける人もいます。

お参りも兼ねて、八幡神社に・・・
神社に一番に入ってくるのは、安房一宮の安房神社。
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御輿の前を神社総代・猿田彦(天狗)・神主・巫女などが入ってきます。
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御輿は、一の鳥居から体制を整えて走って入ってきます。
神様が乗っているわけですから、落としたら大変です。
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八幡神社の本殿の前まで行き、そこで「さし」ます。さすというのは、御神輿を高く掲げる
という事です。

その後、洲宮神社の御神輿が入ってきました。この御神輿は、安房神社の連れ合いの神様を
乗せています。
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その後、二基でのもみさしを繰り替えしました。
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すぐそばにいた人は、神奈川県から来られた方で、「たまたまきたらおまつりやってたので、見に
きたらこんなに立派なおまつりだなんて・・・来てよかった」と言ってました。

さぁ~神社を後にして、駅前の交差点へ。
ここは、御神輿や山車が通る場所で、1か所で各地区が見れる場所なんです。
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下立松原神社(南房総市白浜)

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山宮神社(館山市東長田)

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山荻神社(館山市山荻)

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蛭子神社(南町)山車

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諏訪神社(六軒町)山車

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神明神社(神明町)山車

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神明神社(三軒町)山車

その後、神明神社(神明町)に5基の山車・お舟が集まります。
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ここから、市役所前の通りを通り、蛭子神社へ。
駅前で撮れなかったお舟。
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神明神社(新宿)お舟

1日目に見れなかった御神輿は、2日目へ持越しです。
と普段ならそうなんですが、今年は、訳あって見に行く事ができませんでした。
是非、みなさん来年は見に来てみませんか?

このお祭りは、千葉県指定無形民俗文化財です。

安房の偉人 日蓮聖人(小松原法難編パート2)

日蓮聖人の小松原法難編パート2をお話します。
(小松原法難に関しましては、パート1をご覧ください。)

では、早速。。。。
4.袈裟山掛松寺(けさざんけいしょうじ)
法難直後に川のほとりで長い一夜を凌いだ霊場。この川は現在も夜長川と呼ばれて
います。松の木に袈裟を掛けたことから袈裟山掛松寺と号します。
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(残念な事に本堂の前に車が止まっていましたな(泣))

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四代目袈裟掛けの松。

5.花房山蓮華寺(はなぶさざんれんげじ)
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昭和56年日蓮聖人七百遠忌に日蓮宗により再興された宗門史跡。
立教開宗により清澄寺を追われた日蓮聖人は一時この寺に逃れていました。
帰郷の際も、当寺に寄宿され、住僧・浄円坊に宛てて念仏無間を説いた書簡を認めており、旧師・道善房
との再会も果たしている。この寺にも疵洗いの井戸がある。当時、当地花房は東条とも西条とも表記され
ているが、清澄から山伝いに人目に付かず往来できる地であり、景信の手が及びにくい場所だった。

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門前の疵洗い井戸。

6.本山 小松原山鏡忍寺(こまつばらさんきょうにんじ)
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日蓮聖人の小松原法難の地に弘安4年(1281)に創立された名刹です。開基は法難の時、聖人を援け
に来て戦死した工藤吉隆の忘れ形見、長栄房日隆上人です。

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総門(山門)は三間三戸様式の棟造り門。

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仁王門は十界曼荼羅を祀る2階部分を持ち、瓦屋根の下に長く飛び出た垂木、尾垂木等を持つ
三間一戸様式の門。仁王像は昭和の名横綱双葉山をモデルにした金剛力士像。

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祖師堂。弘安4年(1281)日隆上人の創立。現在の建物は平成19年に再建された。
外陣欄間を飾る彫刻と外面蟇又(かえるまた)は旧祖師堂のもので初代「波の伊八」
武志伊八郎信由の作品。

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降神槙。日蓮聖人の一行が東条景信の一団に襲われた際に、路傍の樹の上に鬼子母神が現れ、
危うく難を逃れたと伝えられるマキは鴨川市の天然記念物に指定され、今でも境内に大きく
枝を広げています。

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上人塚。鏡忍寺から少し離れた場所にあります。
日蓮は、工藤吉隆の死を悔やみ日玉の法号をおくり、この地に葬ったと伝えられています。
明和5年(1768)年に23世日長が塚の上に碑を建てました。道路拡張により昔の約
三分の一の大きさになっています。

パート1とパート2で小松原法難の霊場6ヶ寺をご紹介しました。
今年は、節目の年です。みなさん宗派関係なく巡ってみてはいかがでしょうか?
また旅倶楽部では、特別ツアーとして企画中です。決まりしだいHPにてお知らせします。
しばらくお待ちください。

※念のため、また旅倶楽部は、宗教団体でも動物愛護団体でもありません。

安房の偉人 日蓮聖人(小松原法難編パート1)

まだまだ暑い日が続きますねぇ~
少し前から、企画を考えてた事がありまして・・・・
それは・・・
安房の偉人「日蓮聖人」について、今更ながら向き合ってみようと・・・
そのきっかけになったのが、四大法難の1つの、「小松原法難」(鴨川市)から今年で750年
というのが、きっかけだったんです。
「宗教色が強い」とか言われてしまうかもしれませんが、安房の偉人の日蓮聖人を知るという
のは、この地域の歴史として知っておいてもいいかな?と・・・・
そんな風に思って、先日、小松原法難の霊場六ヶ寺巡り+αを下見の下見してきました。

※小松原法難とはなに?
文永元年(1264)11月11日夕方、東条松原(現鴨川市)にて以前から恨みをもって
いた長狭郡東条郷の地頭で念仏信者の東条景信が日蓮聖人を襲い弟子の鏡忍房日暁と信者で
天津の領主・工藤吉隆が殺され、日蓮も額を斬られ、左手を骨折、重症を負いました。
斬りつけた東条景信も落馬し、逃亡、日蓮は難を逃れました。

小松原法難の霊場六ヶ寺めぐりのアイテムを紹介
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六ヶ寺をイラストと法難の縁起で紹介した「報恩参拝の証」(500円)に、お寺さんで華葩
(散華)をいただき参拝の記念にするものです。(たぶん今だけのことです。)

では、この報恩参拝の証の順に「ガイドの独り事」で2回にわたりご紹介。
1.岩高山日蓮時(がんこうざんにちれんじ)
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疵をおわれた日蓮聖人を工藤吉隆公の家臣の案内により一旦小湊の岩山に身を潜め、谷間の湧水
で疵を洗い、身を隠した洞窟では読経三昧の中に岩砂を取り、その砂を頭部の疵につけると不思議
な効により痛みが消え出血もとまったといいます。お市という老婆が、寒さに疵が痛んではいけな
いと「綿帽子」を供養したという事も伝えられています。

駐車場から、階段を登り直ぐの場所に疵洗井戸があります。

疵洗い井戸

疵洗い井戸


しばらく階段を登りやっと見えてきたのが、養疵窟(おいわや)。
養疵窟内部

養疵窟内部


少しのぼり本堂です。
本堂・宗祖御尊像

本堂・宗祖御尊像


本堂までの階段数は208段という事です。
お寺さんのお話ですと、こちらに住んでおられ、階段を登り降りしているそうです。買い物とかした
場合は、下の駐車場から背負い籠を担いで上がってくるそうです。大変です。
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ここでは、日蓮聖人も使った血止めの砂を手に入れました。
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2.明星山日澄寺(みょうじょうざんにっちょうじ)
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日蓮聖人の帰郷に随行した日澄上人は、法難に殉じた天津の領主・工藤吉隆の菩提寺の住持と宗論し、
真言より法華に転ぜしめた。寺号は宗祖の命名で日澄寺と改称され、日澄上人は宗祖を開祖と仰ぎ、
日玉上人(工藤吉隆)を二祖とし、自らを三祖と定めた。吉隆の遺子日隆上人は父の菩提のために館
跡に菩提寺を移したのが創建の由来です。寺には日玉上人の墓所が設けられました。吉隆公の法勲を
今に伝える宗門史跡です。

本堂の前には稲荷大明神があります。
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ちょっとかわいい撫でお狐さん
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本堂の入口には天井絵も。
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大事なものを撮るのを忘れてしまいました。工藤吉隆公の墓所を・・・
やってしまった(汗)

3.光玉山多聞寺(こうぎょくざんたもんじ)
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寺伝によれば、文永元年(1264)8月、毘沙門天が童子に変じ、帰郷した日蓮聖人を出迎え当山に導
いたという。時の住持は聖人の教化により即座に天台宗より改宗し、寺号も多聞寺と改称された。
工藤吉隆の家臣・北浦忠吾・忠内は法難の知らせを受け吉隆に随従して駆けつけ、ひとたび難を避けて
聖人を自邸に匿い、邸内の姥が池で疵を洗い手当を施したという。明応年間の津波に没した池は改修され、
創洗いの井戸(疵洗い井戸)として伝えられている。
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創洗いの井戸は、日蓮聖人の疵を洗った場所だけでなく、房総一帯で疫病(咳の病)が流行している時に、
北浦忠吾・忠内が聖人に疫病平癒を嘆願し、聖人は「姥が池に経石を沈め病に悩む人に水を与えよ」と仰せ
になりました。病人がこの水を服すと病がなおったというお話も残されています。

今回は、この辺で・・・次回は、残りの3ヶ寺です。

月イチツアー「館山・山野辺の道」報告

久しぶりに、少しまとまった雨が降った館山・南房総です。
それも・・・月イチツアーの日に・・・・
8月25日は、月イチツアー「館山・山野辺の道」を開催しました。
暑さを気にしていたんですが、雨に降られ・・・でも、雨の匂いを嗅ぎながらのウォーキングも
いいものです。

さて、今回のコースは、城山公園駐車場を出発して、総持院ー国司神社ーヒカリモー沼サンゴー
十二天神社(ビャクシン)-田んぼ道ー天王台壕ー城山公園駐車場でした。
まずは、総持院へ。
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獅子吼山慈眼寺總持院。真言宗智山派のお寺。
平安時代末期、永長2年(1097)安房の国司、源朝臣親元公によって創建されたお寺です。
中世には真言宗密教の道場として栄え、往時は坊舎が16棟あり「沼の大寺」と言われて
いて、今でも地元の人は、沼の大寺と呼んでします。
真言宗智山派の総本山智積院(京都)の現化主(住職)は、總持寺の方になります。

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梵鐘です。4本の柱の1本にカエルがくっついています。このカエルをなでると「無事かえる」
でご利益があるそうです。カエルを見つけてみて下さい。

次は、国司神社へ。
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国司神社は、安房の国司源親元公をお祀りした神社です。嘉保3年(1096)、安房守に任ぜられ
国司としてこの地にやってきました。在任中、民を大切に、親しまれていました。
承徳3年(1099)に任期も終わり船で、柏崎浦から京都に帰る事になりました。安房の人々は別れ
を惜しみ、道をさえぎり袖にすがり泣いて放さなかったそうです。そこで、親元公は自分の着ていた
直衣の左袖を解いて記念に与えて舟に乗って帰ったそうです。6年後、親元公が死去され、それを聞い
た安房の人々は追慕のあまり永久2年(1114)柏崎の地に祠堂を建て片袖をご神体として国司大明神
(現国司神社)としました。

国司神社の裏山は、豊津公園になっておりますが、現在は私有地となっており、公園らしくない場所
ですが、珍しいものがあります。石で作った将棋盤&碁盤があります。
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今は、木が茂っていますが、昔は眺めもよく夕涼みなんかしながら、ここでステテコ履いて、房州うちわ
なんぞ持って碁や将棋なんかをうってたんではないかな?なんて想像してしまいます。

次に天満神社へ。
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平安時代の国司源親元が建てたとされている神社です。
境内には、地元の絵師・川名楽山の記念碑などがあり、中でも目につくのが牛の像です。
「なで牛」と言って、自分の体の悪い部分と同じ所をなでると、直ると言われています。
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どこが一番てかってるかというと・・・雨でよくわからなかったんですが、やはり頭ですかねぇ~。

次は、ヒカリモ見ながらの沼サンゴです。
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雨もピークに・・・
約6,000年前に生息していたサンゴの化石を、海岸より約1km内陸にはいった、館山市沼の標高約20m
ほどのところでみることができます。

次に十二天神社(沼のびゃくしん)です。
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神社のいわれとかはっきりしていないので・・・
沼のびゃくしんは、館山市の天然記念物で、千葉県内で一番大きいびゃくしんです。
樹齢約800年と推定されています。周囲7.45m樹高17mで、地上2mないし3mの所で枝が11本
に分かれ、その中の1本は切断された後空洞ができています。この木にはハセツキ、イヌビワ、
シロダニ、マサキ、トベラなどが着生していました。しかし、着生木の影響でビャクシン本体
の樹勢が次第に弱まってきている事、また周囲にある雑木が大きく育ちすぐ、日影を作ってい
る部分にあるビャクシンの枝が枯れている事がわかり、平成22年度にビャクシンの治療と周
囲の雑木の伐採を行いました。現在も根を踏まないように保護ロープの中には入らないように
お願いしています。

次は農道などを通り、天王台壕へ。
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稲刈りが早い所では、始まりました。この景色は、なかなかいいもんです。

さぁ~天王台壕
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やはりこれも戦時中に掘られた壕になります。なにがあった壕だかは、はっきりしていません。
城山の下の部分にありますので、戦時中は城山も軍事施設だった事もあり・・・
現在は、農業の倉庫として使われています。

雨の中のウォーキングツアーでしたが、みなさん無事に城山公園駐車場まで帰ってきました。
次回の月イチウォーキングは、9月8日(日)「槙の回廊と那古の式部夢山道」です。
是非、ご参加下さい。

地域調査(八幡・那古編)

お盆休み、みなさんどのようにお過ごしになりました?
海・山に楽しまれた方もいらっしゃると思います。
私的には、お盆休みは、お墓詣りと、涼しい部屋で昼寝三昧ですかね。そのせいか、
坐骨神経痛が復活ぎみになっております。
微妙に痛い腰で、地域調査に昨日(8月19日)出かけてきました。このコースは、
9月8日(日)に行います「月イチウォーキング・槙の回廊と那古の式部夢山道」です。

集合は、北条海岸三軒町休憩所。前日まで海の監視所だったので、昨日は片づけを
していました。
日影にいると海風が気持ちいいと感じながらここに居たいと後ろ髪を引かれながらも出発。
道路を歩き始めると暑いのなんの・・
日影を探し探し歩き安房高等学校へ。この学校は、世界的にも有名なミュージシャンが卒業した
学校で剣道も強い学校なんです。そんな高校の近くにあるのが、長尾藩稲荷神社。
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稲荷神社のあたりに明治元年から明治4年まで長尾藩と称する藩がありました。長尾藩の前身
は、駿河国志太・益津(現在の静岡県藤枝市)にあった田中藩で、国替えに伴って藩士たちと
ともにこの地に移り、鎮守として建てられました。
この場所には、天保14年(1843)に鋳造した大砲が境内に奉納されていましたが、戦争中
に供出されてしまいました。

槙の生垣をみながら、鶴谷八幡宮へ。
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平安時代初期に国府近く(現・南房総市府中)に安房国総社として創建され、鎌倉時代に入り
総社から改変され八幡宮となり、当初の場所から遷座するに至りました。

拝殿向拝の天井にある百態の龍は、安房を代表する彫刻師、後藤利兵義光の作品です。
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中央の鏡天井を中心に周囲54態の様々な龍の姿が組み込まれています。館山市有形文化財です。

さて、槙の路地を通り目指すは八雲神社。
マキは千葉県の木にも選定されていて、県南部(安房地域周辺)では、防風・防潮・防火などの
効果を目的に家の周辺を生垣で囲っています。
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八幡の祭礼前には、この生垣がきれいに刈り込まれていて、圧巻です。
立派な生垣のある家とかは、毎年植木屋さんに支払う金額が、30万円位かかるとか・・・

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こんな風に刈り込んでいる槙の木もあります。

八雲神社に到着。ここまで、暑い中歩いて来たので少し長い休憩。
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次は、芝堂からの那古寺です。那古寺のすぐそばにスーパーがあり、ここで水分とかを調達し
那古寺へ。
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日影を探し昼食です。
昼食終了後には、式部夢山道を行きます。結構、お盆休みボケした体には厳しいです。
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最初の階段をクリアーすれば後は、緩やかな道と少しの登り階段なので大丈夫なんですが・・・
途中、海風が吹いてい気持ちいい場所があるので、暑い体が癒されます。
ここまでで、約6キロちょっとです。これから、那古海岸を通って集合場所に戻ります。
このコースは、10キロ近いコースになるかと・・・・
暑さのせいか、写真を撮る事を忘れていて、周辺の写真がありません。

当日は、暑さ対策が必要かと思います。ご参加を予定されている方は、十分睡眠・
水分・暑さ対策をお願いします。
まだまだ、見どころ・解説がありますので、是非ご参加下さい。

夏休み

連日暑い日が続きますねぇ~。
館山市も今年は、なんだか暑いです。海風があまり吹かないからか?
先日の10日なんて、光化学スモックの注意報が出たりなんかしちゃいました。
今まで聞いたことのない注意報でビックリです。

そんな、暑い館山も海で泳げば涼しくなるという事で、ここ数年人気の海水浴場は沖ノ島。
沖ノ島って、船で行くの?なんて言われますが、今は砂浜でつながっていて歩いて島に渡れます。
沖ノ島(海水浴場)
夏の砂浜は、こんな感じで賑わっています。(奥に写っているのが沖ノ島)
しかし・・・島の反対側は、海水浴場ではないので、監視員がいません。毎年、泳いでる人がいますが、
実は・・・水温が急に低くなったり、潮の流れが変わったりで危険な場所でもありますので、くれぐれも
注意して下さい。
そういえば、館山市内の同じガイド団体でもあります、海辺の鑑定団さんがスノーケリング体験を毎年、
この沖ノ島で行っています。
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初めてスノーケリングをやる方には、もってこいのプログラムです。海の中の生物に会えますよ。
詳しくは、海辺の鑑定団のHPをご覧ください。http://www.umikan.jp/p_02snorkel.html

もう1つ涼しくなる場所をご紹介。そこは、赤山地下壕。入口に入ると、涼しい風が吹いてきます。
赤山地下壕は、戦争遺跡です。全長約1.6㎞の未完成の防空壕です。1944年以降に館山海軍航空隊
の兵隊たちによって壕が掘りはじめられたそうです。壕の中には、発電所跡や病室や電信室があったと
いう証言がありますが、地下壕に関する資料が、ほとんどないためはっきりしたことがわかりません。
(また旅倶楽部のガイドは、いろいろな証言を集めてガイドをしています。)
戦争遺跡だけではなく、地層の勉強にも役に立つ場所です。地層のずれを観察できますし、火山灰の層が
確認できたりと、自由研究にももってこいの場所です。
赤山元データ
あまり説明してしまうと、ガイドのお仕事がなくなってしまうので、この辺にします。
ガイドのご用命は、また旅倶楽部まで・・お待ちしてます。

では、素敵な夏をお過ごしください。

戦争遺跡イラスト展開催

館山・南房総は、夏まっさかりになってきました。
7月中旬から、各地域でお祭りが開催されています。私も、たてやまの祭礼に参加しましたが、
暑さでダウンぎみでした。今年の夏は暑いので、みなさまもお気を付けて下さい。

さて、もうすぐお盆休みですね。お盆と言えば、終戦記念日。
8月6日は、広島へ原子爆弾が落とされた日で、テレビでは当時の様子が語られたりしていました。
当時の写真や被爆者のお話しを聞くと、心が痛くなります。平和な時代に生まれた事を感謝しています。
館山・南房総にも、多くの戦争遺跡が残されています。海上自衛隊館山基地の本庁舎も戦時中使って
いた物です。(あと少しで取り壊されてしまいますが・・・)
自衛隊本庁舎

そんな戦争遺跡を語り残して行きたいという事で、8月2日~8月15日まで、また旅倶楽部主催の
「戦争遺跡イラスト展」を渚の駅たてやまの渚のギャラリーにて開催しております!!
当時の航空写真や資料、実際に現地に行って確認した物をイラストで紹介しています。
8月13日・14日の両日、10:00~と14:00~イラストの解説を行います。
是非、みなさんお越しください。
tennjikai
お待ちしております。

夏!!

夏です。夏休みのご予定はいかがですか?
夏になると館山・南房総は、他県のナンバーの車が多くなっています。
やはり、海に遊びに来られるんですね。

夏になると、館山市内のいたる所でお祭りが始まります。
山車や御船・屋台のお囃子が聞こえてきます。
なに渋滞してるんだ?と思うと前には、山車や神輿。
祭り好きは、わざわざ渋滞して見に行ったりしますが、観光で来られて
いる方には、ちょっと迷惑かも?と思う事も・・・

これからのイベントをご紹介します。
まずは、
8月1・2日は、たてやまのまつりです。館山神社周辺の山車・御船・神輿が
練り出します。
たてやままつりたてやまのまつり2
個人的に、新井地区がの御船がメインです。1枚目は、2日のお浜入りした時の写真。
2枚目は、赤山地下壕側の坂道を駆け足で登っている写真です。
(自分がまつりに参加しているので、写真を撮ってる暇がなくいい写真がありません(汗))

8月8日は、館山湾花火大会。北条海岸・新井海岸で楽しむ事ができます。
水中花火や特大スターマイン約1万発が上がります。

8月10日は、安房神社祭礼。
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8月20~22日は洲崎神社祭礼。
県無形民俗文化財「洲崎のミノコオドリ」が披露され、約150段の階段を下りる
御神輿は迫力満点です。

館山の楽しみは、まだまだあります。
スノーケリングやダイビング・シーカヤック・サーフィン。。。。
いろいろ遊んだ後は、温泉へと・・・・
お気に入りはというと、安房自然村の温泉です。
小さ目なので、混んで場合がありますが、源泉の温泉で、琥珀色のお湯が特徴
です。建物の雰囲気もいいですよ。
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是非、夏の館山をお楽しみ下さい。渋滞・混雑はご了承ください。

地域調査(南房総市千倉町・円蔵院編)

南房総市千倉町にある円蔵院に行ってきました。
南房総市千倉町の高家神社からすぐのお寺さんです。

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円蔵院は、往古荒神山徳恩寺円蔵院と号し、北朝夷字寺庭にあり、当寺は安房3巨利の1宇として、
府中の宝珠院(とあるHPには宝来院になってますが・・)の次席に位置し、末寺53ヶ寺を傘下
におさめ、中には領主の朱印による寺領を有するもの4ヶ寺もあり、真に地方の小本山の感があります。
文安元(1444)年住職源秀大いに寺門を興し、その後現在地に移り称号を新福山と改め現在に至ったと
いいます。また一説によると、元禄16年11月の大地震・大津波によって大被害を受け、現在地に移転し
たとも伝えていますが、明らかではありません。
53ヶ寺の末寺を統轄した歴代の住職は、大僧都・権僧正・権大僧正という高位を有し、56世を数える名刹
で天正年間(1573~85)正親町天皇の時、里見8代義頼・9代義康より寺領として、お墨付石高50石及び
境内地を寄進されました。その後、江戸幕府の時代に至っても、里見家寄進の寺領に対して歴代将軍より
安堵の朱印状が下賜されました。
まぁ~簡単にいいますと、位の高いお寺さんだったんです。

今回は、特別に中を見ることができました。
中には、初代後藤利兵衛橘義光の作品の欄間や大蔵経・本堂扁額などがあります。
その前に、後藤義光とは、江戸末期から明治初期の彫刻師で、数多くの門人を育てた人です。江戸で大き
な勢力を誇った後藤茂右衛門の流れの彫工で、後藤三次郎恒俊の弟子。義光は、千倉の出身で千倉後藤系
を興し義光の名は三代つづくが、いずれも迫力ある作風です。安房の三大名工の1人です。

さぁ~中へ。。。
まずは欄間を・・・
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義光45歳作 安政6年(1859年)

次に扁額
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義光71歳作 明治18年(1885年)

仏像(釈迦)
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義光70歳作 明治17年(1884年)

六角経蔵篋
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次男福太郎義道の作

宝篋印塔
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義光72歳作 明治19年(1886年)

残念な事に欄間が・・・・ボケちゃいました(涙)次回チャレンジしてきます。

彫刻も素晴らしかったんですが、私にとって興味をもった物がありました。
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なんと籠ではないですか!!昔、ご住職が移動する時に使っていたものだそうです。
今でいう公用車ですね。いやぁ~大きなお寺さんだった事がわかりますね。
ちょっと降ろしてもらって、中が見たいと思うのは、私だけでしょうか?

館山・南房総には、歴史があるお寺が沢山あります。ちょっとお寺巡りをしてみては
どうでしょうか?
次回、円蔵院の公開日は、8月16日(金)・8月21日(水)
の10時~14時です。拝観料は無料ですが、お賽銭持ってお越しください。