月イチツアー「館山・山野辺の道」報告

久しぶりに、少しまとまった雨が降った館山・南房総です。
それも・・・月イチツアーの日に・・・・
8月25日は、月イチツアー「館山・山野辺の道」を開催しました。
暑さを気にしていたんですが、雨に降られ・・・でも、雨の匂いを嗅ぎながらのウォーキングも
いいものです。

さて、今回のコースは、城山公園駐車場を出発して、総持院ー国司神社ーヒカリモー沼サンゴー
十二天神社(ビャクシン)-田んぼ道ー天王台壕ー城山公園駐車場でした。
まずは、総持院へ。
IMGP1121IMGP1101
獅子吼山慈眼寺總持院。真言宗智山派のお寺。
平安時代末期、永長2年(1097)安房の国司、源朝臣親元公によって創建されたお寺です。
中世には真言宗密教の道場として栄え、往時は坊舎が16棟あり「沼の大寺」と言われて
いて、今でも地元の人は、沼の大寺と呼んでします。
真言宗智山派の総本山智積院(京都)の現化主(住職)は、總持寺の方になります。

IMGP1111IMGP1115
梵鐘です。4本の柱の1本にカエルがくっついています。このカエルをなでると「無事かえる」
でご利益があるそうです。カエルを見つけてみて下さい。

次は、国司神社へ。
IMGP1127
国司神社は、安房の国司源親元公をお祀りした神社です。嘉保3年(1096)、安房守に任ぜられ
国司としてこの地にやってきました。在任中、民を大切に、親しまれていました。
承徳3年(1099)に任期も終わり船で、柏崎浦から京都に帰る事になりました。安房の人々は別れ
を惜しみ、道をさえぎり袖にすがり泣いて放さなかったそうです。そこで、親元公は自分の着ていた
直衣の左袖を解いて記念に与えて舟に乗って帰ったそうです。6年後、親元公が死去され、それを聞い
た安房の人々は追慕のあまり永久2年(1114)柏崎の地に祠堂を建て片袖をご神体として国司大明神
(現国司神社)としました。

国司神社の裏山は、豊津公園になっておりますが、現在は私有地となっており、公園らしくない場所
ですが、珍しいものがあります。石で作った将棋盤&碁盤があります。
IMGP1140IMGP1136
今は、木が茂っていますが、昔は眺めもよく夕涼みなんかしながら、ここでステテコ履いて、房州うちわ
なんぞ持って碁や将棋なんかをうってたんではないかな?なんて想像してしまいます。

次に天満神社へ。
IMGP1150
平安時代の国司源親元が建てたとされている神社です。
境内には、地元の絵師・川名楽山の記念碑などがあり、中でも目につくのが牛の像です。
「なで牛」と言って、自分の体の悪い部分と同じ所をなでると、直ると言われています。
IMGP1144IMGP1146
どこが一番てかってるかというと・・・雨でよくわからなかったんですが、やはり頭ですかねぇ~。

次は、ヒカリモ見ながらの沼サンゴです。
IMGP1159IMGP1155
雨もピークに・・・
約6,000年前に生息していたサンゴの化石を、海岸より約1km内陸にはいった、館山市沼の標高約20m
ほどのところでみることができます。

次に十二天神社(沼のびゃくしん)です。
IMGP1162IMGP1164
神社のいわれとかはっきりしていないので・・・
沼のびゃくしんは、館山市の天然記念物で、千葉県内で一番大きいびゃくしんです。
樹齢約800年と推定されています。周囲7.45m樹高17mで、地上2mないし3mの所で枝が11本
に分かれ、その中の1本は切断された後空洞ができています。この木にはハセツキ、イヌビワ、
シロダニ、マサキ、トベラなどが着生していました。しかし、着生木の影響でビャクシン本体
の樹勢が次第に弱まってきている事、また周囲にある雑木が大きく育ちすぐ、日影を作ってい
る部分にあるビャクシンの枝が枯れている事がわかり、平成22年度にビャクシンの治療と周
囲の雑木の伐採を行いました。現在も根を踏まないように保護ロープの中には入らないように
お願いしています。

次は農道などを通り、天王台壕へ。
IMGP1171IMGP1169
稲刈りが早い所では、始まりました。この景色は、なかなかいいもんです。

さぁ~天王台壕
IMGP1173
やはりこれも戦時中に掘られた壕になります。なにがあった壕だかは、はっきりしていません。
城山の下の部分にありますので、戦時中は城山も軍事施設だった事もあり・・・
現在は、農業の倉庫として使われています。

雨の中のウォーキングツアーでしたが、みなさん無事に城山公園駐車場まで帰ってきました。
次回の月イチウォーキングは、9月8日(日)「槙の回廊と那古の式部夢山道」です。
是非、ご参加下さい。

コメントは停止中です。