地域調査(南房総市千倉町・円蔵院編)

南房総市千倉町にある円蔵院に行ってきました。
南房総市千倉町の高家神社からすぐのお寺さんです。

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円蔵院は、往古荒神山徳恩寺円蔵院と号し、北朝夷字寺庭にあり、当寺は安房3巨利の1宇として、
府中の宝珠院(とあるHPには宝来院になってますが・・)の次席に位置し、末寺53ヶ寺を傘下
におさめ、中には領主の朱印による寺領を有するもの4ヶ寺もあり、真に地方の小本山の感があります。
文安元(1444)年住職源秀大いに寺門を興し、その後現在地に移り称号を新福山と改め現在に至ったと
いいます。また一説によると、元禄16年11月の大地震・大津波によって大被害を受け、現在地に移転し
たとも伝えていますが、明らかではありません。
53ヶ寺の末寺を統轄した歴代の住職は、大僧都・権僧正・権大僧正という高位を有し、56世を数える名刹
で天正年間(1573~85)正親町天皇の時、里見8代義頼・9代義康より寺領として、お墨付石高50石及び
境内地を寄進されました。その後、江戸幕府の時代に至っても、里見家寄進の寺領に対して歴代将軍より
安堵の朱印状が下賜されました。
まぁ~簡単にいいますと、位の高いお寺さんだったんです。

今回は、特別に中を見ることができました。
中には、初代後藤利兵衛橘義光の作品の欄間や大蔵経・本堂扁額などがあります。
その前に、後藤義光とは、江戸末期から明治初期の彫刻師で、数多くの門人を育てた人です。江戸で大き
な勢力を誇った後藤茂右衛門の流れの彫工で、後藤三次郎恒俊の弟子。義光は、千倉の出身で千倉後藤系
を興し義光の名は三代つづくが、いずれも迫力ある作風です。安房の三大名工の1人です。

さぁ~中へ。。。
まずは欄間を・・・
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義光45歳作 安政6年(1859年)

次に扁額
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義光71歳作 明治18年(1885年)

仏像(釈迦)
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義光70歳作 明治17年(1884年)

六角経蔵篋
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次男福太郎義道の作

宝篋印塔
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義光72歳作 明治19年(1886年)

残念な事に欄間が・・・・ボケちゃいました(涙)次回チャレンジしてきます。

彫刻も素晴らしかったんですが、私にとって興味をもった物がありました。
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なんと籠ではないですか!!昔、ご住職が移動する時に使っていたものだそうです。
今でいう公用車ですね。いやぁ~大きなお寺さんだった事がわかりますね。
ちょっと降ろしてもらって、中が見たいと思うのは、私だけでしょうか?

館山・南房総には、歴史があるお寺が沢山あります。ちょっとお寺巡りをしてみては
どうでしょうか?
次回、円蔵院の公開日は、8月16日(金)・8月21日(水)
の10時~14時です。拝観料は無料ですが、お賽銭持ってお越しください。

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