日蓮聖人の小松原法難編パート2をお話します。
(小松原法難に関しましては、パート1をご覧ください。)
では、早速。。。。
4.袈裟山掛松寺(けさざんけいしょうじ)
法難直後に川のほとりで長い一夜を凌いだ霊場。この川は現在も夜長川と呼ばれて
います。松の木に袈裟を掛けたことから袈裟山掛松寺と号します。
(残念な事に本堂の前に車が止まっていましたな(泣))
5.花房山蓮華寺(はなぶさざんれんげじ)
昭和56年日蓮聖人七百遠忌に日蓮宗により再興された宗門史跡。
立教開宗により清澄寺を追われた日蓮聖人は一時この寺に逃れていました。
帰郷の際も、当寺に寄宿され、住僧・浄円坊に宛てて念仏無間を説いた書簡を認めており、旧師・道善房
との再会も果たしている。この寺にも疵洗いの井戸がある。当時、当地花房は東条とも西条とも表記され
ているが、清澄から山伝いに人目に付かず往来できる地であり、景信の手が及びにくい場所だった。
6.本山 小松原山鏡忍寺(こまつばらさんきょうにんじ)
日蓮聖人の小松原法難の地に弘安4年(1281)に創立された名刹です。開基は法難の時、聖人を援け
に来て戦死した工藤吉隆の忘れ形見、長栄房日隆上人です。
仁王門は十界曼荼羅を祀る2階部分を持ち、瓦屋根の下に長く飛び出た垂木、尾垂木等を持つ
三間一戸様式の門。仁王像は昭和の名横綱双葉山をモデルにした金剛力士像。
祖師堂。弘安4年(1281)日隆上人の創立。現在の建物は平成19年に再建された。
外陣欄間を飾る彫刻と外面蟇又(かえるまた)は旧祖師堂のもので初代「波の伊八」
武志伊八郎信由の作品。
降神槙。日蓮聖人の一行が東条景信の一団に襲われた際に、路傍の樹の上に鬼子母神が現れ、
危うく難を逃れたと伝えられるマキは鴨川市の天然記念物に指定され、今でも境内に大きく
枝を広げています。
上人塚。鏡忍寺から少し離れた場所にあります。
日蓮は、工藤吉隆の死を悔やみ日玉の法号をおくり、この地に葬ったと伝えられています。
明和5年(1768)年に23世日長が塚の上に碑を建てました。道路拡張により昔の約
三分の一の大きさになっています。
パート1とパート2で小松原法難の霊場6ヶ寺をご紹介しました。
今年は、節目の年です。みなさん宗派関係なく巡ってみてはいかがでしょうか?
また旅倶楽部では、特別ツアーとして企画中です。決まりしだいHPにてお知らせします。
しばらくお待ちください。
※念のため、また旅倶楽部は、宗教団体でも動物愛護団体でもありません。