城跡シリーズ「宮本城」報告

11月の終わりから3週連続ウォーキングツアーを開催しています。
今回は、城跡シリーズ「大津の里と宮本城」を開催しました。
なぜか?城跡シリーズを開催するとき、晴天ではないんですよね。これも里見氏の・・・
なんて思ったりしたりして・・・今回も、曇り空で冷たい風が吹いていました。

出発は、おおつの里花倶楽部から、熊野神社・諏訪神社を目指します。
この熊野神社と諏訪神社は同じ場所にあるんです。

諏訪神社

諏訪神社

熊野神社

熊野神社


神社の境内には、大きなナギの木があります。ナギの木は熊野神社のご神木なので、熊野神社が
ある所には、ナギの木があるということです。
でもなんで?熊野神社と諏訪神社が同じ場所?と思われるかと思いますが、里見氏が信仰するのが、
八幡・諏訪神社ということで、里見氏が進出してからは、青木地区の山の谷奥に熊野神社は追いやら
れてしまったんです。里見氏が断絶してからは、表に出てくる事ができたんですね。でもなぜ?大庭
地区の諏訪神社が同じ場所に祀られてるのかは・・・・

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イチョウの葉が絨毯状態になっていて綺麗です。

神社をあとにして、仲尾沢林道を通って宮本城城を攻めていきます。
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大正時代に仲尾沢に大八車が通れる道を造ろうと、村総出で工事をしましたが、隧道は地盤が
軟弱で、崩落を繰り返し工事はなかななか進みませんでした。内面に石を組み、なんとか隧道
は完成したそうです。

いよいよ山の中へ。
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青面金剛石像(庚申塔)です。
ここは、庚申信仰の場所だった所です。道教では、人間の胎内に三尸という3種類の悪い虫が
棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くといいます。そのため、三尸が活
動するとされる庚申の日の夜は、眠ってはならいとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹
夜で過ごすという「庚申侍」の風習がありました。もとは、平安貴族の間に始まり、近世に入
っては、近隣の庚申講の人々が集まって、夜通し酒宴を行う風習が民間にも広まったそうです。

主郭部を目指して歩きます。
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途中に大きなホルトノキがあります。
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ホルトノキは、常緑高木ですが、古い葉は落ちるまえに紅葉します。花期は7月~8月頃の初夏に花が咲き
ます。名前の由来は、「ホルト」がポルトガルのことを意味するという説と、江戸時代に薬用に使われてた
ホルト油(オリーブ油のこと)の採れる木と誤解されたためという説があります。
この宮本城跡にあるホルトノキの側には、埋蔵金伝説も残っています。

主郭部に到着しました。
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宮本城は、標高183mの山上の郭を中心に、多数の郭を配置した山城で、主郭を中心に何段もの腰曲輪を
重ねた多郭構造になっています。
歴史的には、天文2~3年におきた里見氏の天文の内乱で滅んだ里見義豊方の城とされています。永禄7
年の第二次国府台合戦に里見氏が敗れて以来、北条氏の攻勢が続き、北を意識した防備という点で、機能
を宮本城はもつにいたったとみられています。

主郭部からの景色はこんな感じです。
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南方に鏡ケ浦が望め、また岡本城の一部も見る事ができます。さらに、東方2㎞には、滝田城があり、両城
は密接なつながりを持っていたと考えられます。

主郭部の所に、浅間大明神が祀られています。
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主郭部を後にして、下って行きます。少し滑りやすい急な坂です。
これでは、なかなか攻められないなと思います。

妙蓮寺へ向かう途中、牛乳を集める場所があります。中には、水槽があり、そこに牛乳(牛乳缶)を入れ
冷やしておいたとの事です。
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妙蓮寺は、日蓮宗のお寺になります。その近くには、旗立山があります。
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妙蓮寺には、急な階段を登って行きます。妙蓮寺は、番所の役割を兼ねて備えてあったと思われます。
旗立山は、宮本城の主郭と連絡を取ったと場所と言われています。

今回の宮本城は、いままでの城跡より、少し足場が悪い所でした。雨の後とかは、滑りやすいので、
登られるときは、気を付けて下さい。

次回は、年明けての1月19日(日)月イチツアー「天田山と芸術の寺院を訪ねる」です。
館山の野鳥の森最高地点、天神山から天田山に行きます。是非、ご参加下さい。

月イチツアー「里山の隠れた石仏を探訪」報告

12月に入りましたねぇ~。今年も残り少なくなってきました。
また旅倶楽部では、来年度のウォーキングコースの検討と調整を始めました。
あっという間に、4月になってしまいますからね。3月上旬には、来年度の
コースパンフレットをお渡しできるかと・・・お待ちください。

さて、師走に入りすぐに12月の月イチツアー「里山の隠れた石仏を探訪」を
開催しました。朝晩は冷え込みますが、おてんとう様が出てくると、暖かくウォーキング
日和でした。
今回のコースは、館山市の豊房地区の山荻・古茂口を歩くコースになっています。
豊房地区は、農業の盛んな地区です。少し山に入ると、今は使われなくなった、街道など
があります。
コースは、豊房公民館ー福楽寺ー山荻神社ー日枝神社ー福生寺ー南条八幡神社ー姫塚ー観音寺
ー豊房公民館の約10㎞のコースです。途中、古道を通って廻国塔や庚申塔などを見てきました。

スタートは、豊房公民館で恒例の挨拶&コース説明から始まります。
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少しですが、イチョウの紅葉も楽しめました。

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福楽寺です。福楽寺は、和歌山県の根来寺の流れをくむ新義真言宗の寺院です。伝承によれば、
元和4年(1618)に白浜町滝の口から現在の場所に移ってきました。
右側の写真は、宝塔です。この宝塔は、安房の3名工の一人、武田石翁の作品です。
正面には「光明真言六億遍供養塔」と刻まれています。

福楽寺の隣にあるのが、山荻神社です。
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景行天皇の御代(12代天皇で日本武尊の父と伝えられています)、この地に祭場を定め、正倉を
作り稚産霊神・猿田毘古神を祀ったのが始まりとされ、和銅年間(708~715)に新たな社殿を建てて、
別に大穴牟遅命、少毘古名命を加え四座を祀ったと伝わっています。現在の社殿は、大正7年に火災
で焼失、大正12年関東大震災で倒潰したあと、昭和2年に再建されたものです。

ここの神社には、珍しい手水石があります。
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水盤の下の方をご覧下さい。四匹の邪鬼が居ます。この邪鬼の上に水盤が乗った型は、大変珍しい
ものです。
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4匹とも顔が違うんですよ。

山荻神社を後にして、古道を歩いて廻国塔へ。
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昔は、千倉町からこの豊房をつなぐ街道になっていたそうです。千倉から、この山の地に魚を売りに
きていたそうです。
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道より少し上にあり、街道の安全を見守っているような感じです。

次は、日枝神社を目指します。
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日枝神社です。
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日枝神社の裏側の山の中に庚申塔があります。お客さんのみなさんは、庚申塔まで行きましたが、
私は、ちょっとした問題が起こり、行く事が出来ませんでしたので、写真がありません。

山を下り福生寺です。
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一溪妙周大姉の五輪塔があります。この五輪塔は、里見義豊の妻の墓と伝えられていて、安房地域で
もっとも大きい五輪塔になります。

南条八幡神社です。
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祭神は、譽田別命(応神天皇)です。伝承によれば古代南条は、海辺の漁村で、あるとき疫病が
流行したため、その病難を免れるための神を祀ったのがはじまりとされています。

海辺の漁村だった事がわかるものが残されています。
1つは、沼珊瑚層です。池の中の島にサンゴの化石がみられます。
もう1つは、手水石です。
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分かりづらいですが、水盤の下に人魚が居ます。

社殿の背後にある山腹には、社殿改築のために何基か潰されていますが、古墳時代の横穴墓38基が
あり、東山横穴群と呼ばれています。
ここには、多くの歴史がある場所なんですね。

南条八幡神社を後にして、姫塚へ。
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福生寺にあった、五輪塔はもとは、ここにあったと言われています。
里見義豊の夫人で、南条城主の鳥山左近大夫時貞の娘だったと伝えられています。天文の乱で、夫義豊
の討死を聞いた正室が自害して葬られたという伝承がある場所です。
聞いた話によると、姫だっただけあって、「お墓に、化粧道具を入れてほしいと」言ったそうです。

最後は、観音寺です。
境内にある法界満霊塔は、館山の名工、俵光石の作で、六角中の塔に地獄絵が細かく刻まれています。
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今回は、距離的には、10㎞と長い距離でしたが、天気に恵まれて楽しく歩いていただけたかと・・・
次回のウォーキングは、12月8日(日)城跡シリーズ「大津の里と宮本城」です。
お待ちしております。

月イチツアー「幻の鉄道トンネルを探す」報告

今回の月イチウォーキングはとてもいい天気に恵まれ、ウォーキング日和でした。
同じ日に、館山・南房総では、イベントが盛りだくさんで、イベント関係者もこんな
良い天気でほっとしていたかと・・・

今回のコースは、豊受神社を出発していきます。
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豊受神社の祭神は豊受大神です。

裏路を歩き、山の神さまへ。
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ここには、言い伝えがある場所なんです。

車1台通れる道を歩いて幻の鉄道トンネルへ行きます。
前回のガイドの独り事で少し説明しましたが、この鉄道トンネルは、大正17年(1918)
に開通した、全長736mの鉄道用トンネルです。
大正12年(1923)の関東大震災で中央部分約244mが土砂に埋まり、トンネル内に
大小の亀裂や変形が生じました。その後、修復され11月に一旦復旧しましたが、大正15年
(1926)に新ルートを走る事になり廃止されました。
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レンガ造りのいい感じのトンネルです。現在は、水が溜まり中には入れない状態です。
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次に目指すは、七面山へ。
途中に珍しい、消防用用水の川止用水をみました。
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ここもなかなかいい雰囲気の場所です。

七面山は、むかし浅間山と呼ばれていましたが、のちに領主の雨乞いの祈祷料として山林を
奉献し七面堂が建立されました。七面堂には、木造七面大天女が祀られています。

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222段の急な階段を登れば早いのですが、今回は、迂回して坂道で登っていきます。
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けっこう坂道も大変です。

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奥の院と御堂です。
この七面大天女は、こんな伝説があります。
日蓮が身延の谷で弟子や信者に説法をしていると、その中に妖しげな美女がいました。日蓮は、読経や
法話をするたびにその女性が度々現れていた事を知っていました。その女性に向かって、「皆が不思議
に思っています。あなたの本当の姿を皆に見せてあげなさい」と言いました。すると、女性は笑みを湛
え「お水を少し賜りとう存じます」と答えると、日蓮は傍らにあった水差しの水を一滴、その女性に落
としました。すると今まで美しい姿をしていた女性は、たちまち緋色の鮮やかな紅龍の姿に変じて仰った。
「私は七面山に住む七面大明神です。身延山の裏鬼門をおさえて、身延一帯を守っております。末法の
時代に法華経を修め広める方々を末代まで守護し、その苦しみを除き心の安らぎと満足を与えます」と。
そう言い終えるや否や、七面山山頂の方へと天高く飛んで行きました。
依頼、日蓮宗の守護神とされて祀られています。

七面山を下山し、妙福寺へ。
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妙福寺は、日蓮が、建長5年(1253)、鎌倉に向かう途中、嵐で足止めを余儀なくされ、近くの岬に
登って一心に祈願すると嵐が治まりました。並みの僧ではないと感じたこの地の泉沢権頭太郎は、自宅に
招いて世話をしたと伝えられています。その後、日蓮は鎌倉に入り熱心に布教活動をしますが、幾たびの
迫害を受けました。父の墓参りと病身の母の見舞いに故郷小湊へ戻った時、以前鎌倉への渡海で世話にな
った泉沢家に立ち寄ると、老母に「妙福」の法号を授けました。太郎が弘安2年(1297)に身延山へ
日蓮を訪ねると、投宿した泉沢家で老母が衣を洗ったといに裸で読経した自分の姿を弟子日法に彫刻させ
た挫像とお題目の掛け軸を下さったので、お堂を建てて安置しました。その後、日念上人が来山して、妙
福寺として、現在に至ってます。

残すは、朝日地蔵堂へ。
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いぼとり地蔵と言われています。噂では、ここのお地蔵さんの前で、悪口を言ったら体中にイボが出来た
という話が残っています。以前は、イボとりで地域の信仰があったのですが、現在は、こんな感じになって
います。ちょっとかわいそうな感じです。

今回は、南房総市南無谷地区を散策してきました。
次回は、12月1日に館山市の豊房地区を散策します。是非ご参加下さい。

下見三昧

館山・南房総もそれなりに寒くなってきましたが、山道を歩くには、良い季節です。
先週は、11月・12月の月イチツアーの下見に出かけてきました。
下見は、お客様をお連れするのに大切な事なんですねぇ~。コースの確認とか
いろいろと・・・・
今回は、2コースとも天気が良くて本当にウォーキング日和でした。

11月の月イチツアーは「幻の鉄道トンネルを探す」と題してのコースで、
南房総市富浦町南無谷エリアをウォーキングします。
幻のトンネルというのは、内房線の鉄道廃隧道で、大正7年に開通し、大正12年
の関東大震災で中央部分が土砂に埋まってしまいました。一旦復旧しましたが、
大正15年から内房線は新ルートを走る事になり、使われなくなってしまった
トンネルです。

そこまで行く途中に、地域のお地蔵さんや神社を見学し自然を楽しみながら歩きます。
コースの途中で気になる物を撮ってみました。

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この周辺にはビワ山があるので、ビワを山から運びだす為に使っている物だとおもいます。

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ジンジャー。英名ではジンジャ-リリーというお花です。下見の時に、農家のおばあちゃん
に花の事を聞いたら、「昔は男の人が言うには、花魁の匂いがすると言ってたよ」との事。
花魁の匂いってどんなの?って嗅いでみたら、甘い優しい匂いがしました。

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これは、天然のきくらげです。きくらげに似た物も山にはあるので、気を付けましょう。

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蘇鉄の実です。ちょっとグロテスクです。

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昼食予定場所の七面山からの景色。景色もごちそうです。

12月の月イチツアーは「里山の隠れた石仏を探訪」です。館山市豊房地区を歩きます。
このコースは、石仏を見に行くコースです。なぜ?こんなところに?というような場所
に石仏があります。今はなぜ?こんなところに?なんでしょうけど、昔は、街道だったり
する場所なんです。

コースの一部を写真で紹介します。
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山荻神社からの景色です。城山と富士山が見える場所です。

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味わいのある道を歩きます。時代劇に出てきそうな道です。

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お寺さんに向かう道は、のどかな道です。

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また旅倶楽部恒例の墓石チャック。石に書かれている文字を読んだりしてます。

今回のガイドの独り事は、メインになる写真を載せませんでした。(←作戦です)
是非、一緒に本物を見に行きましょう!!
☆11月の月イチツアーは11月23日(土)9:30~
 集合場所は、豊受神社(パンフレットには金光寺でしたが、変更になりました)
☆12月の月イチツアーは12月1日(日)9:30~
 集合場所は、豊房公民館
※事前予約になります。詳しくは、お電話下さい。(TEL:0470-28-5086)

お待ちしております。

城跡シリーズ「滝田城」編報告

だんだんと南房総にも冬がやってきました。
先日の日曜日、城跡シリーズ「滝田城」を歩いてきましたので報告します。
前もって言っておきますが、カメラを忘れてしまいスマホでの撮影です(汗)
あまりきれいに撮れてないことをお許し下さい。

滝田城は、標高140mの山城で、築城は、定かではないですが、三芳村史(現南房総市)
によれば、稲村城が文明18年(1486)6月に着工し、延徳3年(1491)に完成し、里見本城
となりました。その支城として間もなく、大津宮本城と滝田城が築かれたと書いてあります。
本城稲村城のある安房中枢部へのおさえとして、また上総への進出の拠点として、里見氏に
とっては重要な意味を持つ城だったと考えられます。
城主は、一色九郎といわれています。この人はもとは鎌倉公方足利氏に仕えていた一色氏の
一族で、安房にあった足利氏の所領を管理していたと考えられています。そして、里見氏が
安房の国主となってから、従うようになったと思われます。
その後、里見氏の跡目争いみたいな事がありまして(天文の内乱)で里見義豊が里見義堯に
負けて、その時滝田城は落城し、一色九郎は、義堯側によって処断さてました。1年後、里
見義豊は、上総から反撃に転じ、滝田城に近い犬掛において義堯軍と遭遇し激しい戦となり
ました。義豊は討死し、義堯軍の勝利となってこの戦は終結し、この滝田城は、前期里見氏
の終焉の地であり、また後期里見氏の出発地という意味のあるお城なんだそうです。

駐車場から根小屋を通り、大手から登っていきます。
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馬場を通り物見台へ。
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物見台からは、ちょっと木々が邪魔をしていますが、主要の古道が見える場所に
なっています。

その後、空堀、腰曲輪、溜井、虎口、武者留などを見て二の丸を目指します。
途中、涙滝というのがありました。
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この涙滝は、城の内側へ爪で鋭く切り崩されたように食い込み、滝のように垂直に下へ落ち
込んでいる場所です。伝承によれば、一色九郎が、義堯軍に追い込まれ、滝田城を最後と決
めて立て籠もり、力の限り戦いましたが、残念ながら敗れ、一色九郎は、「もやはこれまで」
と部下に別れを告げ、いさぎよくこの深い谷底に身をなげ討死しました。家来は、その哀れな
姿に、涙を流して悲しんだといいます。

二の丸から主郭部へ。
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(最悪な写真ですみません)

主郭部には、礎石が残されています。
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本丸るより少し登ると櫓台(八幡台)へ。送電線の鉄塔がドンっと立っていますが、景色は
いい場所です。送電線の近くに小さな祠が立っていて、八幡宮と彫られています。
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櫓台から降りて行きます。
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結構急な階段なので、ゆっくりおります。

ほんの少し行くと、大津宮本城に連結している尾根道があります。
尾根伝いですが、3㎞ほどで宮本城へ行けるそうですが、現在は、道があれているので、
難しい状態です。
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尾根道を通り、遠見台へ。
ここには、「南総里見八犬伝」の舞台出発の地ということで、平成6年に天守閣をイメージ
した望楼(展望塔)があります。
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少しギシギシ感がありますが、展望はいい場所です。当日は、あまりよくない天気でした
ので、イマイチでしたが・・・

里見八犬伝発祥の地という事もあり、伏姫翔天の図というオブジェがあります。
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伏姫が妖犬八房に乗って、天を翔る姿だそうです。

滝田城跡を下り、その周辺を散策。
滝田の青墓。
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里見義豊を稲村城へ逃がすために岡本四郎兵衛頼重は踏み止まって正木大膳と戦い戦死
しました。後日その場所に供養塔が建てられた。滝田の青墓と言われ今でも子孫が供養
しているそうです。

真名板岩
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源頼朝伝説の1つです。頼朝一行は、昼食時に大きな岩の当りで昼食と休憩をとる事し
ました。そこは、平群川と増間川の合流する地点の高台で、川流の眺めもよく見渡せる
場所でした。真平らな岩だったので、頼朝の家来たちはその大岩の上で調理をして食事
をとり、上総に駒を進めました。その後、後世の村人たちは、この大岩を「俎岩(まな
いたいわ)=真名板岩」と呼ぶようになりったという場所です。

真名板岩から少し行くと、少し小高い場所に十三塚があります。
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里見義豊の家臣、安西左京・山本清六・宇間藤内・早川権之丞・御子神内蔵介・角田忠蔵
・福原信濃守ら十三人の墓だと言われています。今でも土地の方が供養しています。方が
供養しているそうです。

十三塚からの滝田城。
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最後は龍喜寺(高月城跡)へ。
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里見義通が創建した天笑院が、義豊の法号の高巌院に名を替え、のち現在地に移転して龍喜寺
になったという。曹洞宗。高月城という城跡に建っている。天笑院は義通の法号と同じ。

ここで、雲行きがあやしく雨も降ってきたので、今回は終了しました。
神奈川県綾瀬市から来て下さった方がいらっしゃいまして、都会の方に、少しまた旅倶楽部
の名前が届いて行ったと思うとうれしいです。

次回は、11月23日月イチツアー「幻のトンネルを探す」を行います。是非ご参加下さい。

特別企画「日蓮聖人の足跡をたどるツアー」報告

特別企画 日蓮聖人の足跡をたどる「小松原法難750年霊場六ヶ寺巡り」
を、10月31日に開催しました。
いつもは、ウォーキングツアーがメインなんですが、今回は特別企画としてバスを
使ったツアーを初企画しました。
最初は、集まるかどうか心配していましたが、地元新聞に掲載してもらったおかげ
で、すぐに定員に達してしました。

日蓮宗にとっては、この小松原法難750年というのは、大事な行事の1つになって
いますので、全国各地から小松原法難の舞台となった鏡忍寺にお参りに来る方が、
沢山いらっしゃいます。当日も、鏡忍寺にはバスが3台入ってきていました。
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今回のコースは、蓮華寺ー鏡忍寺ー掛松寺ー多聞寺ー日澄寺ー日蓮寺ー妙蓮寺ー誕生寺の
8ヶ寺を巡ってきました。
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お客様、スタッフ含めて総勢50名でしたので大変な事に・・・この写真は、蓮華寺の疵洗い
井戸前でガイド中。ガイドが見えない状態です。

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鏡忍寺の降神の槙。この槙の木の上から鬼子母神が現れ、日蓮聖人は難を逃れたとされる槙の木です。

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掛松寺の日蓮聖人袈裟掛け松跡。(4代目です)
鏡忍寺から約1㎞歩いて行きます。バスが入らないところなので、みなさんに少し運動してもらい
ました。

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多聞寺の本堂の前。

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日澄寺でご住職がいらっしゃったので、お話しをお聞きました。白い布の紐は、日蓮聖人と
工藤吉隆公の手に繋がっているので、紐を握る事で、二人と握手出来るそうです。

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日蓮寺もバスが入らないので、約0.6キロの緩やかな坂を上り、208段の階段を登って
お参りしました。
普段、ご住職はいすみ市の本迹寺の方にいらっしゃるのですが、今日は日蓮寺に来て
下さり、ご住職のご説法をお聞かせいただきました。
それだけでもありがたいのに、奥様と寺守さんが、お茶とお菓子までご用意いただき感謝です。
普段は、寺守さんがいらっしゃいます。すごく親切なお寺さんです。

小松原法難に関係する6ヶ寺はここまでですが、近くまで来たのに行かない訳にはという
事で、日蓮聖人のご両親の菩提寺の妙蓮寺へ、日蓮寺から歩いてお参りに行きました。
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この後ろの扉の奥に、ご両親のお墓があります。今回はご住職の御計らいで、中を見せて
いただけました。

このツアー最後は、誕生寺です。
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自由散策という事で、みなさん境内や、近くにある足湯で過ごしました。

いろいろバタバタしましたが、ご参加いただいたみなさまのお蔭で無事終わる事ができました。
各お寺さんのご協力には、感謝しきれないくらいです。ありがとうございます。
また、南房総の道は狭いという中、バス会社の運転手さんには、わがまま言って狭い道を通って
いただきありがとうございます。

11月に入り小松原法難の11月11日までに、全国各地から日蓮宗のみなさんがこの南房総に
来られます。日蓮宗ではない方も、日蓮聖人の足跡が残るお寺さんを巡ってはいかがでしょうか?

※お寺の情報は、ガイドの独り事の9月2日・10日をご覧ください。

里見まつり

10月19日20日と里見まつりが開催されました。
19日は、北条海岸をメイン会場に、武者行列や合戦絵巻・山車・御船・屋台・神輿など
のお披露目が行われました。。
20日は、城山公園を会場に、ご当地グルメ・物産まつりが開催されました。

という感じですが、19日は、小雨が降ったりやんだり、20日は大雨・洪水
警報が発表されたりと・・・天気に恵まれなかった2日間となりました。

これを書いている私は、19日は自分の地区の方の山車・御船に参加してしたので、
写真を家族にお願いしたところ、見てみるとセンスのなさにビックリでした。
「あちゃ~」って感じです。
中でもまともなのを紹介します。
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武者行列の様子です。

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ワンちゃん達もパレードに参加中。

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今年のメインは乃木坂46高山一実さん(館山市の高校に通っていた縁で)が、伏姫で登場しました。

会場の中では、おさるさんが・・・
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さくらちゃんと言って、「天才志村どうぶつ園」でDAIGOさんと一緒に旅をしていた
おさるさんなんだそうです。

と。。。。私の家族が撮ってきた写真の半分近くは、おさるさんなのですが・・・・
すべて、ちゃんと撮れてないのです(泣)
本当にろくな写真がないので、今日のガイドの独り事はこのあたりで終わらせていただきます。
本当に申し訳ありません。
詳しくは、館山市観光協会のHPから南総里見まつりへ行ってみて下さい。

月イチツアー「古代祭祀の聖地宮下莫越山」報告

昨日、10月14日月イチツアー「古代祭祀の聖地宮下莫越山」を開催しました。
天気にも恵まれ、10月中旬というのに、少し暑いウォーキングになりました。

莫越山神社は、前日、お祭りをやっていた事もあり、大きな旗がまだ建てられいました。
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コースはと言いますと、永野台古墳ー端岩寺ー莫越山神社ー高雲寺ー奥の院ー八雲神社ー
月崎神社ーうなぎ棒ー莫越山神社というコースです。
この南房総市丸山町宮下莫越山神社周辺の地名には、神社に関係する地名が残っています。
また、古代の祭祀遺跡が周辺に点在することから、古くからの信仰があった場所になります。

いろいろありまして・・・前半の写真が撮れていないので・・・・
莫越山神社から・・・
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別称、渡度神社で祭神は手置帆負命(たおきほおいみこと)と彦狭知命(ひこさしのみこと)
で開拓に来た小民命(こたみのみこと)と御道命(おみちのみこと)が祖神を祀った。
渡度山は奈良の巨勢山(こせやま)に似た神奈備式の山容をご神体として祭祀がおこなわれ、
後に社の造営が行われたと思われます。

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莫越山神社の参道にある永夜燈は、弘化2年(1845)に奉納されたもので、高さ3.1mの1対の
石灯籠です。中台四面には、麒麟・鳳凰、竿には龍、格挟間の四面には唐獅子が浮彫りされて、
精巧な彫刻が施されています。市指定文化財になっています。

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高雲神社です。莫越山神社の別当寺です。少し後ろに見える山が渡度山です。

渡度山は、まんまる山なので、かなり急な山道を登って奥の院へ向かいます。
途中に勝軍地蔵があります。少し珍しいお地蔵さんです。
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地蔵菩薩のひとつで、これに念じれば、戦いに勝ち、宿業・飢饉などを免れるといわれ、鎌倉時代
以降に武家に信仰されました。甲冑を身に着け、武器を持った姿をしています。

渡度山頂上には、莫越山神社の奥の院がります。ここまで登ってくるのは、大変ですが、人を
寄せ付けないような感じで、パワースポットになりそうです。
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裏側へ出て八雲神社へ。
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3基の御神輿が飾ってあります。

次は、月崎神社へ。ここは、もうかなりさびれた神社で(地元の方すみません)、神社辞典にも
載っていない神社です。
少し面白写真が撮れたので載せますが・・・
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神社の下にあった屋根が付いたお宮です。邪鬼なのか・・・お寺だったとおもわれる痕跡もあって
不明な場所です。

うなぎ棒をみて、莫越山神社に到着です。

途中でみつけた物を少し・・・
白式部
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からすうりの中から、うちでの小づちが出てきました。
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わかりづらいかと思いますので、からすうりを見つけたら、割って種を綺麗に洗ってみて下さい。
小づちがでてきます。

灯篭にカエル
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秋を感じながらのウォーキングは、ここちよう疲れで終了しました。
次回は、11月10日城跡シリーズ滝田城です。是非ご参加下さい。

城跡シリーズ 白浜城編報告

9月29日城跡シリーズ白浜城を開催しました。
天気にも恵まれとてもいいウォーキングが出来ました。

集合場所は、JRバス安房白浜駅の裏手に集合。
山に登るので準備体操を・・・
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途中に石仏がありみなさん興味深く見ていました。
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太子堂へ。
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聖徳太子を御立像を本尊としており、地域のみなさんが大切に信仰しています。

白浜城へ登っていきます。
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少しきついですが・・・ゆっくり登れば大丈夫です。

展望台からの景色は、登ってきて疲れを吹き飛ばしてくれます。
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尾根を通って杖珠院を目指します。
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途中の木の葉にはこんな生物が・・・
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じぇじぇじぇ!!なんじゃこりゃ~
かなりの量が、葉の裏に・・・・

こんな石仏も
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馬頭観音です。この道を馬が通ってたんですね。

こんな木も・・・
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風で倒れたのか・・・古道を通るといろいろ発見できます。
途中、滑りやすいところがあり、ロープを伝って歩くので、
ちょっと登山した気持ちになりました。
山を下りてきて、山裾にある神社仏閣を巡り、かえってきました。

天気がよく最高のウォーキングになりました。

安房の偉人 日蓮聖人(千光山清澄寺)

いよいよ小松原法難750年、特別企画の調整が進んできました。
特別企画ツアーの中には、入っていないのですが、立教開宗をしたお寺を少し紹介します。

千光山清澄寺(せんこうざんせいちょうじ)日蓮宗大本山
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(仁王門)
神武天皇の御代、此処に天富命を奉祀したのに始まります。山号寺号の由来は、山の上に清く澄んだ
池があって、長雨の時でも濁らないことから「清澄」と名付け、池の側の大きな柏の木が夜な夜な光
を放つので「千光」と名付けられたそうです。
宝亀2年(771)一人の法師が、千光を発する柏の木で「虚空蔵菩薩」の仏像をほり、その仏像の
前で21日間修行した事に始まります。その法師は、修行がおわってから誰にも知れず立ち去ってし
まったので、「不思議法師」と名付けられました。
承和3年(836)、天台宗比叡山延暦寺の中興の祖慈覚大師円仁師がこの地を訪ね、その仏像の前
で21日間の修行をしました。それ以来、天台宗のお寺となり次第に栄えていきました。
ところが、室町~江戸期に度重なる火災と戦により衰退と復興を繰り返し、大正期に入り日蓮聖人の
銅像が完成したことで、お参りの信者が増え、真言宗智山派と日蓮宗との間で改宗の話し合いがもた
れ、昭和24年日蓮宗に改宗し、宗門直轄の大本山となりました。

では、少し境内の中をご紹介します。
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本堂・・・摩尼殿(まにでん)と称し、天和2年(1682)の完成。中央宮殿には「曼荼羅御本尊」が
勧請され、その前には、天端和尚作「虚空蔵菩薩像」を安置しています。

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祖師堂・・・昭和46年落慶。正面に安置されている日蓮聖人像は、徳川家康公の側室であったお万
の方の奉納と伝えられています。(写真がボケててすみません。)

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中門・・・正保4年(1647)建立。二度ほど改修されていますが、当時の姿を残しています。
千葉県指定有形文化財です。

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庫裡・・・正保4年(1647)建立。桃山風造りで釘が1本も使われていません。

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鎮火牛・・・「ひぶせのうし」と呼ばれ、庫裡の土間に入った右手にあります。昔、この山には火事
が多くお寺は何度も全焼しました。これを耳にした旅の匠が火が鎮まることをいのりながら彫った一
刀彫りの牛をお寺に奉納したところ、それ以来、山から火事はでなくなりました。左甚五郎と伝えら
れ、虚空蔵菩薩が丑寅の守り本尊であることから牛を彫ったそうです。左甚五郎の作には、日光の「
眠り猫」があります。

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日蓮聖人銅像・・・大正12年8月30日建立。渡辺長男氏の力作で、立教開宗の聖人を力強く表して
います。

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千年杉・・・大正13年に国の天然記念物に指定されました。高さが約47メートル、幹周りは約15メートル
あり、樹齢およそ800年といわれています。昭和29年に発生した台風により、並んで立っていたもう一本の
大杉が倒れ、現在残っている大杉の南側の枝を落としてしまいました。

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凡血の笹・・・日蓮聖人は16歳で出家し、虚空蔵菩薩に「日本第一の知者となし給え」という願をかけ、
21日間の断食行を行いました。満願の日にお堂から出てきた日蓮聖人が吐かれた血が笹の葉に飛び散り、
今でも葉には黒い斑点があります。人々は「いらなくなった凡人の血を吐かれたのだ」と考え『ぼんけ
つのささ』と呼ぶようになったそうです。

ここが、日蓮聖人の原点になる場所なんです。立教開宗の後、東条景信に追われ花房の蓮花寺へ行き、
その後、鎌倉へ渡ます。10数年後、母の見舞いに来た時も蓮花寺により、そこから、工藤吉隆邸に
向かう時に、法難に遭いました。
まだまだ、安房に残した日蓮聖人の足跡がありますので、取材次第報告します。