お散歩ツアー「曽呂地区歴史探訪」報告

6月も後半です。館山・南房総も梅雨入りしています。雨が降ると嫌な気分になりますが、雨がないと困りますから我慢しないといけませんね。でも大雨だけは勘弁してほしいものです。

さて、5月のお散歩ツアー「曽呂地区歴史探訪」を予定していた日が雨でしたので1日ずらして開催しました。
「曽呂」は鴨川市にある地区です。「曽呂」という地名の由来は、昔、寺院が多く建てられ、僧侶も多く棲んでいたので、人々は僧侶を敬って僧侶の人偏をとって「曽呂」と名付けたと伝わっています。現在曽呂地区には、13軒のお寺があります。今回は、その一部を巡ってきました。

出発地点は、曽呂郵便局の隣にあるJA安房さんの倉庫の敷地をお借りして出発です。

最初は金光寺。

曹洞宗の寺院で本尊は十一面観世音菩薩。社寺明細帳には、天正元年(1573)12月の創建とあります。由緒は不明です。
本尊の十一面観世音菩薩は、衆生がその名を唱える声を聞き、慈悲の心をもって人々の願いを満足させる仏として広く信仰されています。こちらの現在の檀家数は30軒ほどだそうです。

次は宝昌院へ

曹洞宗の寺院で、本尊は十一面観世音菩薩。長狭郡南部における曹洞宗の地方小本寺としての寺格を持つ寺院でした。曽呂地区の東善寺・慈眼寺・神宮寺・林秀院・地済院・宝寿寺・東福寺・宝泉寺・宝寿院の曹洞宗九か寺を末寺としていました。宝昌院の本寺は三芳本織の延命寺です。創建は永禄元年(1558)と言われています。由緒については、不明な点が多くありますが、曽呂村役場が大正年間(1912~1926)に村内の寺社について、名所や本尊・祭神・由緒なろをまとめた「社寺明細帳」には、「創立は永禄元年(1558)」と書かれています。永禄元年は木下藤吉郎が織田信長に仕えたと伝えられる年で、信長が今川義元を撃ち破った桶狭間の戦いの2年前のことです。

ここは、三井ダイレクト損保のCMセカンドライフ編の撮影に使用されたそうです。なかなかの景色でした。

次は八雲神社へ

祭神は須佐之男命。享禄年間(1528~1531)に武州(武蔵国)から勧請したと言われています。
江戸時代から伝わる伝統行事「牛洗い」が6月の第一日曜日に行われています。
「牛洗い」は神社に安置されている白い陶製の「白牛」(全長44cm)を神社から約200m先の曽呂川へ、役員を先頭に歩き川のほとりで、ササの葉を使って丁寧に水で清めるという珍しい行事です。かつてこの地域に広がる幕府直轄の嶺岡牧には牛や馬が放牧されていて、酪農発祥の地でもあります。地元では白牛から徳川吉宗との関係があるのではないか?と言われていて、また6月7日まで牛の背中を汚すなとも言われていました。牛は農耕牛として農家にとって大切なもので、この神事は農耕牛に感謝しながら川で洗うことで、牛の無病息災や豊作、家内安全を祈るものです。

本殿脇には、庚申塔があり鴨川の石造物百選になります。

三猿と二鶏を大きく表現した庚申塔です。上部に瑞雲上の日月、中段に二鶏、下段には三猿が行儀よく正面を向いて並んでいます。貞享改元天拾月吉祥日となっています。銘文には「奉請山王供養成就者也」「願主江中講仲間敬白」と解読できます。
銘文から山王系の庚申塔と判断できます。

次は、林浄院へ

真言宗の寺院で、本尊は不動明王。創建・由緒不明です。南房総市千倉町の円蔵院の末寺です。現在は、寺守さんが住んでいます。

次は地済院へ。

曹洞宗の陣で、本尊は聖観世音菩薩。創建は延享2年(1745)です。
境内には、三嶋天神が祀られています。

こちらにも鴨川の石造物百選に選ばれている地蔵菩薩があります。

二体の地蔵尊が祀られていますが、一体は近世の地蔵尊で、もう一体が石造物百選に選ばれている地蔵尊(左)です。
石材は蛇紋岩、舟光背型に成形さらた正面に、地蔵菩薩坐像が浮彫りされています。面立ちは目をかるく閉じ、口元をややすぼめたユニークな表情をしています。記年銘は確認できませんが、15世紀前半(室町時代中期)の作と考えられます。

あとは、出発地点へと戻ります。最初に曽呂の名の由来をお話しましたが、お寺はまだまだあります。今回は、4カ所ですが、曽呂川を挟んだ場所にも多くあります。無住の所も多いのですが・・・・地元の方の話では、戦時中、お寺を借りて疎開していた人も居たそうです。新緑を楽しみながら、無事に終わりました。

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