月イチツアー「国札観音巡礼参り」報告

師走ですね。なんだか師走という感じではないのですが・・・台風の被害から3か月がたちましたが、まだまだブルーの屋根が目立ちます。また旅倶楽部の事務所も、まだブルーのままなんですが・・・頑張って修理費を捻出しないとダメな状態です。なんせ、予約がキャンセルになってしまいましたからねぇ~。まだまだ、頭が痛い日々が続きます。
っと嘆いていては前に進まないので、新しい年に向けて、頑張って行こうと思います。

12月の月イチツアー「国札観音巡礼参り」を先日開催しましたので、報告します。
集合場所は、当初予定していた延命寺さんが台風被害の対応で檀家さんたちが集まるとの事でしたので、宝珠院のご住職さんのご厚意で駐車場を借りる事ができました。ご住職さんは、崖観音大福寺のご住職さんで私の恩師でもあります。

スタート地点の宝珠院です。

新義真言宗の寺院で、金剛山神明房神護寺宝珠院といいます。京都の智積院末寺で、本尊は地蔵菩薩。創建は応永11年(1404)です。江戸時代は安房国真言宗寺院の触頭としての地位にあり、安房国内223カ寺を統括していました。また談林所として安房国真言宗唯一の学問所でもありました。大正12年(1923)の関東大震災で山内諸堂が倒壊し、多くの寺宝を失ってしまいました。
昔の絵図を見ると、参道には仁王門や、林光院・徳蔵院・本覚院・西光院などの堂宇が立ち並んでいます。

観音堂は、今回の台風により大変な被害があり、向かって右側にある清瀧権現堂も傾いてしまっています。

観音堂は、安房国札観音巡礼23番札所で、十一面観音菩薩(鎌倉時代・徳治2年(1307))が本尊です。伝わっているのは、妙光尼(宥伝の母)は応永11年(1404)に行基菩薩作と伝えられる十一面観音を奉安する一寺を創建したと言われています。この観音様の管理は、林光院から西光院、宝珠院へと移っていきました。現在のお堂は、関東大震災で倒壊した仁王門の二階部分を用いて昭和8年に再建したものです。御詠歌は「あま寺へ 参るわがみも たのもしや はなのお寺を 見るにつけても」 このあま寺は、元の西光院が尼寺だったからです。

欄間の龍は、寛政2年(1790)「初代波の伊八」の作です。

お堂の中には、天正16年(1588)に里見義康が奉納した木造不動明王坐像もありましたが、現在は、本堂の方に仏様たちは避難しています。

観音堂の前にあった石造地蔵尊です。

台風被害で、折れてしまっていました。

壊れてしまった地蔵尊の隣には、岡本左京亮頼元の逆修塔があります。

岡本左京亮頼助は、里見義頼・義康に仕えた人物で、天正16,7(1588,9)年頃、岡本城で出火があった時の責任で出仕を停止させられたことがあります。逆修とは、生前にあらかじめ自分のために仏事を修して死後の冥福を祈ることで、慶長11年(1606)に建てたものです。

本堂の前には閼伽井があります。

お寺の名前の由来する伝承があります。永享年間に、開山宥伝が閼伽井の水を汲んだ際、水面に「宝珠」に二文字が現れたことから、実乗院と名乗っていましたが、宝珠院に改めたといいます。

参道入口の所に、石造地蔵尊があります。

明治11年(1878)に建立されたものです。半跏の地蔵尊で、台座には、賽の河原の様子が彫られていて、開眼導師は金剛宥性だそうです。金剛宥性は、房州長狭郡大山村の出身で、京都醍醐寺の三宝院住職。明治5年(1872)、安房に地蔵菩薩の札所霊場108か所を開き、すべての寺へ御詠歌の額を奉納しています。宝珠院は百八箇所地蔵の第一番になります。

宝珠院の参道を出てすぐの場所に、元八幡神社があります。

安房国府が府中周辺にあったころ、安房国の総社とされる鶴谷八幡宮がこの場所にあったと伝えられています。そのため元八幡神社と称しています。毎年「やわたのまち」のときには、ここの井戸で水を汲むことから祭りが始まっていて、八幡宮にとって由緒ある場所です。

次は、延命寺へ。

曹洞宗の寺院で、長谷山延命寺といいます。本尊は虚空蔵菩薩。里見実堯を開基として10代忠義までの後期里見氏の菩提寺です。慶長年間には里見氏から寺領を与えられ、その後徳川家からも保護されてきた安房曹洞宗の中心的なお寺です。観音堂の十一面観音像はもと平尾山大通寺の本尊で、裏山にあったといいます。安房国三十四観音巡礼の24番札所です。御詠歌は「平尾山 のぼりてみれば うどの原 出世はここに 七夕の」です。

次は、普門院へ。

真言宗の寺院で、日照山普門院といいます。本尊は不動明王。
境内の延命地蔵半跏像は「十方檀那法界萬霊塔」で文化11年に世話人光明講中によって建てられたものです。

石工は「當村 石巧 武田産 秀治」とあります。武田石翁が秀治と名乗っていたころのものです。

次の熊野神社に向かう途中には石仏があります。

民家の生垣の所に馬頭観音と如意輪観音がひっそりとあります。


曲がり角にも少し大きなお地蔵さんもいます。

熊野神社です。

祭神は須佐之男命。昭和39年に本織神社に合祀されました。
境内南東端に風化が激しい一面四臂の青面金剛像があります。

石工は「當村 石工 周治」とあり、普門院と同じ、石翁が周治と名乗っていた時のものです。武田石翁はいろいろと名前を使っています。周治・小瀧周治・秀治・壽秀・石翁と変え、多彩な趣味にいそしみ号を是房・壽秀・天然齋・天然道人・鯉石・石翁などと称しました。

横峯堂の前を通り新御堂跡へ。

那古時を始めとした安房国札観音巡礼の2番で、那古寺より正木の諏訪神社の山を越え青木根の中腹にある墓地が新御堂の跡で、御詠歌では「にいみどう 見上げて見れば 峯の松 くびこい鶴(汲み超えつる)に亀井戸の水」と詠われています。
文化年間に起きた火災までは、お堂へかぶるように峯の松があったと伝えられています。跡地には、正徳4年(1714)の石造智蔵菩薩立像があります。また「人も見ぬ 春や鏡の 裏の梅」と鏡ケ浦を詠んだ芭蕉の句碑があります。宝暦11年(1761)のものがあったのですが、建て替えられてしまっています。

山裾には、亀井戸があります。

亀井戸が亀ヶ原の地名の由来と言われています。

亀ヶ原八幡神社へ向かうところの辻にある六地蔵です。

正徳4年(1714)に建て替えられたものだそうです。その前には宗春という人物が建てたものがあったと刻まれています。

次は亀ヶ原八幡神社へ。

祭神は誉田別命。創建は室町時代の文明年間(1469~1487)と伝えられ、江戸時代初期の元和6年(1620)に再建したときの棟札が残されています。境内には、四十八貫目(180㎏)と刻んだ力石や文化10年(1813)の手水石、文政11年(1828)の燈籠があります。

隣にある新御堂へ。

元々は、秀満院の境内でしたが、秀満が関東大震災で倒壊したため、青木根の中腹にあった新御堂が昭和42年(1967)に移転してきました。安房国札観音巡礼2番で、本尊は聖観音立像です。堂内には明治3年に作られた大黒天像が祀られています。

宝篋印塔は明和5年(1768)のものです。

次は六所神社です。

古代国府に付随しておかれたもので、国内の主要な神社の神を国府に集めて祀ったものをいいます。ここも安房国府に関連した六所神社と考えられているそうです。
本殿の向かって左脇には、クジラの骨を祀った祠があり???前回のウォーキングでお参りした際には祠があったのですが、台風被害で祠が倒壊してしまったようです。拝殿も被害があり、支えられています。
以前のクジラの祠の写真をどうぞ・・

祠に入っていたクジラの骨は、拝殿の中に入っていました。

拝殿も開いていて不用心だなぁ~なんて思いました。最近は、神社仏閣での泥棒被害があるので、気を付けて下さいね。

田んぼの片隅に石塔があります。

田の中の畔道に複数の中世の石塔の石がまとまって据えられています。五輪塔や宝篋印塔の一部で、地元では里見氏の姫を葬ったものと伝えられています。昔は一段低い田の中にあったそうです。

最後の見学場所、八坂神社へ。

古くは祇園社ともいい、祭神は祇園天神、牛頭天王であり、こと祇園精舎の守護神であるといわれ、また薬師如来の垂迹神ともいわれています。日本的には、素戔嗚尊が祭神であると言われています。祇園の御霊会は6月13日~15日頃、営まれますが、この季節は疫病流行の兆しの見える時でもあり、農村では病虫害に悩まされる時期で、疫病除の神として祇園祭が広く行われてきたそうです。
八坂神社の縁起によると、「往古、白髪の老翁がやってきて、「我は是出雲の国、大社の神官なり、当社の神躰を安房の国、東国府の郷へ安置いたすべすしと、神勅を蒙り、此の地へ来たり」として一つの御箱を里人に給り、「此の魂をこの里に勧請いたすにおいては、此の土あらんかぎりに国人を守護し永く疫癘悪病あるばからず」と申して、白い雉子となって飛び去ったと伝えられています。

拝殿の前にある狛犬です。

この狛犬は石翁作と伝えられています。天保13年(1842)の作で、総高150㎝程です。

今回のウォーキングはここまでになります。八坂神社と出発地点の宝珠院はお隣になります。八坂神社はむかしは宝珠院の子院だった徳蔵院が別当を勤めていました。

お参りさせていただいた神社仏閣ですが、やは台風の被害を受けている所も多くありました。自然の力には逆らえないなぁ~と
思いながら、この古い建物を修復して保存していって欲しいと思います。

今年も1年いろいろな方たちのご協力でなんとかやってこれました。ありがとうございます。
来年もがんばって書いていこうと思っておりますので、よろしくお願いします。
皆さま、良いお年を・・・・

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