月イチツアー「伊八のふるさとを散策」報告

お正月からもう3週間たとうとしています。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

お正月でなまった体にムチを打って、月イチツアー「伊八のふるさとを散策」を開催しました。
当日は、少し風がありましたが、お天気に恵まれたウォーキング日和でした。

出発は、鴨川市総合健康福祉会館(ふれあいセンター)からです。事前に鴨川市に許可もらい
駐車場をお借りしました。

最初に訪れたのは、西条公民館。見学場所ではないのですが、お手洗いを・・・管理人の方が
こころよくお貸しいただき助かりました。ありがとうございます。

今回のコースは、鴨川富士と呼ばれる(鹿野岡山)のすそのをぐるっと周るようなコースです。
最初の見学場所は、宝国寺へ。

真言宗智山派の寺院で天道山と号します。本尊は薬師如来。明治24年に竜蔵院を合併しました。

向拝の彫刻は、4代目伊八・信明の作です。

信明は、文久2年(1862)に生まれ、明治41年(1908)46歳で亡くなりました。

境内には、鴨川市石造物100選に選ばれている、宝篋印塔があります。

普通の宝篋印塔とは違う形をしています。身部に舟形の龕(がん)を作り、ここに仏像を浮彫
してあります。龕は、仏像を治めるための岩壁を堀りくぼめた事をいいます。
塔は2基あり、天正5年(1577)のもので、二字法名と「逆修」の文字が確認できます。
法名は、男女を示していているので夫婦なのかな?と想像できます。
逆修とは、生前供養を意味しています。
天正5年は、織田信長が右大臣になった年で、戦国時代になります。

次は、伊八屋敷跡へ。

案内板には、「波の伊八屋敷・工房跡」とあります。五代まで続いた武志家は、ここ大塚台周辺
一角の地主で、西条小学校西側の現墓地の辺りに屋敷を構えていました。
三代信美は明治初頭に下打墨村の戸長を務めていて、明治7年西条小学校設置の際、戸長として
敷地の一部を学校の敷地として提供したと言われています。現在の体育館の場所だそうです。

次に、大日交差点の所にある金乗院へ。

真言宗智山派の寺院で、山号を金剛山といい本尊は大日如来です。


大日堂は、平安時代に弘法大師ゆかりの大日如来像を安置するために建てられたと言われ、
現在の大日堂は昭和7年(1932)弘法大師一千百年遠忌にたてられたものだそうです。


向拝の竜は安永8年(1779)に初代伊八が28歳の時に作成したものです。

大日堂の中には、「酒仙の図」があります。中におじゃまさせていただきました。

この彫刻には、銘が確認できませんが、向拝の竜と同じ時期に製作されたものと推定できます。
7人の若い仙人たちが、おおきな壷の中にある酒を酌み交わし、陽気に歌い踊るめでたい図です。
大正時代には、彫刻家の高村光雲が大日堂を訪れ、彫刻の秀雅さは、関東では稀であると評したと
いいます。堂内の欄間と向拝は鴨川市指定文化財です。

堂内には五代伊八作の「大黒像」が安置されています。

金乗院の境内には、鴨川市石造物100選が3つありますのでご紹介します。
光明真言塔(子安地蔵刻)

安永7年(1778)の物で、駒形に成形され、上の部分には円形の内側に沿って光明真言が刻まれて
います。下部には子供を抱いた、子安地蔵が浮彫にされていて、光明真言塔ではあまり見かけない
石仏です。子安地蔵の赤ちゃんをよく見ると腕を広げて、お乳の確保をしてる姿が可愛らしです。

庚申塔

石祠型の庚申塔です。延宝2年(1674)のもので、3匹の猿が並んで彫られています。

妙見石祠

比較的新しいもので、明治33年(1900)のものです。安房では珍しい妙見信仰の石造物です。
妙見信仰とは、一般には仏教でいう北辰妙見菩薩に対する信仰をいいますが、その原姿は、道教
における星辰信仰、特に北極星・北斗七星に対する信仰です。
日蓮宗で守護神として妙見菩薩は尊崇されたことが知られ、また武家においては千葉氏及びその
一門の崇敬が有名です。「妙見」とは物事を広く見渡せるほどの優れた視力のことを意味しています。
妙見によって国を広く見渡せることで、危険から守ることが出来るということで、妙見菩薩は国土を
擁護してくれる守り神であるとして、戦国武将を中心に信仰されてきました。

金乗院さんでは、伊八の彫刻を見る事ができますが、大日堂に入るときは、常識ある行動をお願い
します。仏像とかには手を触れないようにお願いします。

さて、次は打墨神社へ。

祭神は大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)。
大日孁貴命は天照大神(あまてらすおおみかみ)の異称です。
大正10年(1921)10月に、字動山にあった宝光神社と字森の下にあった少彦神社を合併し、打墨
神社という名前になりました。
少彦名命は、海の彼方にある常世の国から光輝きながら渡ってきた小人神です。古事記では、天の
羅摩船(かがみぶね)というガガイモの殻の船に乗り、蛾の皮を着て大国主命の前に現れます。
その時、造化三神(そうかのさんしん)の一神カミムスビ神が、「私の手指の間から漏れこぼれ落ち
た子です」といい、わが子のスクナヒコナ命にオオクニヌシ命と義兄弟になって一緒に国づくりをす
すように命じたといいます。日本神話のなかの人気者で、中世の「日本霊異記」の道場法師や近世の
「御伽草子」の一寸法師といった「小さ子」のルーツとされています。ご利益は、国土安寧、
産業開発、漁業・航海守護、病難排除、縁結び、安産・育児守護です。

次は、長狭33観音霊場第1札所の立岩観音へ。
お堂は鴨川富士(鹿野岡山)の北側中腹にあり、旧参道を登って行くと石段が見えます。

けっこう急な階段で、昔の作りなので幅も狭いのでゆっくり登っていきます。


石段を登った先には、立岩観音のお堂があります。本尊は聖観世音菩薩。
堂内には、厨子が二あり、右側の厨子には聖観世音菩薩、左側は阿弥陀如来です。現在は、檀家さん
が保管しているそうで、実際には厨子だけになっています。当初、下見の際に厨子が半開きになって
いて、遠くからでも仏像がないのがわかる状態で、最近は、仏像や彫刻など盗んでしまう人がいるので
心配しましたが、鴨川市の方に確認してもらったらきちんと保管されていて安心しました。
境内には、子安地蔵・馬頭観音・地蔵尊の石仏があります。

江戸時代中期が信仰の最盛期のようで、今は、あまりお参りに来る方が少ないのでしょう。お堂はかなり
傷んでいました。

山を下り、立岩観音の裏側にある薬王堂へ向かいます。
この週末寒波が訪れていたという事もあって日陰の所は、凍ってました。

分かりづらいと思います。ごめんなさい。

薬王院に到着です。

真言宗智山派の寺院で山号は慈永山。本尊は不動明王です。創建や沿革は、資料がとぼしいため明らか
ではありませんが、奈良時代天平年間(729~749)に、行基菩薩の開基といわれています。
上の写真は、薬師堂です。
薬師堂は、安房地域でも数少ない江戸時代初期の建築物で県の有形文化財に指定されています。

本堂の中を少しのぞかせてもらいました。

安永9年(1780)、伊八29歳の時に作成した「竜虎の図」の欄間が飾られています。

次は、日蓮聖人ゆかりの場所、疵洗いの井戸へ。

日蓮聖人が、文永元年(1264)母の見舞いに故郷安房を訪ねた時に、日蓮聖人に恨みをもっていた
地頭の東条景信が率いる集団に小松原の地で襲われ(小松原法難)、九死に一生を得ました。
その時、逃げて疵を癒したとされたのが、蓮華寺と伝えられています。疵を洗ったという井戸は、
鴨川市にあと二つあります。浜荻地区の多聞寺と小湊地区の日蓮寺です。

疵洗いの井戸から少し行くと蓮華寺があります。

日蓮宗の宗門史跡の寺院で、山号を常経山といいます。真言宗智山派の寺院でしたが、廃寺となり、
のちに日蓮宗が寺院を建立しました。お寺を守っている方から縁由をいただいたので、そこから簡単
に説明します。
日蓮聖人が建長5年(1253)清澄山で始めて「南無妙法蓮華経」と唱え、南面堂で法華経の教えを
説きました。それを聞いていた地頭の東条景信は憤怒のあまり聖人を斬ろうとしましたが、幸い
師匠道善坊の取成しで危うきをのがれ、兄弟子浄顕、義浄の案内で裏山づたいにここ西条花房蓮華
寺内の青蓮房に難を避けられました。安房を離れ鎌倉にのぼり、松葉が谷に草庵をむすびました。
その後、伊豆に流罪されるなど諸難にあい、弘長3年(1263)2月流罪をゆるされ、鎌倉に帰り、
翌年文永元年の秋、小湊の母のお見舞をした後、師匠に会う為、山を越えて花房の蓮華寺に来ました。
師匠道善坊とあい、鎌倉での苦労など話しました。数日して、天津領主工藤吉隆の願いをうけて、
天津におもむく途中、東条小松の原で東条景信らの襲撃をうけ、弟子の鏡忍坊や工藤吉隆も死去し、
聖人も額に疵をうけましたが、不思議にも難をまぬがれ、再び蓮華寺に隠れました。
師匠道善坊は聖人を見舞い、聖人は、法華経を信仰するように強く申し上げ、これを聞かれた道善
坊は不快な様子でしたが、そののち、文永5・6年頃には法華経を信じ文永7年にはお釈迦様の
像を造立しました。その後、廃寺となったこの場所に、宗祖七百遠忌記念に蓮華寺を再興しました。

入口も開けてもらい、お参りさせていただきました。

日蓮聖人の像に綿帽子がかぶされています。綿帽子の言われを少しご説明しますと・・・
小松原法難の際、小湊の岩屋で疵の養生をしていた時にお市なる老婆が岩屋を通りかかり、自分の
かぶっていた真綿を差し出し「傷口に風を当てては痛みまする。どうぞこれで寒さをおしのぎ下さい。」
と差し上げました。その時、額にのせた綿は、血潮で赤くそなまったと言われています。
冬の間(11/11~4/22)祖師さまに綿帽子をかぶせる慣わしとなり、全国的に行われています。

日蓮宗のお話しが長くなりましたが、こちらの場所にも鴨川石造物100選に選ばれた日記念仏塔が
あります。

元禄9年(1696)の文字塔です。日記念仏についてよくわかっていませんが、女人講によって行われて
いたようです。月々の決められた日に女人たちが集い、現世安穏と極楽往生を願って念仏を唱えたそう
です。安房地域では数例しか確認されていないそうです。

さぁ~あとは出発地点へと帰るのみです。今回のコースは、伊八の作品は日蓮聖人のゆかりの地など、
鴨川富士の周りには多くの神社仏閣があります。是非、訪れてみてはいかがでしょうか?
あっ!神社仏閣は信仰の場です。くれぐれも、勝手にお堂に入ったり、仏像を触ったりしないように
お願いします。

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