月イチツアー「里見八犬伝のふるさと「富山」を歩く」報告

空が高くなってきました。空だけみると夏の空のようですが・・・・
日差しは強くて暑いのですが、風が涼しいです。

今回は、南房総市にある富山(とみさん)に上ってきました。
富山は標高349.5mです。富山の名前は、古代神話に登場する安房開拓の祖「天富命」の逝去の
地であることにより名づけられたと言われています。この山は北の峰と南の峰の二の頂上があること
から動物の耳を形容した双耳峰という特徴があります。古くから航海の目標とされています。
題目にもあるように、江戸時代の作家・曲亭馬琴が28年の歳月をかけ刊行しました、南総里見氏の
史実等を参考に書かれた伝記小説「南総里見八犬伝」の舞台と言われています。簡単にお話しします
と・・・里見義実の娘「伏姫」と敵将の首を取ってきた妖犬「八房」が富山(物語ではトヤマと呼ば
れる)の中腹にある洞窟に籠り生活をし、義実と家臣・金碗大輔に見つけられ、八房は金碗大輔が放
った銃弾に倒れ、その流れ弾にあたって伏姫も倒れてしまいます。伏姫はこの時、八房の気によって
妊娠していましたが、犬畜生と交わったわけではないと身の潔白を示すため自害すると、白煙が立ち
上がるとともに、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉が飛び散り、その後、犬の姓や体の一部に
ぼたんのあざとその霊玉を持つ八犬士が登場します。功成り名を遂げた八犬士は、富山山頂の観音堂
の傍らに庵を建て、凡そ20年間風月を友として老後を楽しみ、里見の姫との子供たちに見守られな
がら仙人となり、頂上より雲の彼方に消えていったといいます。
そんな「南総里見八犬伝」のお話しの舞台となった場所へと行きます。

出発は、南房総市富山観光駐車場からです。
富山へは、何本か登って行くルートがありますが、今回は伏姫籠穴から登って行きます。
駐車場から20分程度で伏姫籠穴の登り口に到着します。

伏姫籠穴への入口です。入口の近くには、八房が眠るという「犬塚」があります。

ここから、10分程度登って行くと、伏姫が籠っていた洞窟があります。
伏姫籠穴の写真がどうしても見つからないので、どうしちゃったのか・・・すみません。

さて、気を取り直して、山道へと進んでいきます。
途中、滝を見る事ができました。この滝は、あまり見る事ができないのですが、時期によって見る事
ができます。

この滝は、合戸の滝と呼ばれていて、季節限定の滝です。合戸地区のため池(合戸堰)から、田植え
の時期に放水されるだけらしいので、タイミングよく見る事ができました。
結構、迫力がある滝でした。

さて、いよいよ山らしい道に入っていきます。

ここの場所に、頂上まで45分と書かれていましたが、ゆっくり登って行くのでもう少し時間がかか
りました。登っていくと、頂上付近にY字路があり、最初に北峰の方へ行くので左へと進みます。
少し進むと杉の巨木と鐘を見る事ができます。

樹齢300年以上と推定され、普通よりも葉が丸みを帯びていることから「ボタンスギ」と呼ばれて
います。地元では、古くから縁結びにご利益があるとして親しまれていますので、別名「縁結びの杉
の木」とも呼ばれています。樹高28m、幹周り3.43m。(ちょっと写真では、見えないですが・・)
ボタンスギの近くには「愛の鐘」が設置されています。平成11年(1999)皇太子ご夫婦が登山された
後、富山は「愛の山」と広く知られるようになり、ここを目指して登るカップルが多くいるそうです。
地元では、登山者に「愛の音」が広がるように、この富山に「愛の鐘」を設けたそうです。
一応鳴らしてみましたけど・・・(笑)

少し歩いて行くと、金毘羅宮があります。

創建年月不明で、文久年間(1860年代前半)地元の房州屋栄吉が先達となり、江戸講仲間が参詣寄進
します。堂の大修理の際、普賢菩薩白象台座が発見されました。

いよいよ頂上へ。

三角点とは違うところに、展望台がありますが、今回は撮り忘れてしまいましたが、展望台広場には
皇太子両殿下の散策記念碑が建てられています。

展望台に上って写真を撮ってみました。

天気が良ければ富士山をはっきりと見る事ができます。
江戸警備のために訪れた会津藩主松平容保は、富山登山記においてこの景色を「嘉永6年4月8日
当日快晴11州余眼下に迫り絶景、言語につくしがたし」と詠んでいます。
11州は、安房、下総、上総、常陸(ひたち)、上野(群馬)、下野(栃木)、武蔵(東京・埼玉
神奈川の一部)、相模(神奈川)、伊豆(静岡)、駿河(静岡)、甲斐(長野)。
昔は、山の樹々が燃料(まき)として使われていたので、樹々が今みたいに高くなかったのかな?
なんて思ってしまいます。だから先まで見えていたのかな?なんて・・・

ここで、昼食休憩して南峰へと向かいます。 
途中、ニリンソウや樹々の木漏れ日の中を歩いていきます。

しばらく歩くと階段が見えてきます。

この階段を上ると観音堂があります。

奈良時代、聖武天皇の祈願により天平3年(703)行基菩薩の創建。昭和30年(1955)8月17日
原因不明の失火により全焼してしまいました。その3~4年後、仮堂が建てられ現在に至ります。

境内には、いろいろな石仏等が残されています。

ちょっと寂しい感じです。

もう一つ、大正時代の童話作家・巌谷小波が馬琴を讃えて作った詩の石碑があります。

ちょっと文字はわかりづらくなっていますが、「山高きゆえに貴からず 曲亭翁の霊筆によりて
この山の名長しへに高く尊し」「水茎の香に山も笑いけり」と書かれています。

この石碑の裏側を少し上ると、南峰の頂上になります。ここにはあずまやらしき物があったみたい
ですが、樹々が伸び景色はまったく良くなかったです。

さて、いよいよ下山していきます。登った分下らなければいけないのが山です。
段差のある階段を下りていきます。途中、こんな石仏があります。なんか和ましてくれる石仏です。

階段が終わると坂道になるのですが、これがまた・・・スクワットしているかのように
降りて行くんです。転ぶと大変なので慎重に下って行くと、福満寺にで着きます。

福満寺は真言宗智山派の寺院で、本尊は十一面観音。
天平3年(731)に行基により開創されました、はじめは1合目の大房(おおぼう)というところに、
地蔵堂・子安社・蔵王権現等が祀られていましたが、焼失、再建を繰り返し、元治元年(1864)、
現在地に本堂が再建されました。観音堂は富山山頂にあり(先ほど見てきた場所です)、享保14年
(1729)に再建され、寛政元年(1789)に仁王門と仁王像も建立されましたが、昭和30年(1955)の失火
により全焼し、観音像も焼失してしまいました。現在の福満寺本尊十一面観音お札が観音巡礼にご開帳
されます。山頂にあった仁王像は、平成10年福満寺山門に移されました。

福満寺の入口には大正元年の登山道標があります。

「ふもとに伏姫籠穴あり」と八犬伝の案内があります。
あとは県道を通り、駐車場へ。

今回は天気にも恵まれて、楽しいハイキングができました。いつも流れていない滝も見れたし・・・
次回の月イチツアーは、鴨川市の天津地区を歩きます。是非ご参加下さい。

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