皆さまご無沙汰しております。ガイドの独事を更新するのは、久しぶりです。
今年の8月は、ウォーキングツアーの計画はなくて、企画ツアーだけでしたが、
のそ企画ツアーが、台風上陸という最悪な状況になり、企画ツアーが延期と
なってしまいました。
夏にまた旅倶楽部は何してたの?とお思いだと思いますが、館山市主催の「ウミ
ホタル観察会」の講師やらサポートやらで、活動をしていました。
久々のお散歩ツアー「巴川流域の伝説を訪ねる」として館山市の神戸地区を散策
してきました。最近は、天気が悪い日が続いていましたが、開催した9月28日
は天気もよく暑い一日でした。
まずは、出発の館山野鳥の森から、千祥寺へ。
こちらは、天和2年(1682)に領主の非法を訴えて処刑された7人の農民を供養した
という七人様供養碑があります。
次は、笠登墓地へ。
ここには、天田やぐらから出た室町時代の五輪塔や宝篋印塔が祀られています。
これは、大正14年に村人の夢枕に、「裏山に埋もれているので、供養してほしい」と
言われ、山を掘ってみるとおびたただしい五輪塔や宝篋印塔が発見さ、この場所に
供養され、記念の供養塔が建てられました。
次は、中里八坂神社です。
祭神は、須佐之男命(スサノオノミコト)です。むかしは、牛頭天王と呼ばれていました。
社殿の裏には、青面金剛像を刻んだん庚申塔や牛頭天王の石宮、右には浅間様の小さな祠
があります。こちらのお神輿の彫刻は、初代後藤義光です。
次に金蓮院。
真言宗智山派の寺院で、金剛山慈眼寺金蓮院としいます。本尊は大日如来。
平安時代に造立された木造地蔵菩薩が安置されています。安房国札観音霊場
の第29番で、安房国88か所弘法霊場の第5番です。開創は不明で、江戸
初期に頼忠が中興しています。
本堂の裏には、飛錫塚とよばれる岩山があります。
古文章によると、文治元年(1185)、頼智(らいち)という高僧が行基作の観音菩薩像を
携えて、伊豆から海を渡り犬尾崎(平砂浦)に着きました。東の方が明けて来た時、一匹
の白犬が現れ、僧の法衣を引いて東の方へ導くと、金剛山の麓まで来ました。犬が離れない
ので、錫杖う振ったところ、犬が消えたといいます。別のお話しでは、麓まで来て犬は動か
なくなり、頭をなでると犬ではなく石だったというお話しもあります。
飛錫塚の上には竜宮からあがったと伝えられる枕字石や、塚の端には、享保19年(1734)に
一石に一文字づつ経文を書いて19500個の石を埋めた経塚があります。
次は、犬石権現へ。
ここにも民話が残されています。
昔、西岬地区の鉈切神社の洞穴からひとりの僧が犬を連れて入りましたが、僧は出てくる事
が出来ず、犬は青年館にある岩の裏の穴から、赤肌になって出てきてすぐに石になってしま
ったというお話しが残されています。犬石の地名からか、この周辺には犬や石にまつわる伝
説が多くあります。
これが、穴です。
次は、犬石神社へ。
祭神は倉稲魂神(うかのみたまのみこと)。稲の精霊が神格化したもので、五穀、食物をつか
さどる神様です。「日本書記」では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみの
みこと)の子です。「古事記」では須佐之男命と神大市比姫の子で、宇迦之御魂神と書きます。
次に向かったのは、巴橋です。
この巴橋は、明治39年(1906)の建築です。構造は石造アーチ形上路橋。規模は橋長11m、
幅員3m、1径間アスファルト路面です。地元、犬石の職人、島田岩𠮷が設計して築いた橋
だと伝えられています。大正12年(1923)の関東大震災で、巴川を逆流した津波は、すごい
勢いで巴橋を飲み込みましたが、石積みのこの橋は、津波の勢いに負けなかったそうです。
また、太平洋戦争中、近くの佐野にあった旧館山海軍砲術学校の戦車がこの橋を渡っても、
重さに耐えたと伝えられています。国登録有形文化財建造物です。
次には蓮寿院。
浄土宗の寺院です。境内には、元禄地震(1703)で亡くなった地元の人たちを供養するために、
正徳5年(1715)に建てられた名号石塔があります。
蓮寿院から相浜神社の途中、玉杉稲荷があります。
今はこんな感じですが、ここには、民話が残っていますので、ご紹介します。
ここはかつて白浜街道でした。明治の頃は新道山と呼ばれる昼も薄暗い山道でした。
ここにあるお稲荷さんには、お杉とお玉の2匹が棲んでいました。暗くなって村人が通りかか
ると、狐火で明るくして送ってくれたり、村を守り、浜の大漁を叶えてくれるお稲荷さんで、
お供えはいつも鯛が上がる位大切にされていました。富浦の正善院(現愛宕神社)の修験僧が、
相浜の波切不動の修験僧(感満寺、現相浜神社)に難題を持ちかけ追い出そうと企てていまし
た。それを知ったお杉とお玉は、巴川のほとりで、頭に葉っぱを乗せ老婆に変身しようと準備
していました。そこへ正善院の修験僧が現れ、「そんなものでは俺はだまされないぞ」と馬鹿
にしました。すると、「あなたを騙すつもりはありません。不動堂の修験に悪戯して馬の糞の
団子を食べさせに行くところです。一緒に行きますか?」っと誘われ、不動堂の節穴から中を
覗くと、老婆から勧められた馬の糞団子を修験僧がおいしそうに食べているではないですか。
「狐に騙される修験なぞ修行が足りない半端者め」っと笑っていると、突然後ろから「バカモ
ン!!蹴飛ばされて死ぬぞ!」と怒鳴られ気が付くと馬のお尻の穴を覗いている自分に気が付
き、大慌てで富浦に逃げ帰りました。狐が相浜の波切不動を守ったという地元に伝わるお話し
です。
そんな民話ののころ場所を後に、六地蔵がある場所へ。
昔は、行場だったそうで、水路と井戸が残っています。岩山には六地蔵があり、行場の雰囲気が
わずかに残っています。
こんな感じです。
次は、見学場所最後の大神宮観音堂へ。
安房郡札22番観音堂です。かつては白浜古道に沿った霊場でした。
郡札観音霊場は国札霊場が遠くて回れない人のために沼の大寺(総持院)から始まる近場の
観音霊場です。
今回のウォーキングは、お散歩コースだったので、半日で終わりです。
天気にも恵まれ、楽しいウォーキングができました。やっと涼しくなってきましたので、
皆さんもウォーキングしてみてはいかがでしょうか?