お散歩ツアー「日蓮聖人ゆかりの妙福寺とその周辺を歩く」報告

新年度最初のツアーは、お散歩ツアー「日蓮聖人ゆかりの妙福寺とその周辺を歩く」を開催しました。開催日当日は、お日様には恵まれたのですが、少し風の強い日でした。

集合場所は、南房総市南無谷地区にある豊受神社の境内をお借りしての出発です。
当日は、地元の方が南無谷地区のお話しをしていただきました。

現在の南無谷は、大昔、泉澤村と呼ばれていました。理由は、2つあるそうで・・
1つは、湧水が沢山出ている沢があったため
2つは、泉澤氏という郷士が住んでいたところだったため
どちらかの理由にようるものか定かではありません。
南無谷に変わったのは、日蓮聖人と関係があります。建長5年(1253)の5月に清澄山を出た日蓮が鎌倉に渡ろうと、この地に来たのですが、波浪が厳しく渡る事ができなかったため、3日ほど泉澤権頭太郎の家に泊まりました。日蓮は日蓮宗を日本国中に広めようとしていましたので、泉澤家の人たちにも熱心に法華経を説き聞かせました。老母ふく、権頭太郎、その弟、二郎、三郎はともに教えを信じ、特に老母ふくは、妙福という法名をを授かったほどでした。やがて風波は静まり、日蓮は無事に鎌倉近くの米ヶ浜に上陸したのです。日蓮はこれが縁で文永元年(1264)小松原法難後、再び泉澤家を訪れたといいます。間もなく、村中に日蓮宗が広まり、村の名が南無妙法谷村(まむみょうほうやむら)となりましたが、長すぎるので南無谷となったそうです。

集合場所でもある豊受神社です。

祭神は豊受大神。和久産巣日神(わくむすびのかみ)と弥都波能売神(みつはのめのかみ)の子で五穀をつかさどる女神です。イザナミの孫になります。伊勢神宮の社伝では、雄略天皇(第21代)の夢枕に天照大神が現れ「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比沼真奈井にある御饌の神、等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼びなさい」と言われ、天皇はあわてて伊勢の内宮に近い山田の地に豊受大御神を迎えて祀ったのが始まりです。

最初に訪れたのは、山の神です。

一般的に山の神とは山を支配する神の事です。しとぎやお神酒、おこぜ等を備えますが、地方によっては異なっています。祭神は不明です。鳥居は平成元年に再建し、形は神明鳥居です。本殿と拝殿はかなり古いようですが、いつ造られかは不明です。
拝殿の腰板に船の古材を利用している場所があります。

次は、朝日地蔵へ。

地元ではいぼ地蔵とも言われています。線香の灰をいぼにつけて願いをかけると、いぼが取れるといいます。

次は、川止用水。

消防用に利用するために人工的に川を堰き止めた場所です。

本日のクライマックスは、七面山。

七面山はむかし浅間山と呼ばれていましたが、のちに領主の小浜八太夫が雨乞いの祈祷所として山林を奉献し、七面堂が建てられました。七面堂には、元禄12年(1699)に、身延33代日亨上人が勧請した木造七面大天女が祀られています。
まずは、七面堂まで階段を登っていきます。解説には、222段の石段とありましますが、数えなが上っていくと5段少なく登れました。下の部分がコンクリートで坂道となってしまっていたので、そこで階段が少なくなってしまったのかなぁ~なんてみなさんと話てました。
七面堂に到着しますと、七面堂を守っている妙福寺のご住職が、お堂を開けて下さいました。いつもは、閉まっているのですが、下見に行った際に、檀家さんにお会いしお話しをしたところ、開けてもらえる事になりました。これもなにかの縁です。七面大天女が導いてくれたのかしら?

お堂に上げていただき、ご住職に経を唱えていただき七面大天女を特別に拝ませていただきました。それだけでもありがたいのに、お守りを頂きました。お守りは、七面大天女様が着られている着物を細かくし物が入っています。この着物は、毎年5月の18日と10月の18日に絹衣のお召し替えの儀式が行われるので、天女様が着たものです。
通常は、この日にしか七面大天女のお顔を拝見する事ができません。是非、直接お参りをされたい方は、是非、絹衣のお召し替えの時に、参拝しに行って下さい。

ここで、この七面天女のお話しを・・・
日蓮聖人が身延の谷(山梨県)で弟子や信者に説法をしていると、その中に美しい女性が熱心に聴聞していました。一同は不審に思っていると、日蓮が女性にむかって「皆が不思議に思っていす。あなたの本当の姿を見せなさい。」すると女性は笑みを湛え「お水を少し賜りとう存じます」と答えると、日蓮は傍らにあった水差しの水を一滴、その女性に落としました。すると今まで美しい姿をした女性は、たちまち緋色の鮮やかな紅龍の姿に変じて仰った。「私は、七面山に住む七面大明神です。身延山の裏鬼門をおさえて、身延一帯を守っております。未法の時代に、法華経を修め広める方々を末代まで守護し、その苦しみを除き心の安らぎを満足与えます」と言い終えるや否や、七面山山頂へと天高く飛んでいきました。日蓮は、「いつか七面山に登って七面大明神を祀ろう」と考えていましたが、生きている間には叶いませんでした。日蓮聖人入滅後16年目に弟子の日朗上人は日円と共に、七面大明神をお祀りするために、初めて七面山に登り、永仁5年(1297)に七面山奥ノ院を開創しました。以来、日蓮宗の守護神とされ、本地は福徳を授ける吉祥天で、鬼門の一方だけを閉じ七面を開くといいます。

奥ノ院の方に上がっていきますと、素晴らしい景色を見る事ができます。

次は、妙福寺さんへ。

本堂・祖師堂にお参りしてから、泉沢さんのお墓へと上がらせていただきました。

妙福寺は、日蓮宗の寺院で、山号を成就山といいます。由緒によると、日蓮聖人が建長5年(1253)、鎌倉に向かう途中、富浦の岡本浦から鎌倉へ船で渡ろうとしたころ、嵐で足止めをよぎなくされました。近くの岬に登って一心に祈願すると嵐が治まりました。並みの僧でないことを感じたこの地の泉沢権頭太郎は自宅に招いて3日間、母親と2人の弟と共にお世話をし、直接教えを受けたと伝わっています。別れにあたり日蓮聖人は、お世話になった母親の願いを受けて「妙福」の二字を法号として授けました。
時は経ち弘安2年(1279)、権頭太郎が身延山に隠居していた日蓮聖人を訪ねました。日蓮聖人は権頭太郎にお世話になったお礼として、衣を洗ったときに裸で読経した自分の姿を弟子に彫刻させ、その裸体の像とお題目の掛け軸を添えて授けました。
権頭太郎は帰郷したあと、その像と掛け軸を安置するためお堂を建立し、聖人の弟子であった日頂上人の弟子日念上人を初代住職として迎えます。そしてお寺の名前を、母親が授かった「妙福」を頂き「成就山妙福寺」となりました。6月と10月の13日には、日蓮聖人像の衣替えが行われます。

やはりご住職からお話しを聞くとありがたい気持ちになります。当倶楽部のガイドもちゃんと勉強してるんですけどね。なんででしょう?修行されている人とにわかの人との差かもしれませんね(笑)

次に、衣を洗った井戸へ。

少し前までは、看板があったのですが、私有地かなにかで、足を運ぶ事がなかったのですが、今回は、見学できるようになっていたので、見学してきました。

あとは、海岸に出て、出発地へともどります。

今回のコースは、日蓮聖人と関係のある場所を多く巡りました。妙福寺のご住職にも大変お世話になり、いつもは拝見出来ない七面天女様にもお会いできて、充実したお散歩ツアーになりました。ご住職の暖かいご配慮、この場を借りて感謝を伝えたいと思います。ありがとうございます。

南房総市 妙福寺さんのホームページです。ご興味のある方はどうぞご覧ください。
https://www.akafunkun.net/
ヨガなんかもやられているそうです。

コメントは停止中です。