お散歩ツアー「いにしえの広瀬を探る」報告

本格的な夏に突入してしまいました。暑さで睡眠不足気味になってきていますが・・・
なんとかこの文書もがんばって書いております。

今回は、お散歩ツアー「いにしえの広瀬を探る」を開催しましたので報告です。
当日は曇り予報でしたが、晴天で暑いのなんのって・・・でも、今回は、半日なのでゆっくり
歩きます。出発地は、安房地域医療センターから三芳に向かったところの民家の駐車場をお借
りして出発しました。

武田石翁の生家があった場所の前を通り、東福院へと向かいます。

真言宗智山派の寺院です。本尊は薬師瑠璃光如来。創建は不詳ですが、境内には武田家(武田石翁
生家)の菩提寺です。
武田家の墓域には、文政9年(1826)、石翁48歳作の如意輪観音を刻んだ実相妙鏡大姉の墓碑があります。

武田石翁(たけだせきおう)の説明を少し・・・
本名は、小瀧周治(又は秀治)といいます。安房国平郡本織村宇戸(現南房総市本織)に鎌田四郎左
衛門金明の末子として、安永8年(1779)に生まれました。寛政3年(1791)、13歳の時に、安房国
平郡元名村(現鋸南町元名)の石工小瀧勘蔵に弟子入りし、23歳の時、師匠の小瀧勘蔵の娘いちを
妻とし、小瀧家の養子になりました。養子に入った後も、「鎌田周治」と名乗り、後には、「武田石
翁」と名乗るようになりました。

東福院から少し歩いた所に、狐塚があった場所を見る事ができます。

この樹々がある場所は、広瀬の字狐塚といいます。腰越地区(館山市)の青年館の横にある狐塚から、
いくつもの塚がが連続してありました。この塚は「いなり様」と呼ばれていて、砂丘の先端にあり、
塚の周辺からは土師器、須恵器の破片が出土して古墳時代の遺跡と言われています。また、里見氏の
内乱の決戦場にもなったと言われています。

次は、八幡神社へ。

広瀬の鎮守で、八雲神社(牛頭天王)と湯沢神社(湯沢権現)を合祀しています。境内には、阿弥陀
如来の種字「カーン」と刻んだ念仏供養塔や、青面金剛の庚申塔、浅間講碑、力石があります。

ここで、お客様から衝撃な話を聞きました。お客様が子供の頃(約70年前)この拝殿の下にお亡く
なりになられていた人が居たそうです。(ちょっと柔らかく書きました)
お子さんだったお客様は衝撃だったようで、記憶に残っていて、私に話してくれました。その後、
どうしたのかはお聞きしませんでしたが、ビックリです。

次は、釈迦寺へ。

臨済宗の寺院で、江戸時代初期・元和時代(1615~1624)に地元広瀬の徳山居士という人が開基したと
いいます。開山は道硯和尚。境内には享保5年(1702)の如意輪観音像、享保16年(1731)の地蔵尊、
安永8年(1779)の三界万霊塔があります。

次は、杉間の堂へ。

字杉間にある日蓮宗のお堂です。館山城跡で掘り出されたという観音菩薩が祀られています。
このお堂の裏の方の集落を市場といい、右手の田を字井戸場といいます。井戸場は問場のことです。
この周辺が、中世の荘園だった頃に流通の中心地だったと思われます。奈良の都から出土した735年の
年貢の荷札(木簡)にすでに「安房国広湍郷」の地名があります。

次は、宝積院へ。

真言宗智山派の寺院で、南房総市府中の宝珠院の末寺です。本尊は地蔵菩薩。創建は不詳ですが
寺伝によれば、寛永8年(1631)、本織の豪農「武田四郎左衛門」が発願して開基となりました。
後に寛文7年(1667)に法印頼運を要請し開山としました。

最後に本織神社へ。

昭和39年本織地区にあった六社を住吉神社の鎮座地に合祀しました。六社とは、今回の本織神社、
荒神社(字市場)、稲荷神社(字延命寺)、天満神社(字本織根方)、住吉神社(字番場)、熊野
神社(字不入斗)です。訪れた本織神社は旧社地ですが、現在この地にも神社が鎮座しているとい
のはなぜなのか?社号碑も新しいくなっているので・・・周りに人が居ないいので聞く事ができま
せんでした。因みに、三芳村史にも、跡地があるという事が書いてありました。

境内には、武田石翁誕生之碑が建てられています。説明文もありましたが、ところどころ消えかか
っていて読みづらいのなんの・・・

色々な思いを残しながら、出発地点へと戻りました。
なかなか暑い日でしたが、田んぼにたまに吹く風が気持ち良い日でもありました。
今月は、月イチツアーが1本残っております。熱中症に気を付けて歩きたいと思います。

あっ!8月は、暑いので歩きませんが、8月11日(土)・18日(土)25日(土)とウミホタル
観察会を開催します。お申込み方法等は、イベントで確認して下さい。お盆以外は比較的まだ申込み
が少ないようです。お待ちしております。

コメントは停止中です。