特別編「木更津市公民館様ガイド」

花粉のシーズンに入ってきました。
房総の山を見れば杉だらけ。花粉症の人は大変なことになっております。
皆さんはいかがでしょうか?

さて、今回は月イチツアーの報告ではなくて、木更津市某公民館様からご依頼いただきま
した、ガイドの報告します。
なぜ?って、木更津市さんに同行したので、月イチツアーのネタが残念ながらないのです。
月イチツアーの報告を楽しみにしたいた方には、申し訳ありません。

某公民館様は今回で3回目のお申込みで、前2回は後藤義光の彫刻などをご案内したので、
今回は伊八の作品のご案内です。

待ち合せ場所は、道の駅三芳・鄙の里です。最初に向かったのは、南房総市山名にある
曹洞宗の智蔵寺へ。山名の大寺とも呼ばれています。

寺伝によると、開基の武田信勝は天目山で敗死した武田勝頼(父・武田信玄)の嫡男で、天目山
を逃れて房州に落ち延び、智蔵寺を開基したと伝えられています。開山の太巌存高和尚は信勝の
舎弟英丸といわれています。また、中興の開基は里見の奉行、印東采女平忠康とされています。
徳川時代初期の寛永十五年(1638)、旗本三枝守昌は安房ノ国で一万石を賜って大名に列し、陣屋
を山名の本郷に置き、智蔵寺を菩提所とした。次の守全は再び旗本となりましたが、その後、天保
13年(1842)まで204年の間、山名は三枝氏(その傍系諏訪氏)の知行所でした。(寺伝より)

本堂の欄間には「波と竜」の彫刻三面は、武志伊八郎信由と弟子森久八の作です。(文化5年)

墓地のエリアには、武田石翁が手掛けた石仏があります。

今回はバスが上まで登れたのですが、本当ならば苔むした階段を上がってお参りします。

とても雰囲気の良いお寺さんで、今回は、ご住職が本堂内をご案内していただきました。
貴重なお時間をありがとうございます。

次に向かったのは、石堂寺です。

天台宗の寺院で、長安山東光院石堂寺です。和銅元年(708)、奈良の僧・恵命、恵照がインドの
阿育王(あしょかおう)の仏舎利を携えてこの地に草庵を結んだことに始まり、神亀3年(726)
に行基菩薩がこの地に訪れて大塚山に堂宇を建立し、十一面観世音菩薩を刻んで本尊にしたと伝え
られています。阿育王の仏舎利宝塔を祀っているので、日本三石塔寺と呼ばれています。
仁寿元年(851)には、慈覚大師が七堂伽藍を整備して、天台宗比叡山延暦寺の末になったそうです。
文明19年(1487)に夜盗による火災に遭い、当地の豪族丸氏や里見氏によって永正10年(1513)に
堂宇を現在地に移して最高されました。国指定の文化財建造物が4棟、仏像が1躰あり、県・市の
文化財も数多く残されています。

今回も、石堂寺のご住職に客殿に保存してある初代伊八の彫刻をご案内していただきました。
こちらは、写真撮影禁止なので写真はありません。(伊八の彫刻を見る場合は拝観料がかかります)
作品は、寛政3年(1791)、伊八39歳頃のものだと言われています。もとは、多宝塔につけられて
いたのですが、平成の大修理の時に元に戻されたので(多宝塔建立時には彫刻が無かったので)、
現在は屋内に保存・展示してあります。

当日は、ご住職はインドから帰ってきたばっかりだったんですが、いろいろ楽しくお話しが聞けました。
イノシシとの争いなど、ありがとうございます。

少し時間があったので、本堂の裏にある旧尾形家も見学に。

尾形家は珠師ケ谷村(旧丸山町)の旧家で、昭和46年・47年度に解体され移築されました。
江戸時代中期の享保13年(1728)の建築、居間と土間を別棟にした南方系の特色をもつ分棟型
の代表的な民家です。普段は中を見る事ができませんが、初縁日の日に見学する事ができます。
季節によって色々な花を見る事ができます。

次に向かったのは、捕鯨の町和田へ。せっかく南房総に来たので、クジラ料理なんかを食べて
いただこうか?とご紹介したのが、道の駅和田浦WA・O!!。こちらで昼食をとっていただき
ました。この時期は、お花が盛んな地域もありストックなどお安く購入する事ができます。

お腹いっぱいになったところで、真野寺へと向かいます。

真野寺は、真言宗智山派の寺院で、正式には「高倉山実相院真野寺」といいます。地元では、
「真野の大黒」と通称で親しまれています。
お寺の歴史は、神亀2年(725)に、行基菩薩によって開山されました。建永元年(1206)には野火
により焼失してしまいましたが、翌年に大黒天の信仰厚い北条義時が私財を投じて七堂伽籃を再
建し、覆面千手観音と大黒天像を安置しました。
本尊の覆面千手観音は行基の御霊作といわれ、霊験がとても高く、参拝者に少しでも疾しい心が
あると重い仏罰を下しました。それがあまりに厳しかったため参拝者も絶えていってしまいました。
貞観2年(860)、遊行中の慈覚大師(円仁)が立ち寄り、行堂面を彫ってかぶせたところ、以降、
優しく慈悲深い仏様になったといいます。
大黒天像は、貞観2年(860)慈覚大師(円仁)が、参籠中の旧正月六日、朝日昇天の中に大黒天が
出現し、大師はこの大黒天を直ちに一刀三礼により彫り上げたといわれています。朝日開運大黒天と
称され、毎年2月6日には、大黒様の出現を記念して大黒天福祭りが行われています。
現在の本堂は、元禄の大地震・大正の関東大震災と二度の被害をうけましたが再建し、昭和35年に
落成しました。

では、伊八の作品を。

大黒天祈祷所にあります。作品です。

「松に鶴」です。阿吽になってるのがわかりますか?

次は観音堂の作品です。

「波に宝珠と火焔龍」です。大黒天祈祷所と同じ時期の伊八57歳ごろと言われています。

こちらもお寺の方が説明していだきました。ありがとうございます。
覆面千手観音様のお話しは、ビックリです。覆面はしていますが、ちゃんと目の所に穴が
空いているので、しっかり参拝者を見る事ができるんです。

今回ご紹介いたしました寺院は、事前に見学のお願いをしてあります。ガイドの独り言を
見て行かれる場合は、お参りをしてからマナーを守って見学させてもらって下さい。
最近、勝手に本堂の中に入ったりする方がいらっしゃるようです。また法事中に中を見せて
とかいう方や、鍵をあけて見せろとか・・・自分勝手の人が多いと聞いています。
また、仏像が盗まれたり彫り物が盗まれたりという話も聞きます。
皆さま、地域資源でもあります神社仏閣に訪れる際は、マナーを守って参拝して下さい。

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