ここの所日差しが強くなってきました。山は新緑で、天気が良い日は、心なしか
さわやかな気分です。もう夏が近いんのですね。
今月の月イチツアー「嶺岡浅間と天狗伝説」を開催しました。当日は、天気もよく、
ウォーキング日和でした。
出発は、鴨川市南小町区民センターです。
ここから、白滝山不動教会まで登っていきます。
今日のコースはトイレがないので、途中のサテライト鴨川さんのお手洗いをお借りする
ことにしました。サテライトさんは、競輪の車券売り場なので、大きな画面にオッズが
映し出されていました。競輪については、まったくわからないので、初めての・・・と
いうパンフレットがあったので、貰ってきました。
まずは、昭和院へ。
真言宗の寺院で山号を大森山といいます。本尊は不動仏(明王)。創立年代は不詳です
が、宝暦5根(1755)法印源雄が中興したといいます。いくつかの寺院が合併したり編入
したりで、今にいたります。
側には、鴨川市指定の天然記念物「白滝山の姉妹イチョウ」があります。
樹高18メートルの巨木で、1本の幹がもう一本の幹を包み込むように合体している姿
から姉妹イチョウと呼ばれています。
その独特の姿と乳柱(気根)のでき方は県下でも非常に珍しいものだそうです。
白滝不動教会へは、この階段が正式?なのでしょうが・・・
今回は、途中の白絹の滝を見学するので、別のコースから向かいます。
白絹の滝です。
左5/21日撮影 右1/20撮影
この白絹の滝は、嶺岡山の山頂付近の水をあつめて流れる加茂川の支流にかかる滝です。
この滝は30m以上の崖ですが、もともと山の斜面が急であるため、滝の削りとった崖
ではありません。滝は白滝不動の霊地とされています。
季節や水量によって、滝を見る景色が変わってきますね。
滝を後にして、白滝不動教会へ向かいます。
真言宗の寺院で、本尊は不動明王。大同3年(808)、弘法大師が自刻の不動明王を安置
したと伝えられています。永正年間(1504~1521)に長狭郡山之城・城主正木大膳が白
滝山滝谷寺として創建しました。境内には、白絹の滝があることから、滝の不動と呼ばれ
一帯は霊場地として崇められました。
本堂向拝の龍は、明治17年(1884)、後藤義光70歳の作です。本堂正面の懸魚の鳳凰
も義光作とされています。向拝の海老虹梁の龍は紋次郎、明治16年(1883)の作です。
いよいよ、嶺岡浅間山にむかってアタック開始です。
結構、急な坂を上がっていくと、どれくらい上がったかは定かではないですが、不思議な
石の祠を見る事ができます。
石尊神社といい、石祠にはめ込まれた石造りの天狗面が祀られています。
奉納碑を見ると、「奉納 宝暦九年七月(1759)」と刻まれています。
石尊神社は、雨乞い神事と関わりが深いので、これらの天狗面は雨を降らせる神通力の発揮
を祈願して奉納されたのではないかと思われています。この一帯が修験道との結びつきが深
いことから、修験者によって相模大山の阿夫利神社が勧請されたのかもしれないそうです。
天狗の面の中には、アニメの巨匠の作品に出てきたものに似ている顔があります。
さて、次に向かうのは、嶺岡浅間神社です。
嶺岡東牧を代表する山で、360.8mの円錐形の雄峰として長狭平野に君臨していましたが、
昭和40年代後半より行われた山砂採取工事により、山頂をはじめ北面中腹を削り取られ現在
の姿となってしまいました。新しい山頂(334.8m)に遷された浅間神社の巨大な石宮に、かつ
ての風格が偲ばれます。
2分も歩くと嶺岡林道にでます。すぐに、道があると少しがっかりしますが・・・
嶺岡林道・熊取林道を通って下山していきます。
途中、いろいろの植物があります。
40分位下り、やっと平坦な道へと出ます。あとは奥野神社を目指します。
裏からお邪魔しましたが、この奥野神社は、昔は別の場所にあったといい、江戸
時代初期に、現在の場所に移ったといいます。江戸幕府が開かれたとき天海僧正
が奥州より徳川家にゆかりのある奥野甚五郎という人の御霊を迎えお祀りしたと
いいます。
神社の言い伝えがあります。文亀元年、諸国で旱魃がおこり飢餓となったとき、
境内にある井戸で渇きをいやす者が多かったことで、霊験多い井戸といわれています。
また、旱魃が続いて浜が不漁になった時、神社の神輿をしほごりに浜に下向させたと
ころ、前原海岸に魚の大群が来て浜の人たちは大喜び、農民も豊作を迎えたと、戦前
まで言い伝えられてきました。
神社の参道を通り、スタート地点へ戻ります。戻ると言っても隣なので、すぐに着き
ました。
今回は、天気に恵まれて、歩くのにも良い気候でした。