お散歩ツアー「三芳・中堰歴史と自然探訪」報告

新年度に入りました。桜の時期も終わり新緑の季節に入ってきました。
今年度のウォーキングの下見を開始していますが、新芽もでてきて歩くのにはいい季節になりました。

さて、3月の終わりに、28年度の最後のお散歩ツアー「三芳・中堰歴史と自然探訪」を開催しまし
たので、報告です。
中堰の駐車場から出発します。

まずは中堰の周囲を歩きます。

中堰は、旧三芳村の中地区にあります。昭和初期に農業用水源として造られました。その後、平
成9年度から10年度にかけて、ため池の保全と田んぼの用水の安定的な確保のため、県による
土地改良事業の一環として大々的な改修工事が行われました。周囲約1㎞の中堰周辺には、様々
の樹々が植えられ、色々な生き物が生息し、自然を感じられる貴重な場所になっていて、中堰親
水公園(游遊の里)と呼ばれています。地域の方が主体となり、月1回の里山わんぱく子供塾な
どが開催され、自然体験教育活動が実施されています。

3月の下旬という事もあって、桜を見れるかな?と期待していたのですが、今年は遅くまだ固い
つぼみの状態でした。

ゆったりのんびり堰の周辺を歩き次に向かうのは、九兵衛さんお墓碑。中堰から墓碑まで約1㎞
の間に、石仏が4カ所あります。

壊れてしまったものなどもありますが、お花も供えられ信仰されています。

九兵衛さんの墓碑です。(墓碑が見えませんが・・・)

吉田九兵衛さんって誰?という事で、この人は、正徳元年(1711)の万石騒動で、27カ村の一つ
でした中村の名主さんです。九兵衛さんは、一揆の頭取腰押の一人と見られて捕えられて入牢し
ました。斬罪は免れましたが、江戸10里四方と安房国追放の刑に処せられてしまいました。
墓碑の中央には吉田九兵衛と刻まれています。
万石騒動は、江戸時代中期の正徳元年(1711)に安房国北条藩1万石の所領27ケ村全体の農民が
起こした一揆です。

墓碑の脇には、急な階段があります。

この階段を登ると愛宕神社ですが、ちょっと足場が悪いので今回は登りませんでした。

次は、駒形神社へと向かいます。

祭神は、蒼稲魂命(あおいねのみたまのみこと)で食物の神と言われています。
「駒形」の名でよばれているのは、かつて神馬を差し出した競馬をおこなったことからと思われます。
天保14年(1843)の「仲村差出明細書」等によると、当時の江田村、御庄村、竹原村、山名村と仲村
の名前があり、毎年9月9日に竹原村山王神社の祭礼に参加し、競馬をおこなっていたことがわかり
ます。駒形神社の創立年月日等は不明です。
境内には、三山講碑や御嶽大神、「宗吾大神」の石碑があります。

ちょっとこちらの狛犬さんは、マンガチックでかわいいので写真を載せておきます。

阿の狛犬さんの方が可愛いと思います。

今回は、お散歩ツアーという事もあり見学場所はここまでです。あとは中堰へと戻ります。
後になってしまいましたが、中地区の歴史について少し書いておきます。
「平久里川」の支流「山名川」の中流左岸、沖積平野に展開する集落で、仲村とも記され
ました。里見氏時代末、御隠居様(里見義康の母)の地行所で386石余でしたが、慶長
19年(1614)に里見氏の改易後は幕府の直轄領となりました。寛永年間(1614~1643)、
村は東組と西組に分郷し、その後、旗本大嶋氏と小笠原氏の相給、屋代越中守領、忍藩松
平氏領などを経て、明治元年(1868)長尾藩本多領となります。その後、周辺の村で連合村
を作り、自治行政をおこない、町村製施行令で「稲都村」の大字となります。
鎮守は「駒形神社」で、寺院は「正安寺」(大正6年に廃寺)のほかに地蔵堂、堅牢地神
があります。

平成28年度は、このお散歩ツアーが最後です。全部で23コースで2コース中止でした
が、怪我なく無事に終わる事ができました。ありがとうございます。
また、変な文章でお伝えしています、ガイドの独り言も読んでいただきありがとうございます。
平成29年度も23コース開催しますので、是非、ご興味のある方、運動不足の方等々、
一緒に楽しく歩きましょう。

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