月イチツアー「高塚不動尊」報告

久々のガイドの独り事です。最近、ネタを見つけに行けてなくて・・・
ウォーキングツアーの報告も当日行けなかった日とかあって・・・・
っと言い訳させていただきましたが、新年1発目は、おめでたいウォーキングツアー
から報告させていただきます。

1月28日は初不動の日としてかくお寺さんで護摩を焚いたりと新年初めてのお不動さん
の縁日です。館山・南房総の地域でも各お寺さんで初不動の行事が行われましたが、今回は、
南房総市千倉町にある「高塚不動尊」へ行ってきました。
高塚不動尊は、南房総市千倉町大川というところにあり、真言宗智山派の妙高山大聖院といい
ます。不動尊の開基は奈良時代に東大寺の創建などに尽くした、華厳宗の良弁僧正と言われい
ます。良弁は、母の菩提を弔うため諸国修行の旅にでかけ、途中この地にお堂を設け、修行の
日々を過ごしました。ある時、大海龍王の擁護で魔障から逃れる事ができたため、不動明王の
尊像を彫刻し堂内にまつりました。この像が本尊の「大聖不動明王」です。この像は一時行方
不明になりましたが、近くの浜で発見され地元民の協力で高塚山山頂にお堂を建立し安置する
ことができました。昭和初期、高塚山山頂の火災で不動堂は焼失してしまい、その後仮堂を建
てましたが、昭和36年に麓に遷されました。

そんな高塚不動と高塚山へ。出発は、潮風王国からスターとです。
お花畑を抜けてまず最初に向かったところは、早川雪洲の生家へ。
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早川雪洲って誰?と思う方は、お若い方で・・・ちなみに私も誰か知りませんでしたが・・
早川雪洲(本名:早川金太郎)は、千倉町出身で、1907年に21歳で単身渡米し、1910年代に
ハリウッドで映画デビューをしました。「戦場にかける橋」(1958)でアカデミー助演男優賞に
ノミネートされるなど半世紀以上にわたって活躍した国際的映画俳優です。
おもしろい話があります。撮影現場で、「セッシュする」という言葉があります。これは、
映画やテレビドラマにおいて身長差のある俳優同士の2ショットや顔のアップを撮影する際、
構図上のバランスを整えるために背の低い俳優を踏み台に立たせることを指す撮影用語なん
ですが、この「せっしゅ」の語源が、早川雪洲からきているそうです。
アメリカの女優と並ぶために、足下をかさ上げしたからと言われているそうです。

IMGP0468早川雪洲の生家

次に向かうのは、前不動。
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高さ1.5mの祠のなかに不動明王が祀られています。昔、山頂の不動尊にお参り出来ない人の
為に地元の有志が、ここに不動明王を安置したそうです。

本日は、初不動なので露店が出ていました。
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露店には、焼きそばやお好み焼き・大判焼きと・・・後ろ髪を引かれる思いでしたが、先を
めざします。

大聖院本堂
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本堂の内陣欄間には安永4年(1775)作の初代武志伊八郎信由の彫刻があります。

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この階段を登り高塚不動堂へ。
不動堂の内部には、元大蔵大臣水田三喜男の賽銭箱、高木省童画伯が高塚不動明王霊現の由来を
描いた18枚の額があります。

お参りをし、高塚山の山頂をめざします。
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高塚山は標高216mの山です。結構、急な階段を登っていきます。
途中には、富士登山記念碑があります。
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少しあるくと鳥居が見えてきます。
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あと少しで頂上です。前日雨が降ったので、足場が滑るので注意が必要です。

頂上へ到着しますと風神さま雷神さまが迎えてくれます。
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文政13年(1830)、長狭郡平塚村(鴨川市)の石工がノミを振るってこの石像を刻み、若者中が
高塚不動尊に奉納したそうです。なかなか味のある顔をしてます。

風神雷神門を抜けると元不動堂(奥の院)です。
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嘉応元年(1169)頃からこの地に不動尊が祀られていましたが、昭和初期の高塚山山頂の火災で不動
堂が焼失してしまいました。その後、仮堂をたてましたが、昭和35年に麓に遷されました。

御堂の前には、狛犬があります。
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彫刻は、北朝夷村(千倉)の初代後藤利兵衛橘義光の作で、「子獅子が親獅子に寄り添っている」
姿が掘られています。

頂上からの景色です。
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早川雪洲が渡米する際に、松明を焚いて見送った場所だと言われています。

下山をしお昼を取り長性寺へ。
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真言宗のお寺で不動明王を本尊としています。こちらで、ご住職や奥様・ご近所の方のはからいで
お茶やらお菓子やらを頂きました。感謝です。

長性寺の梵鐘です。
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この梵鐘は、お子さんを亡くしてしまった方からの御寄附だそうです。この梵鐘の音を聞こえると
お子さんの事を思うそうです。ご住職よりお話しをお聞きし、それならばとつかせていただきまし
た。

境内には、鯨塚があります。
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鯨塚の謂れは、古来からこの地方の住民は鯨は霊獣とされていて、明治29年(1896)鯨を捕獲した
時、鯨は神から授かった大切な恩恵であると住民は思い、鯨の肉部分については住民が食用として
分配しましたが、住民たちは鯨を丁重に扱わなければ重大な災いがあるのではと心配し、長性寺の
住職に相談し、この鯨を丁重に供養する事になり、心臓部を埋葬する為に、境内に鯨塚を建立し手
厚く供養したそうです。

鯨塚から階段を登ると観音堂があります。
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こちらにもお参りし、次の高皇産霊神社へ向かいます。
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高皇産霊神社の参道に岩があります。
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この岩は、参拝する時に邪魔になりますが、それを取り除く事ができません。
昔、千田村の人々が、この岩を取り除こうとしたところ、岩から大きな白い蛇が出てきたのです。
その蛇は、頭が幾つもある怪蛇だったので、村人達は恐ろしさのあまり逃げ出してしまいました。
少し時がたち、村人たちは岩から出てきた白い蛇を、高皇産霊神社を護る神蛇だと考えるようになり、
蛇の棲処だった岩は、永久に残そうと決めたそうです。

神社にお参りした後は、午後2時から始まる大般若会厳修を見学する為に、高塚不動尊へ。
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600余巻の教典を読経する大般若会が真言宗・天台宗等の密教系の宗派において行われていますが、
この膨大な教典を完全に読誦ことはなかなかなく、現在は、転読と呼ばれる教典をパラパラとめくって
は、般若心経末尾の真言などを読誦して一巻を読誦したことにした行が行われました。

見学終了後は、各自露店を楽しむの人・お花を楽しむ人も居ますので、こちらで解散しました。

次回のまた旅倶楽部のウォーキングツアーは、2月8日(日)の「堂山と船形のまちを歩く」です。
みなさん、寒い時こそ体を動かしましょう!!お待ちしております。

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